今シーズンの障害者のノルディックスキー最終戦となる石屋製菓IPCノルディックスキーのW杯が、札幌市の西岡バイアスロン競技場にて3月18日から22日の日程で開催された。日本でこの開催は、2015年の旭川に続き2度目、バイアスロンの開催は初めてのことになる。
札幌市が運営を担当した今回の大会では、市内の小学生や中学生も招待され、大きな声援に沸く中で、選手たちは今季最終戦を全力で戦った。「学校でノルディックスキーを教えてもらって、今日は応援に来たの。片腕なのにスイスイ滑ってるのがすごい!」と興奮した様子で観戦を楽しんだ。
IPCの競技責任者で今大会のテクニカル・デリゲイトを務めたゲオルギー・カディコフさんは、「コースの整備も射撃の準備も、全てが完璧になされていた。札幌市がやる気と情熱を大会に注いでくれたこと、また、子どもや学生が温かい気持ちで障害者のアスリートを迎えてくれたことに感謝したい。」と大会を評価した。
今大会の成功の裏には、日立ソリューションズ・スキー部を設立し、そこで監督を務める荒井秀樹氏の存在がある。荒井監督は、1998年の長野パラリンピックから、クロスカントリースキー日本代表監督として冬季パラリンピックに携わり、障害者スポーツの普及活動にも力を入れて来た。
2026年に札幌がオリンピック・パラリンピックの招致を決定したこともあり、荒井監督は昨年7月、札幌市長に、パラリンピックのW杯も札幌で開催したいと申し入れをしたのが、今大会を開催に導いたきっかけだった。
荒井監督は現在、選手への指導に力を入れる一方で、北海道内でパラリンピックへの注目度を上げるための2つの課題に取り組んでいる。それは、北海道でのパラリンピアンの発掘と、今後のパラリンピックを盛り上げていく若者の育成だ。
【北海道でのパラリンピアンの発掘】
ウィンタースポーツのメッカとも言われる北海道で、今パラリンピックの選手が育っていないという課題がある。長野パラリンピック選手団に含まれた北海道出身の選手は16名いたものの、2014年ソチパラリンピックの際にはたったの2名に激減。
「もう一度北海道にパラリンピアンを育てていくという環境が絶対に必要だ。」と語る荒井監督は、子供達に障害者スポーツの体験を提供したり、選手の練習場所に障害を持つ子供に見学する機会を提供するなど、北海道全体で選手の発掘に取り組もうと、歩みを始めている。
【今後のパラリンピックを担う若者の育成】
荒井監督は、昨年4月から札幌大学にて、「パラリピック概論」の授業を開講した。札幌市立大学や、他の北海道内の大学にも、授業を展開していこうと模索中だ。今回の大会でも、フラワーセレモニーや障害者スポーツ体験コーナーのボランティアに呼んだのは、札幌大学をはじめとした北海道内の大学生だった。
「将来的にはこのような国際大会を学生たちで運営していくようなスタイルにしていきたいと考えています。」と語る荒井監督が理想とするのは、長野パラリンピックの際の学生の活躍だ。当時スタッフ不足に困った際に、意義を感じ手を挙げたのが、学生だった。そして、当時の学生が今もなおコーチなどとして現場で活躍している。
「知るともっと知りたくなる、勉強する、そして体験する、実際に行動を起こすというような教育の発達をやっていくのが重要だと思う。」と話す荒井監督。若者を軸に、障害者スポーツを広めていきたいという思いは、もう実際に少しずつ形になりつつあるのかもしれない。
札幌大学3年の佐藤大介さんは、北海道のスポーツを学ぶ大学の授業を通じて初めて障害者スポーツに触れ、もっと知りたいとの思いで大会ボランティアへの参加を決めた。
「将来は札幌市に就職を考えていて、自分はスポーツ振興課に勤めてみたいというのがある。その中でも障害者スポーツの担当で、障害者スポーツの普及と、障害者の選手の方々が活動しやすい環境を作っていきたい。」と夢を語ってくれた。
W杯の奥に見えた、熱い想いと希望が、全国に広まることを願う。
取材:パラフォト・井上