原作 遠藤周作×監督 マーティン・スコセッシ『沈黙~サイレンス』映画評 by 藤原敏史

島原の乱の後、切支丹禁令下の九州西北部に、二人の若き宣教師が潜入する。キリストの栄光を信じて疑わない彼らは、拷問と残虐な死罪すら覚悟する激しい弾圧下でも密かに信仰を守り続ける貧しい村人達に心動かされる。だが主だった信者たちは幕府に捕らえられ、見せしめのように海に立てられた十字架に磔にされ、満潮で溺死させられる。殉教者を天国に迎える奇跡も起こらず、ただ人々が無惨に苦しみ殺されて行くのに、潮が引けば海はなにもなかったかのように安らぎ、彼らが信じたはずの神は、ただ沈黙を守る。

自分たちがいることで村に追及がおよぶことを恐れた司祭達は離ればなれに山中を旅し、1人は案内役に裏切られ幕府に捕らえられ長崎に送られる。そこで彼は平戸に向かった仲間もやはり捕縛されたことを知らされ、しかも彼が溺死させられる信徒たちを追って海に飛び込み絶命する姿を目撃させられる。砂浜にはただ真昼の太陽が降り注ぎ、それでも神は、黙ったままだった。

「主よ、なぜこの人たちは、こうも苦しまなければならないのですか?」

沈黙を続ける神に追いつめられるように、司祭は拷問の末の英雄的な殉教に最後の希望を託そうとする。だが、かつて自身も基督教を学んだらしい奉行は、その彼を拷問にかけることもなく、思いも寄らぬ残酷な選択を突きつける。殉教すら許されない中、司祭が迫られたのは「究極の愛の行為」だった。

世界に最も衝撃を与えた現代日本文学

遠藤周作の代表作『沈黙』(1966年)は、実在のイタリア人宣教師ジュゼッペ・キアラ(1602-1685)の生涯に基づく。キアラは寛永20年(1643年)に捕縛され、江戸に送られて宗門改奉行・井上筑後守政重の取り調べと拷問を受け棄教、以後40余年幕府の江戸切支丹屋敷に住み、その知識を活かして幕府の貿易や外交に関する業務に当たっていたようだ。先頃マンションの建築工事に伴い文京区により切支丹屋敷跡が発掘され、火葬して葬られた墓と仏式の多宝塔形の供養塔が見つかっている。

小説『沈黙』で遠藤はその国籍をポルトガル人、名をセバスチャン・ロドリゴに変更した他、数々の劇的な脚色を行っている。舞台を長崎とその周辺に限定してドラマの集約度を高め、史実では長崎に行ったことがない井上筑後守が長崎奉行になり、主人公は長崎で棄教する。

だが史実からの最大の変更は、司祭が棄教した理由だ。遠藤の主人公は拷問すら受けない。踏み絵に足をかけるのも、苦痛に耐えかねてではない。沈黙を続けていたはずの神が「踏むがいい」と語りかけたから、なのだ。

神はなぜそんなことを言うのか? 棄教した後の主人公に、奉行は「それはおぬしの心の弱さではないか」と冷酷に言う「そなたもまた、日本という泥沼のなかで、いつしか己の信仰をねじ曲げてしまったのだ」。そうではない、自分が戦っていたのは自分のなかの基督教についての偏見だったという答えを、彼は言葉にはできない。遠藤が提起した斬新な神のあり方は世界中で論争を呼び、『沈黙』は国内外でベストセラーになり、グレアム・グリーンは遠藤を「現代のもっとも重要なカトリック文学者」と賞賛した。だが同時に、『沈黙』は遠藤自身の通う教会で「禁書」にもされたという。

小説『沈黙』は一度、日本で映画化されている。監督は篠田正浩で遠藤自身が脚本にクレジットされたが、この時には史実と最も決定的に異なる脚色だった棄教の理由が、史実通りに戻されている。主人公は信徒たちを襲う残酷な運命に信仰への疑念が生じたところへ、自身も拷問を受けて呆気なく踏み絵に足をかける。棄教に至る魂の苦悩に大きな焦点を当てた原作と異なり、ただ激しい弾圧に耐えられずに信仰を捨てる姿を通して政治弾圧の恐ろしさを描くのが主眼の映画なり、その迷いを引き起こす「神の沈黙」すらあまり印象は残さず、むしろ形而下的な政治メタファーと言ってもいいかも知れない。

