2011年、東北地方を襲った東日本大震災。
宮城県石巻地域では水没や流失などでおよそ6万台もの車が被害を受けました。
そんな中、この地区では震災直後から、移動支援を続けてきたNPO法人があります。NPO法人『移動支援Rera(レラ)』。レラはアイヌ語で“風”を意味します。北海道の障害者支援団体が中心となり、2011年4月に結成されました。
1年が経ち、北海道からの支援活動が終了した時、自らも被災した地元石巻の住民が中心スタッフとなって団体を引き継ぎ、現在まで続いています。
「自分にもできることをしたい」「お世話になった恩返しがしたい」
さまざまな思いを胸に、県外からのボランティアとも協力しながら活動を続けています。
「被災地で命の足を守る」が合言葉。主に病気を抱える高齢者や障害者の通院や買い物などをサポートしてきました。送迎サービスは電話で予約し、目的地までのガソリン代の実費のみの低価格で利用することができます。
足が悪くて段差に乗れない方、車いすの方なども介助を受けながら乗ることができます。
乗り合いの車内では地元の言葉での会話がはずみます。普段、胸に秘めている本音や悩みを車の中で吐き出し、分かち合うこともあります。中には、「乗せてもらうことはありがたいけど、車の中の会話も同じくらい楽しみ」という方もいます。
いつもと様子の違う利用者がいた時は福祉関係の機関と相談するなど、地域のほかの支援団体と連携しながら、送迎を通した見守りの役割も果たしています。
夫を失い一人暮らしになったという高齢の女性は、車を運転することができず移動支援がなければ病院に通うのが困難です。タクシーで往復すると1回で数千円がとんでいきます。限られた年金の中から2キロ以内であれば片道100円という料金が生活を支えてくれています。
これまでに送迎を行った人数は、のべ12万人以上。走行距離はなんと地球約28周ぶんに及び、今ではこの地域になくてはならないサービスになっています。
村島さんは、活動を続けていくうちに、意外な問題に直面したといいます。初めは震災後の復興が進めばサービスも終わりだと思っていました。しかし、お年寄りたちは5、6年過ごした仮設から抽選で決められた復興住宅への転居でバラバラに。お互いに見守り合っていた“繋がり”がなくなってしまったのです。
事態は予想以上に深刻でした。病気や認知症の悪化や孤独死の問題に直面することも少なくありません。震災後様々な復興活動で、街は綺麗になりました。しかし、それは表面の見える部分のことでしかなく、活動を通してみえたのはコミュニティの断絶でした。病気や障害のある方、独居のお年寄りなど、さまざまな「生きづらさ」を抱えた方々は、“繋がり”を失い、被災直後よりむしろ状況が悪化していることもあります。
レラでは、この状況をなんとかしようと、現在では移動支援だけではなく介助付きの買い物やお出かけなどの独自のイベントを開催するなど、あらたなコミュニティづくりの場としての役割も担っています。
一方で、利用者からは「いつまで送迎支援をしてもらえるのか」と不安の声が上がります。活動を維持する資金が持つのかと利用者たちも心配しています。
団体の資金は、市民からの寄付金が半分、そして残りは宮城県からの補助金と民間団体からの助成金で運営しています。しかし、補助金と助成金は短期間で終了するため、活動を継続するためには課題が残ります。
村島さんは言います。「現状を知ってほしい。ここを訪ねてもらえたらきっと一緒になんとかしたいと思ってもらえるのではと思っています。きっとそこから色々な関係が始まると思うんです。石巻だけの問題ではないというのが伝わるといいなと」。
命の足をまもり、コミュニティを維持する。今後この活動をどのように続けていくのか?今こそ支援が求められています。