いまから、3ヶ月ほど前、7月18日にビブリオバトルが新宿の紀伊國屋さんで行われるっていう告知をメールでもろうて、こりゃもう参加するしかないなぁなんて思って、また応募したんですけどね、そのときに出場した動画が、最近アップされたということで、というか、そもそも、ビブリオバトルとは?
【公式ルール】
1. 発表参加者が読んで面白いと思った本を持って集まる。
2. 順番に一人5分間で本を紹介する。
3. それぞれの発表の後に参加者全員でその発表に関するディスカッションを2~3分行う。
4. 全ての発表が終了した後に「どの本が一番読みたくなったか?」を基準とした投票を参加者全員で行い、最多票を集めたものを『チャンプ本』とする。(— ビブリオバトル普及委員会、ビブリオバトル公式ルールより)
ほいで、そのぉ今回から、2回目の参加になるわけなんやけど、そうなると中々、出づらいらしいねん。それは、ようするに、初参加をとりあえず優先するんで、あとは抽選っちゅうことになるからなんやけど、せやから大丈夫かなぁなんて思って待ってたら、締め切りから翌日ぐらいに、大丈夫でっせってメール貰って無事出れることになってんな。
応募する際に、「テーマバトル」のほうにしたんやけど、それが今回「虫」やねん。だから、本棚を眺めて唯一あった虫の本、これを選んだんやけどね。それは、「はみ出し者の進化論」っちゅう奥井一満先生っていう方が書かれてるものでね、
さてどんな風に紹介しようかと、改めて読み直したりして、グダグダしているうちに、ビブリオバトル前日ですよ。こりゃあかんと思って、まぁ金曜なんでねその時、前日朝は早起きしなくていいんで、徹夜で考えましたよ原稿を。それがこれやねん。
今回のビブリオバトルは虫ということですよね。みなさん、虫といって頭に思い浮かべるのは、人それぞれだと思うんですよ。今の季節だと、バッタ、カマキリ、クワガタ、カブトムシ、茶わん蒸し、おしりかじり虫、様々な虫たちを想像をしているでしょう。
それは、つまり虫という種がいかに多様であるかということを意味していますよね。これは、単純にいうと進化というものが多様だったからということが出来るのではないでしょうか。ではその、進化とはなんなのか、一風変わった切り口で展開していくのが、この「はみ出し者の進化論」という本です。
この本の冒頭でこんなことが書かれています。ミミズっていますよね。知ってますか?知らなかったら相当なセレブですよ。そして、あれを2つにちぎるとどうなるかご存知ですか?
こうやってバッとやるとピョンピョンと跳ね回るんですよ。それをみて「ミミズが痛がってる」なんてことをいうと、科学的には全く無視されるんだそうです。人間の痛みは、刺激を受けてそれを神経が伝達してなんて仕組みですが、ミミズの場合もちゃんと神経が存在し、はしご状神経なんて呼ばれていますが、ここから「痛い」という感覚情報を発見できていないだけで、本当はミミズだって「痛がってるかも」しれないんですよ。
しかし、あんな生物が人間のように痛がるはずはないというように、あくまでも人間側の解釈で、そう判断しているだけではないかと著者は主張します。
そんなことから始まり、タイトル通り、はみ出した内容で展開されていくのがこの本の醍醐味であります。
この著者の奥井さんの専門分野は、シリアゲムシと呼ばれる昆虫です。シリアゲムシというのは、これですね(本の写真を見せる)このような虫なんですけど特徴的なのは、この口です。こんな感じで細長いんですよ。こいつを使って、果汁の多い木の実、昆虫、小動物の死骸、鳥の糞、養分のありそうなものならなんでも、噛みついて、ちゅうちゅうすんですよ。
羽があるくせにほとんど草むらの繁みの中にいて、こういった場所は、じめじめしていて、人間が考えると気持ち悪そうなんですけど、こいつらにとっては、有機物の残り物があって、凄い住みやすい場所なんですってね。
シリアゲムシには翅がついてますが、北ヨーロッパとかの寒いほうの地方のシリアゲムシは、翅がない奴がいるんですね。こいつらは、寒いところだからこそ、体温の消耗を防ぐために、体を小さくしなきゃいけなくて、翅をなくし動き回ることにしたらしいんです。そして、こいつからさらに進化したのが、みなさんも知っているでしょう、ノミなんですよ。
ノミって、哺乳動物にくっつくじゃないですか。でも、ここが不思議なところで、シリアゲムシの進化の道筋は、古生代から行われていて、哺乳類が現れる以前からゆっくり始まって行ったんです。
そして、哺乳類が現れるのを知っていたかのように新生代にノミが現れる。著者は、進化はきまぐれだなんて言っています。たまたまそうなって環境に対応した奴が生き残ったと。だから、こうなるまでに相当な奴が死んだんだろうなんて。なんか面白いですよね。
それでですね、このノミがどうやって現れたか。落ち葉の中で、ヤサグレテいたシリアゲ虫が、ひょんなことから獣の中に入り込み、「こりゃ温っけいや、血を吸えば生きられる」なんて思って、くっつくようになったと。
でも、ここで疑問になるのが、なんでノミはあんなジャンプするんだろうということです。それは、ノミの祖先である、シリアゲムシが完全変態であるということに由来します。完全変態とは、卵、幼虫、サナギ、成虫という過程があることです。
そして、幼虫の生活を変えるのは無理だったようで、だから、成虫は卵を産むためにいったん地上に降りなきゃいけなかったようなんですね。それで、地上で育った、ノミの幼虫、そしてサナギが獣に飛びつくためにジャンプを覚えたという次第です。
現在、シリアゲムシも存在するし、ノミも存在する。なぜ、全部がノミにならなかったのかと。これが、さっき述べたように気まぐれだと。進化は気まぐれだというわけです。ただ、こうやってシリアゲムシから気まぐれにノミに進化した中で、先ほどもいいましたが、そうとう失敗もあった。
成功がある背景には数多くのハミダシ者がいたのでしょう。そしてこれは、人間の世界でも似たようなもんだなんて著者は語っていて、まさにその通りだと思いません?