遠藤周作は、この篠田正浩版の映画についてほとんどなにも語っていない。ただ晩年に、ニューヨークを旅したときに映画監督マーティン・スコセッシが面会を求め、映画化を希望されると、破格の条件で許可している。一般には過激なまでに赤裸々な暴力描写で知られたスコセッシだが、キリストの人間性を追及した大問題作『最後の誘惑』(1987年、原作はニコス・カザンツァキスの『キリスト最後のこころみ』)もてがけ、一時はキリスト教原理主義勢力に命まで狙われたこともあった。

27年間、耐え続け信じ続けた末の映画化

マーティン・スコセッシが『沈黙』を読んだのは、黒沢明監督の『夢』(1990年)に出演するため日本を旅した1989年だったそうで、つまり『最後の誘惑』を作り終え、直接に原理主義者の暗殺予告を受けていた時期に当たる。読み終わった瞬間から映画化を考え、こと2001年の『ギャング・オブ・ニューヨーク』以降は常に「次回作は『沈黙』だ」と言い続けながら、なかなか実現に至らなかった。逆に言えばこの十数年のスコセッシ作品は、どれも「次は『沈黙』を撮っていい」という約束で引き受けたはずが、アカデミー賞もとった『ディパーテッド』(2006年)のヒットで一度は動き始めたものの、2009年には撮影直前に、ロケ先に予定されたニュージーランドの通貨変動で予算が大幅に増える危険性が主な理由でキャンセルされた。こうなるとさすがに、もう実現は絶望かと思われた。

映画『沈黙~サイレンス』自体が忍耐と、それでも信じ続けたことの結果だ。基本的に原作に極めて忠実に見えるが、大きく異なっているのは、劇的でスピーディーな展開にさまざまな文学的技巧を凝らした遠藤の小説に対し、映画が持続性、耐え続けることに大きな比重を置いているところだ。スコセッシ映画のトレードマークとも言える大胆なキャメラワークは抑制され、音楽の斬新な使い方でも評価が高かったのも今回は「沈黙」という題名の通り極めて抑えた使い方に徹し、むしろ虫の声や鳥のさえずり、風のざわめき、豊かな自然音が音楽になり、それが時折消える瞬間に、完全な沈黙が支配する。

日本の読者のなかには、ラストが違うと思う人も多いかも知れない。原作では棄教した司祭のその後が、江戸切支丹屋敷の日誌の形で付記されているが、現代の日本の読者のほとんどにとって読める文体ではなく(実物の江戸時代の公文書を基に一部を書き換えたもの)、物語は長崎で終わっているように読めるのだ。だが映画にはエピローグとして淡々と付記されたその後の40年間まで含まれ、司祭の死で終わる。

小説では没年は63歳、モデルになったキアラは83歳で病死している。47歳で遠藤周作の小説を読んだスコセッシは74歳、映画化を志した時には自らも命を狙われる身だったし、その命がけになった『最後の誘惑』もこの『沈黙』も、ハリウッド映画の枠内ではめったに撮ることの許されないもので、引き換えに商業的な注文仕事をこなしつつ自分を裏切っているのではないかとの思いに苛まれながら、ヒット作の「ご褒美」的にやっと実現できるような題材だ。江戸時代・寛永期の切支丹弾圧の過酷さに較べるべくもないとはいえ、耐え続け信じ続けることの意味という、映画が最終的に到達する主題は、結果としてこの映画を実現する歳月を反映した、ある意味で自伝的なものでもある。

またそれが、決して動じない信念とか頑固さの類いではなく、迷いに満ちた持続・継続であったことにも、共通性が見い出せる。有名監督ほど業界が考えるステレオタイプ的な枠組みに押し込められた仕事しかできないことも多く、イタリア系のスコセッシの場合はマフィア映画の暴力描写が特技の監督だと思われがちで、「こんな映画はお前には向いていない」と言われ続けただけでない。筆者自身も何度か「日本人でない自分がこれを映画化できるのだろうか?」と尋ねられたことがあり、完成した今でも「これは日本映画のように作るべきだとも思った。だが例えばイチカワ(市川崑)のようには、自分には作れない」とこぼすこともある。

