フランスで最も愛された政治家の一人・シモーヌ=ヴェイユ元保健相が今年6月30日に亡くなった。産経新聞の元・パリ支局長の山口昌子さんは次のように悼んだ。
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ナチス・ドイツのアウシュヴィツ強制収容所からの生還者、シモーヌ・ヴェイユが6月30日、パリの自宅で89歳で亡くなった。
ヴェイユは厚生相(*保健相)時代に、聖母マリアの母性を尊重するカトリック信者が多いフランスでタブー中のタブーだった「中絶」の法制化(1975年)を実現した。また、初の女性の欧州議会議長(79~82年)として欧州統合を前進させ、「フランスで女性大統領が誕生するなら、この人」とも言われた。
マクロン大統領はヴェイユの訃報に接し、「我々同胞に手本としての刺激を与えることができたフランスで最高の人物」という声明を発表した。
7月4日にパリ市内のアンバリッド(廃兵院)で催された国葬では、「我々は、彼女のこの苦悩を決して理解できない。我々はこの人生も決して理解できない。正義と善に向けての深淵からの躍進や、勝利へのあくなきエネルギーにも圧力をかけることができない」とヴェイユの一生を称え、彼女がまさに「激動の20世紀の戦士」であったことを強調した。
そして、偉人が祀られているパリ市内の「パンテオン(万神殿)」に合祀することを発表した。パンテオン入りは、人権団体などが十数万の署名を集めて大統領に要請した結果だ。女性ではノーベル賞を2回受賞したマリ―・キュリーらに次いで5人目(男性は72人)である。
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ヴェイユ氏は74年にジスカール=デスタン大統領の下で保健相に就いたのだが、大臣に女性が就くのはこれが初めてであった。女性による妊娠中絶はそれまで非合法で当時、年に30万人の女性が“闇”で中絶を行っていたという。議会はほとんど男性で女性議員がいない中、中絶合法化・法案は1974年11月27日、午前3時頃、賛成284票、反対189票で成立した。前面に立ったヴェイユ保健相は「この法案はアウシュビッツと同等の犯罪だ」という反対意見にも遭った。ショアーからの生還者としては、屈辱的であったにちがいない。本会議の三日間における審議でヴェイユ保健相は疲れ切っていたという。この法律は尽力したヴェイユ保健相の名をとって「ヴェイユ法」と呼ばれている。
ヴェイユ氏が亡くなって各界から悼む声が届いた。一般週刊誌・写真誌はどの雑誌もヴェイユ氏を表紙にしてその死を悼んだ。現代を駆け抜いたヴェイユ氏はやっとの休息に、ホッとしているのかもしれない。
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