「私はきょう、首相としてではなく、セールスマンとしてここに立っています」
第81回国連総会の一般討論。ブータンのツェリン・トブゲー首相は、こんな言葉で演説を始めた。
売り込むのは、国王が主導する「ゲレフ・マインドフルネス・シティ(GMC)」。自然や文化、人間の幸福を守りながら、世界から投資や技術、人材を呼び込む新都市構想だ。
今回の演説には、ガザやウクライナへの言及も、国連安全保障理事会の改革を求める訴えもなかった。およそ18分にわたり、語られたのは、ほぼ一貫してGMCの可能性だった。
国際政治の対立を論じることからいったん距離を置き、自国がつくる未来への参加を呼びかける。国連の演壇を、都市の「共同創業者」を募る場にした異色の演説だった。
ただ、その売り込みの背景には、若者が国外に機会を求めて去っていくという、小さな国の切実な危機感があった。
国連の演壇から「私たちと一緒につくってほしい」
トブゲー氏は冒頭、売りたいのは商品でも政策でも、新たな宣言でもなく、「アイデア」だと語った。
それは、ジグミ・ケサル国王が構想し、自ら主導するGMC。首相は、国民が受け入れ、すでに建設が始まっていると説明し、こう呼びかけた。
「私たちと一緒につくりに来てください」
国際金融センター、自由港、技術拠点、経済特区。世界には、これまでも多くの新都市がつくられてきた。では、GMCは何が違うのか。
トブゲー氏が強調したのは、新しい建物を建てること以上に、都市を動かす制度そのものを設計できるという点だった。
「一国二制度」で、法律から都市をつくる
GMCは、インドと国境を接するブータン南部の特別行政地域だ。公式サイトによると、面積は4,046平方キロメートルで、国土の約1割に当たる。王室憲章に基づき、広範な行政・立法権限と独立した司法を持つとされる。
トブゲー氏は、その仕組みを「一国二制度」と表現した。ただし、歴史的な主権の移管に伴って生まれた制度ではなく、ブータンが自らの主権の及ぶ領域に、未来のためにつくるものだと説明した。
どのような法律をつくるのか。企業活動をどう規律するのか。司法の独立をどう保障し、優れた人材をどう集めるのか。人工知能(AI)をどう使い、自然を守ることでどう富を生み出すのか。
首相は、こうした問いを出発点に、制度を組み立ててきたと述べた。
シンガポールの法原則、アブダビの金融規制、英国の法律家の知見。世界で機能している仕組みを学び、GMCに合う形で取り入れる。投資家がルールを理解し、先の見通しを立てられる環境を整えるという。
その都市を、トブゲー氏は「4,000平方キロメートルのスタートアップ」と呼んだ。
若者に「残れ」と言うだけでは、国は続かない
なぜ、国家を挙げて新都市をつくるのか。演説の中で、その理由は率直に語られた。
ブータンは平和で安定し、森林が保たれ、文化が息づき、人々は教育を受けている。しかし、経済の規模が小さく、若者に十分な機会を提供できていない。そのため、多くの若者が国外に向かっているという。
トブゲー氏は、それを経済上の課題にとどまらず、国の存続に関わる問題として捉えていた。
「私たちは、ただ残るように言うことはできません。残る理由と、帰ってくる理由をつくらなければなりません」
その理由とは、仕事、機会、事業、そして未来だ。
故郷を大切に思う気持ちだけでは、暮らしは成り立たない。国を離れる若者に翻意を求める前に、国内で将来を描ける条件を整える。その責任を、政治の側に引き寄せる言葉だった。
首相は、経済成長も投資も技術も求め、人々に豊かになってほしいと語った。同時に、変革のために「ブータンらしさ」を失う必要はないと強調した。
データセンターと瞑想センターが並ぶ都市
その「ブータンらしさ」を伝えるために、トブゲー氏が並べた言葉が印象的だった。
起業家と僧侶。人工知能と人間の意識。データセンターと瞑想センター。
GMCでは先端産業を育てる一方、仏教の学びや修行の拠点も整える。首相によれば、仏教指導者たちが僧院や修行施設、図書館、教育施設づくりを進めているという。
世界から人材を呼び込むには、働く場所としての魅力とともに、人生を送る場所としての魅力が必要だという考え方である。
自然についても、森林や川、ゾウやトラが暮らす環境を、開発の障害ではなく都市の価値として守ると説明した。
産業を支える電力には、再生可能エネルギーを使う。ブータンの再エネ設備容量を2040年までに25ギガワットへ拡大する目標を挙げ、先端製造業、科学研究、AI、データセンターの電力需要に応えていくとした。
「バランスは利益の敵ではありません。長く続く利益の基盤なのです」
自然や文化、人間の幸福を守ることを、事業の持続性や人材の獲得につなげる。それが、首相の示したGMCの競争力だった。
「皆さんには利益を上げてほしい」
投資先としての説明も具体的だった。
まず、国境の向こうにはインドの大きな市場がある。トブゲー氏は、モディ首相やインド政府、隣接するアッサム州側の支持に触れ、GMCを南アジアと東南アジアにつながる拠点にすると訴えた。
さらに挙げたのが、ブータンへの「信頼」だ。平和、政治的安定、法の支配、約束を守る実績が、長期投資に必要な予測可能性を生むと説明した。
首相によれば、GMCではすでに法律が制定され、規制当局が活動し、独立した司法の枠組みも整っている。国際空港は建設中で、インドの鉄道網につなぐ計画も進む。AIやデータセンターの事業も動き、約50億米ドル規模の案件が交渉中だという。
この金額は、実行済みの投資額を示すものではない。整備中のインフラや交渉中の事業を、これから実際の産業や雇用につなげていく段階にある。
そのうえで、トブゲー氏は政府や企業、投資家に、資本、技術、人材、アイデアを持ち寄るよう求めた。
「はっきり申し上げます。皆さんには利益を上げてほしいのです」
早く参加すれば、産業や市場の形成に関わり、自ら生み出した価値を分かち合える。首相は、その先行者としての機会を売り込んだ。
対立を語る代わりに、どんな暮らしをつくるのか
この演説を、単に国際政治と無関係な都市の宣伝と読むだけでは、その切実さを捉えきれない。
インドとの関係、市場へのアクセス、主権の下での制度設計、世界の資金や人材の獲得。GMCの構想自体が、国外とのつながりを前提としている。
トブゲー氏は今回、個別の戦争や国家間対立への立場表明よりも、そうしたつながりを自国の仕事や将来にどう結びつけるかに演説を集中させた。そこに、この演説の特徴がある。
ブータンが掲げてきた「国民総幸福(GNH)」についても、首相は、経済成長を否定するものではないと説明した。そのうえで問うのは、「成長は何のためか」ということだ。
都市に企業が集まり、投資が増えた先で、若者が働き、暮らし、将来を描けるようになるのか。自然や文化を守るという約束は、開発が進んでも貫かれるのか。GMCの成否は、そうした暮らしの変化とともに見ていく必要がある。
演説の最後、トブゲー氏は再び「セールスマン」に戻り、呼びかけた。
「GMCがつくられるのを、ただ見ていないでください。ブータンに来てください。GMCに来てください」
「未来はただ訪れるものではありません。未来はつくられるものです」
国連の演壇から世界に示したのは、自国の若者が未来を描ける場所をつくるための招待状だった。その招待に誰が応じ、そこでどんな暮らしが育つのか。異色の売り込みが約束したものを、これからの現実の中で確かめたい。