確かに、たとえば切支丹屋敷の日誌の体裁で書かれたエピローグ抜きに、小説としての本文の終わりで映画を終わるなら、市川崑の特に文学映画化作品でよくあるような(夏目漱石の『こころ』、三島由紀夫原作の『炎上(金閣寺)』、谷崎潤一郎の『細雪』が典型。横溝正史の『犬神家の人々』や新藤兼人の『小説 田中絹代』を映画化した『映画女優』も)、ある種の唐突さで物語が打ち切られることに整理されず収斂され得ない感情の余韻を残すようなエンディングになっただろうし、日本人監督が映画化すれば、たぶんそういう映画になった。

それでもマーティン・スコセッシは確かに『沈黙』を映画化するにふさわしい監督だったし、それは単に遠藤と同じ幼児洗礼のカトリック教徒で信仰の問題に深い関心と葛藤があることだけではない。小説の前半は潜入司祭がマカオに送る報告書の体裁で書かれ、つまりは一人称の主観描写だ。シャープな主観描写は『タクシー・ドライバー』(1976年)が典型のように、スコセッシ映画をもっとも特徴づけるスタイルでもあり、文学作品に基づく『最後の誘惑』や『エイジ・オブ・イノセンス』(1992年)でも、主人公が世界をどう見ているかを通して、小説でなければ難しいと思われた複雑な心理描写を鋭く映像化して来た。

小説『沈黙』の書かれ方はその点でも、スコセッシがもっとも得意として来た文体に重なっている。江戸時代初期の九州北西部の貧しい漁村・農村という設定はアメリカ映画で再現するのは楽ではないが、ポルトガル人司祭という外国人の視点の限界内でしか見せないのであれば、切り抜けるのは不可能ではない。

外国映画とは思えないリアリズムで浮かび上がる江戸初期の日本

だが実際の映画化された『沈黙』はそんな先入観を裏切る。

小説ではすべて主人公の主観で書かれていた前半には、彼が出会う日本人信徒の主観でしか見えないはずの、たとえばその受けて来た激しい弾圧の暴力的な記憶が切り込むように挿入され、語り手であり目撃者である司祭以上に、彼が知らないか、分からないはずの、弾圧下に耐え続ける信徒達の過去、その内面、恐れ、痛み、罪悪感こそが、映画の骨格を作って行く。

司祭ロドリゴはむしろ一種の狂言回し・目撃者となり、主観や主人公の心理を反映した構図や大胆なキャメラ移動は控えめで、二人の司祭も含む村落共同体の全体像が、そのリーダーであるイチゾウ(笈田勝弘)とモキチ(映画監督の塚本晋也)を中心に浮かび上がる。

かくもリアリズムに依拠した表現は、とても難しいことだ。この時代の日本、それも僻地の、身分も低いだけでなく過酷な弾圧下の庶民を描くのは、記録史料も限られるし、日本人でも現代の感覚に囚われがちで、日本の時代劇でもうまく行っていないことの方が多い。逆に忠実にやればやるほど、現代の日本人にさえ理解しづらいものになりかねない。遠藤の小説があえて外国人を主人公とし、その主観を中心に構成されているのは、ポルトガル人司祭の心理の方が現代の日本人読者にとっても共感し易いからでもあった。

だが主観中心の構造に依拠することはあえて避けたこの映画化では、外国映画が日本を扱った場合にありがちな、エキゾチシズムに満ち遠慮した距離感や、誤解からくる違和感も、この前半部では完全に払拭されている。しかも僻地の、抑圧されたコミュニティの屈折を遠慮も躊躇もなく見せる誠実さは、差別的に陥ることもない。一点だけ、奉行所の取り調べにモキチが自分達を「仏教徒」というのは、言葉だけでなく概念や発想自体が当時にはなかったであろう(原作では「葬式もみなお寺でいたしております」)が、現代の観客の理解や俳優の台詞の言い易さを優先すれば、やむを得ないことかも知れない。

過去の日本人には(いや、今でも)「仏教徒」とか「神道の信者」という感覚はなかったはずだ。ただ「信心深い」だけで仏も神も変わらぬ神仏習合、高名な仏僧がどこかの神を祀る社も深く信心しているのは、むしろ当たり前だった。その点で、すでに基督教はそれを信仰することイコール他の神の否定となる時点で、日本人の宗教観にはなかなか合わないところがある。