このような人間目線なエピソードがたくさんでてくるのがこの本です。まさに科学万歳なんて思うんですが、最後の著者の主張が痛烈で、そこがまたはみ出し者たる所以ではなかろうかと。引用します。
科学なんてその程度で、あまり期待するものではない。科学への過信が、二〇世紀前半の科学至上主義を生み、その結果、いつの間にか、技術が結びついて、どうしようもない物質至上の時代を作った。技術は、科学の理屈をうまく利用した道具の開発にすぎない。
つめていえば、道具を巧みに操作し技術的に熟達することは、生物的怠け者になっていくことだ。歩くより、車のほうがいい。その結果、足は歩行の機関ではなく、アクセルを踏む道具の連接部になる。やがて、体重を支える機能すら失うようになるかもしれない。
科学は、もともと、個人的好奇心からある個人が執拗に追いかけた、偏執狂的な暴露行為の産物である。科学者の大半の業績は、どうでもいいことだ。それが人類のために、とすり替えられたのは、技術的発展、すなわち、それが生み出す個人的利益(人にほめられることへの憧れから、経済的に豊かになることまで)に科学が色目を使ったからだ。
このように、ですね著者自身がもうはみ出した考え方なんですよ。もう、あるしゅ、はみ出しすぎて露出狂なんじゃないかと思っちゃうぐらいのはみ出しぐらいです。是非、お手に取ってお読みください。
こんなはみ出し者の科学者が書いた本、読みたくないですか?
これをですね、ビブリオバトルのルールやから、覚えなアカンのですよ。この原稿をね。で、実際、喋ってみるとメッチャ長いねんな。10分ぐらいいってまうから、無駄なところをかなり削って、本番ですよ。
ほいで、会場に向かい、ぼくの出番が「第三ゲーム」なんでね、それまで、他のバトルをみて待機してて、こんときも緊張しながら、ほとんど耳に入ってこなかったんやけどね。そういうときは時間のたつのも早いもんで、もう自分の出番ですよ。
いつも、じゃんけんで順番を決めるんですけど、なんか僕メッチャ強いねんな。でも、強かったらアカンねん。
「じゃんけんぽん・・・・・」
見事に、勝ってもうて、勝った人が一番に発表せないかんから、もうやってもうたと。前回のときもそうやって、もうめちゃくちゃじゃんけんに強いねん。大人数でやったら、負ける気しませんからね。
ほいで、一番最初に発表。流れとかしりたいやんか。どんな感じで発表しはるのかなぁ、なんて。でも、トップなんで、なんかもうそのなんも覚えてないんやけど、取りあえずなんとか終わりましたよ。
まぁ、この通りチャンプにはなれずと。
ほいで、今回やってもうたなぁと思ったのが、この本「絶版本」やねんな。せやから、買えへんねん。無理やねんな。それを質問されて、
「この本はカッパサイエンスですけど売ってるんですか?」
「いや、売ってないです。絶版です。でも、それもある意味はみ出してるって感じですかね。ぐふふふふ」
ってな感じで答えてもうてんな。
その他にも、喋り方やったりももちろんそうやけど、感じた印象はやっぱりジャッチするのはお客さんやから、お客さんが読みたくなるようなビジュアル的に訴えてくるような本のほうが、チャンプ本になりやすいんやろうななんて思いましたよ。せやから、自分がムッチャ好きな本よりかは、みんな好きそうやなみたいにね。
でも、これも悩ましいもんで、自分の好きなやつでチャンプになりたいやんか。それも、誰も読みたくないみたいな本で、チャンプになれたらいちばんいいなぁなんて思うんで、そうなると結局もう話術が重要ってことになんねんけどな。
おわり