「キリスト教の西洋」が直面する八百万の神々の大地

遠藤の小説の前半が1人の司祭の主観と感情に焦点を当て続けるのとは異なり、日本人の側のコミュニティの複雑さについても、主人公がまだ気づいていない自分を襲うであろう運命の残酷さの予兆も、映画は明晰な客観性をもって提示する。例えば司祭の大きな仕事のひとつは告解を聞くことで、日本語で言われるその中身は、彼らには分からずとも観客には分かるし、驚くほど今でも日本のどこでもありそうな俗っぽい話に思わず苦笑が漏れる。

原作では司祭が気にはしながらも淡々と記すだけの、日本人信徒がなにかと十字架やロザリオの珠などの小さなモノをお守り的に欲しがることも、克明かつ丁寧なショットの積み重ねで印象づけられ、これが映画オリジナルの二重三重の伏線として後々に機能することになる。

村に切支丹がいないという証のために三人の村人を長崎奉行所に出頭せよとを命じられ、そのいわば人質を選ばなければならなくなった村人たちの諍いや、殉教したモキチの遺体の扱いも、ロドリゴの書簡ではほんの2、3行の、後者は(役人たちに近づけない彼らには見えたはずもないので)伝聞で済まされているのが、映画ではとても大きなシーンとして展開され、痛烈な印象を残す。

これまでダニエル・デイ・ルイス、ジョニー・デップ、ベニチオ・デル・トロと言った演技派で知られるスターが主演に噂され、レオナルド・ディ・カプリオも出演を希望していたのが、注目され始めたばかりの若手アンドリュー・ガーフィールドという意外な人選になったことも、前半部の構造を大きく変えることに貢献しているのかも知れない。強い個性が既に知られたスター男優の顔からその内面の葛藤に入り込むよりも、ガーフィールドの演ずるロドリゴは単に傍観者であることをやめ、日本人信徒たちを理解せずにはいられない、よりやさしく、観客にとっても親近感を覚え共感を呼ぶ人間に造形されていて、原作の主人公の、この時点での無邪気な傲慢さ、無自覚な「上から目線」とはずいぶん異なっている。

だが前半でもっとも強いインパクトを持つ(そして小説では直接表現ができないこと)のが、雄大にして厳しくも壮麗に美しい、山々が海岸線にまで迫る入り組んだ地形と自然だ。日本で撮ればコストが倍になりかねず、海岸線にも現代の町があったり道路開発が入って適地が少ないことから、撮影は台湾で行われたが、息を飲むほど美しい。

ほとんど禍々しいまでの豊かさを見せる風景は、そこが人間を超越した自然に支配された空間であることをまざまざと感じさせる。たとえば弾圧を恐れて村人達が去った五島列島の入り江の漁村を、おびただしい数の猫だけが歩き回る光景は、なによりもこの海と大地が「八百万の神々」のそれであり、「諸行無常」がその宿命であることを、ある種の戦慄さえ伴って主人公と、そして現代の観客につきつける。

では「神々」が自然という具体的な存在として人間の前に現前するこの日本で、基督教の抽象的にして超越的な観念としての形而上的「神」はどのようにして認識され得るのだろう?

日本という泥沼

芥川賞を受賞した『白い人』と姉妹編の『黄色い人』(1955年)以降、戦時中の九大生体解剖事件に取材した『海と毒薬』(1957年)で最初の衝撃的な頂点に至った遠藤周作の文学は、人はいかにして良心を裏切り罪を犯すのか、という命題に、戦時中にキリスト教徒の日本人として思春期を過ごした自身の引き裂かれた視点から独自の焦点を当てるものだった。

『海と毒薬』の二人の若き研修医は、アメリカ人捕虜を生きたまま解剖して戦争遂行に必要な情報を得よという軍の命令に従う組織の末端として、疑問を押し殺して医学史上最悪の犯罪行為に参加してしまう。全てを終えて初めてことの重大さに気づき右往左往する上司達を見て、主人公は「この人たちも結局、俺と同じやな。やがて罰せられる日が来ても、彼等の恐怖は世間や社会の罰にたいしてだけだ。自分の良心にたいしてではないのだ」と呟く。

「倫理なき民」「神なき民」としての日本人、と当時の批評家が論じたこの主題性は、遠藤文学の次のステップとなる『沈黙』では、奉行・井上筑後守の「日本と申す泥沼」という言葉に集約される。司祭が再会する、先に捕らえられ棄教していた師のフェレイラ(クリストヴァン・フェレイラ、1580-1650)は、「沢野忠庵」という日本名を名乗って幕府の禁教令の施行に協力し、「日本人は基督教の神を理解できない」と断ずる。

抽象的な絶対善にして造物主である神、絶対普遍にして形而上的な論理と倫理の概念が、日本人には認識できない、というのだ。

確かに、初期の布教者たちがすでにデウス(ラテン語で「神」)を「大日」と誤解されたと報告している。これは歴史的には、ただの誤解とも言えないかなり複雑なことで、空海が日本に広めた密教の世界観では確かに、本来なら大日如来を曼荼羅の中央に位置する世界の理念的中心にしてすべての根源と教えている。つまりユダヤ教やキリスト教の絶対神に近い概念なのはその通りで、当時の日本人インテリ層が「デウスとは日本の神仏でいえばどんなものか?」と自問すれば「大日如来」が出て来るのは正しい。だがその大日如来は「大日」という名前のせいもあって、日本独自の信仰感覚のなかで宇宙そのものの中心というより、より具体的に太陽とみなされがちだ。神仏習合・本地垂迹の日本人古来(本来)の宗教観では、だから密教でさえ大日如来は太陽神で皇祖神である天照大神とも同一視される(大日如来が日本のために転生し現れた姿が天照大神、という理屈)ようになり、一昔前までは「お天道様」が見ている、という言い回しが日本人になじみ深い倫理基準ともなっていた。

小説『沈黙』のこの部分は日本人にとってさえ分かりやすいものでなく、またこの主題性は司祭が迫られる残酷な選択と、その答えとしての「究極の愛の行為」と切り離すこともできなくはない。それに日本人以外の映画作家にも観客にもあまり関係がない「日本人とは何者か?」という問いでもあるのだし、今回の映画化では避けることもできたはずだ。

1987年の『最後の誘惑』から97年の『クンドゥン』(ダライ・ラマ14世のインド亡命までの前半生を描く)と99年の『救命士』にかけてとりわけ研ぎすまされ完成されて行ったスコセッシ映画における主観描写中心のスタイルからすれば、ここは抜きにして『沈黙』の物語的な中心的な軸である、沈黙していたように見えていた神の意外な真実を主人公が発見する展開に演出を絞り込む方が、むしろ分かり易くさえなっただろうし、映画監督を志す前には神父になろうとも考えていたスコセッシなのだから関心も当然その主人公の内面に向かい、『沈黙』はデビュー作『ドアをノックするのは誰?』(1967年)や『レイジング・ブル』(1980年)、『エイジ・オブ・イノセンス』に通底する構造を持った、『クンドゥン』と『救命士』でも取り組んだ主題の完成に至る映画になるのだろう、とも思われた。

日本人も正面からは挑まないテーマに挑んだスコセッシ

だがここでも、スコセッシは「これはアメリカ映画」という先入観に反し、この困難な問いに果敢に挑んでいるし、そのための緻密な戦略は前半の、隠れ切支丹達の村の描写から既に始まっていた。

奉行所に差し出す三人の人質をめぐる展開では、司祭たちをマカオからこの村まで案内して来たキチジローが、よそ者で身よりもないのだからと、人質にさせられる。誰も直接に彼に向かっては口にしないが、かつて家族がそろって殉教し、キチジローだけが臆病さから踏み絵に足をかけたという、実は皆が知っているその弱みにあえて無言でつけ込む村人達には、原作では主人公が気づいていなかったが、日本人ならあまりに思い当たる節があり過ぎて目を背けたくなくなるある種のいやらしさまでが、丁寧に掬いとられている。

信徒たちが十字架であるとかロザリオの珠など、精神の問題である信仰からすれば本来無意味なはずの小物をひどく欲しがることに司祭が困惑するのも、映画では丁寧に文字通りクロースアップされ(たぶんこの映画でもっともアップが多用されるシーン)、モキチが自分の彫った小さな十字架をロドリゴに贈るという、原作にはないディテールまで追加して強調される。

こうした全てが、原作の主人公がちょっと気づいて記しておいただけのような叙述ではなく、非常に重要なものとして提示され、「神なき民」としての日本人、井上筑後守のいう「日本という泥沼」へと収斂していくように、脚本が緻密に構成されていると同時に、モキチがなにかのお礼、感謝の印のように、心をこめた手作りの十字架を渡すしぐさが、映画の構造のなかで重要な意味を持っていたことも後々に明らかになる。

ただこの「神なき民」としての日本人という主題がひとつの結論に達する、まずフェレイラ(リアム・ニーソン)、そして井上筑後守(イッセー尾形)が総括するシーンは、それでも言葉ではかえって分かりにくい。また前者には、場面設定の問題もある。沢野忠庵を名乗るようになったフェレイラは長崎市中の寺に住み、司祭はそこで師と再会する。禅寺の方丈のはずだが、仏殿なのか方丈なのかも判然とせず、読経ではなく念仏が唱えられているのも、浄土真宗の寺ではないはずだ。閉鎖的な縦長の左右対称の建物の配列はフェレイラとロドリゴが二人とも囚われ追いつめられ、その未来が閉ざされたことを暗示する演出だろうが、日本の禅寺ではこんな建築はまずない。ここはスコセッシ映画であれば、たとえば『エイジ・オブ・イノセンス』で主人公達が上流階級の豪華さ贅沢さの実は囚われ人であることを映し出したような、もっと創意があってもよかった。

師弟が核心となる会話を交わす背景となる閉ざされた中庭には、ただ漠然と白砂が敷かれているだけだが、ここに枯山水を配置するだけでも、日本人は神と太陽を混同しているとフェレイラが論ずる下りが遥かに説得力を持ったはずだ。禅庭では抽象化された形に人為的に加工されない自然石が、そのまま抽象的に山を表しもすれば、白い砂利の川や海に浮かぶ島や蓬莱山(不老長寿を象徴する中国神話の伝説上の島)にも、滝を上り切って龍になる鯉にも見えて来る。

日本の寺院の庭は抽象化されない自然の断片ががそのまま抽象化された大自然そのものを表象するのだから、傍らに座る僧侶の顔でなく禅庭やその石のクロースアップを挿入するだけで、フェレイラが語る日本人にとっての神性、あるいは映画の前半であれほどの存在感を持った「八百万の神々」の大地としての日本そのものに結びつき、彼らを閉じ込め追いつめるものの正体を浮かび上がらせたはずだ。それが太陽のアップがこの会話に重ねられるようでは直接的過ぎて、逆にフェレイラが自身の敗北の言い訳でへ理屈をこねているだけにも見えてしまう。

庭石に山や島や龍や神仏を見て、水に見立てた白砂利が神聖なものともなる日本人の宗教的感性は、信徒たちがロザリオの珠や藁で編んだ十字架をお守りのように有り難がる姿にも通じるはずだ。また禅寺でも江戸時代初期であればもっと装飾的で豪華、美的に洗練されていたはずだし、いっそ天台宗や真言宗の寺院にしてでも絢爛たる伽藍や金と極彩色の木彫に彩られた祭壇という具体物で日本人の信仰のあり様を見せた方が、神を表す小物への執着がなんだったのかも明確になっただけでなく、幕府がなぜこの新宗教をかくも弾圧することに至ったのかも暗示し、ひいては筑後守が苦々しく口にする「日本と申す泥沼」を政治的なスケールでも示せたかも知れない。

徳川幕府の絶対平和主義

徳川将軍家が全国支配を確立したのは、百年以上の内乱の時代の末にだった。その幕府は江戸時代初期から各地で寺社仏閣の寄進造営に膨大な予算を注ぎ込んでいる(やがて幕府財政が傾く大きな原因になった)。切支丹禁令を出した徳川家光がその一方で再建した伽藍や社殿がどれだけあるのか、呆れるほどの膨大な数なのだが、ほとんどが戦国時代に荒廃したり焼失した寺社の再興だった。平和な時代の到来をもっとも分かりやすく見せて民衆を納得させられる手段として、寺社は身分の隔てなく誰もが参拝できるし、戦国時代に失われたあまたの命の霊魂を鎮め回向する意味もむろん大きい。たとえば織田信長が焼き討ちした比叡山延暦寺を家光が再建したことは、戦国時代が終わったことを誰の目にも分かる説得力で示す「見せる政治」だったのだ。

ではそんな絶対平和主義・内乱の再発防止を最優先させた政治的文脈の中で、鎖国令と切支丹禁令はなんのためだったのか?今では日本人でもポルトガルやスペインの侵略を恐れたからと思い込みがちだが、断交しキリスト教徒や聖職者を処刑すればむしろ侵略戦争の格好の口実になるわけで、『沈黙』は小説も映画も、そのような現実味の欠けた説を取っていない。

かといって筑後守もその部下である幕府の役人達も、切支丹達や司祭相手に弾圧の実際の政治的な理由を明言したりはむろんしない。筑後守は幾度か暗示はするものの、あとは「日本という泥沼では基督教は根腐れを起こして枯れて行く」というだけだ。

だが鎖国政策は実際には、なによりも幕府の貿易独占政策であり、諸大名が貿易で財をなし力をつけること、とりわけ重要なのが火薬原料となる硝石が幕府以外のルートで輸入されることの阻止だった。戦国時代に鉄砲はすぐに国産化され、その性能は西欧をしのぐものになり、保有数も世界一の10万丁以上だったが、しかし硝石は日本で産出せず、その輸入が戦国時代の南蛮貿易発展の大きな理由だった。そして平和が実現した江戸時代では「鎖国」のイメージとは異なり対ヨーロッパの、とくに工芸品の輸出が盛んになり、戦国時代に銃をすぐに国産化できた技術力は、そうした美術工芸の職人技の発達に向けられた。

切支丹禁令の政治的な役割は、まずこの貿易独占のいわば大義名分の言い訳だったと考えた方が理解できるが、他方で一時は信徒数が30万で主に九州に集中していたとなると、とくに九州の大名にとっては戦国時代の浄土真宗と同様に民衆の組織化の脅威にもなり得る(ちなみに浄土真宗は人吉藩、薩摩藩では江戸時代にも弾圧され、殉教者も出している)。幕府の切支丹禁令はとりわけそうした大名達によって暴力的に運用され、またそれ以上に年貢の取り立ての厳しさも、島原の乱の大きな原因になった。当時の史料にはこれを宗教叛乱とは捉えず、「細川実記」(熊本藩)のように悪政への反発だったと記したものも少なくない。

日本全体で言えば室町から戦国時代にかけて農業生産が増大していて、やっと泰平の世も到来したのだが、九州のこと西北部は農業生産に適した平地が少なく、近畿や東海や、徳川幕府の大インフラ投資で生まれ変わった関東のような豊かさはなかったし、諸大名もまだまだ文治主義の平和統治者になるほど洗練されていなかった。そんな泰平に転換しきれない政治で民衆の不満が頂点に達した結果の、失業した武士なども加勢した大叛乱は、とても島原藩や唐津藩の手には負えず、幕府の圧倒的な軍事力と苛烈な暴力で鎮圧されるに至るが、一方で島原藩もまた悪政の責任を問われ取り潰しになっている。以降、一揆の際に銃を水平方向に発射するだけでも大名家取り潰しの理由になったのが、ちょうど『沈黙』の物語が起こっていた時代だった。

遠藤は宗門改奉行の井上筑後守を長崎奉行に脚色しただけでなく、島原の乱の鎮圧に当たった老中の松平伊豆守信綱の要素を人物造形に加えていると思われる(映画では長崎奉行ならmagistrateが定訳なのを、元の宗門改めに意味が近いinquisitor と訳を変えている)。『沈黙』のなかで筑後守が拷問や残酷極まりない処刑法を見せしめ的に多用しながら、一方では踏み絵を「形だけ」踏めばいいと繰り返すのも、司祭さえ棄教させれば今後は切支丹信徒は事実上放置するというのも、民衆を殺すことをとりわけ忌避した幕府の方針を反映している。

そして実際にこの「形だけ」が以降の切支丹禁止令の運用になり、踏み絵が長崎では正月の恒例行事となった一方で、「形だけ」踏みさえすればそれ以上の詮議はまずなかった。

だが戦乱の世に戻ってしまうのを絶対に阻止することが幕府の最優先方針だったからといって、それがたとえ日本全国規模では大多数の庶民にも歓迎されようと、この映画でも見せられるあまりに過酷な弾圧、この人たちがなぜこうも苦しむのかは、およそ正当化できない。幕府が殺生を嫌ったが故の「形だけ」の踏み絵でも、踏まされる信徒達にとってはあまりに苦しい犠牲、屈辱、そして痛みだったはずだ。

『沈黙』の世界は現代日本の反映でもある

幕府が平和維持の安定政権のためもうひとつ徹底させたのが官僚制度で、つまり将軍の命令は有無を言わさず巨大な権威を背景に施行される一方で、だからこそさじ加減によって「形だけ」が維持できれば済むことでもあった。映画では、僻地の貧しい村々に取り締まりに行く役人(菅田俊)は戦国時代を引きずったような乱暴な武士だが、逮捕された司祭が長崎に移されるとまったく別のタイプの武家である通辞を務める役人(浅野忠信)の方が、遥かに権力を担っていることが、その立ち居振る舞いの雰囲気だけで分かる。

映画では直接の言及は省かれたが、筑後守も通辞もかつて基督教を学んでいて、実は信徒だったのかもしれない。通辞に言葉ができるのは神学校で学んだからだが、田舎侍の子が出世するには学問が必要だったからだけだと本人は言う。遠藤はこの台詞ひとつで徳川の政治方針と体制の、戦国時代を引き継いだ武断政治から官僚制の文治政治への転換期と、その中の当事者の屈折を見事に言い当てている。武家にとって、戦国時代の下克上、武勲をあげて立身出世できるはずの夢が閉ざされていたのだ。映画では直接の説明こそないものの、浅野忠信はこの屈折したエリートの複雑なサド=マゾヒズムを卑屈なものとしてでなく、エリート官僚らしい堂々さで見事に体現している。

この通辞の人物設定から考えると「日本と申す泥沼」とは彼らの屈折した心情と立場をこそ表す言葉にも聴こえるし、遠藤が体験し目撃した時代の日本、その延長としての現代の日本もまた、この「泥沼」の真に意味するところともなる。小説『沈黙』が発表されたのは1966年、高度成長のまっただ中である一方で、戦後民主主義が既に形骸化を露にし、急激な豊かさゆえの社会のひずみと戦前から結局はなにも本質的に変わらなかった偽善性に、日本人が気づき始めた時代でもあった。

出版当時、流行語にさえなった「日本という泥沼」

キリスト教徒が人口の1%に満たないと言われる日本で、信仰の問題や革新的なキリスト教観ゆえに『沈黙』がベストセラーになったわけではあるまい。むしろ当時流行語にもなったのは「日本という泥沼」であり、それは「もう戦後ではない」と言われて久しい時代に多くの日本人がそこはかとなく感じ始めた不安を鋭く突く言葉でもあった。

日本は結局、なにも変わらなかった。戦争で他国を苦しめ、自らもあれだけ苦しんだ反省はどこに行ったのか?

端的に言えばこの物語世界における「基督教」に当たるものは、小説の発表された時代には「民主主義」であり「自由」だった。筑後守が日本においてカトリックの教えがいつしか司祭たちが信じて来たものとまったく別物の、なんともいびつなものに変質していると指摘するのは、1966年の(そして50年後の今となってはなおさら)日本においては「民主主義」そのもののメタファーとも読める。

しかも「民主主義」がいつのまにか根腐れを起こし、本来の理念と別のまがまがしいものに変貌してしまっているのは、もはや日本だけの問題ではない。遠藤がこの小説を発表してから50年、「テロとの戦争」と称するイスラム恐怖症やシリア内戦の悲劇の果てに、ドナルド・トランプの時代に重なるように映画が完成したことは不思議な偶然であり、結果として極めてタイムリーなことでもある。

むろん1966年代の日本は左派学生運動の華やかかりし時代でもあり、『沈黙』もそんな文脈のなかで現れた小説でもあった。江戸時代という過去と切支丹という設定を用いることで、遠藤は表層的な政治イデオロギーを超えた次元でその不気味さを鋭く突いていたのだが、日本で映画化されると篠田正浩による『沈黙』は政治弾圧に対する敗北の単純なメタファーになったし、後々に熊井啓が『海と毒薬』を映画化したときも、「倫理なき民」よりは一種の反戦映画として受け取られもし、またそう見えてしまう作品にもなっていた。

日本人監督ですら避けて来た遠藤文学の本質的な主題に、マーティン・スコセッシが深く切り込もうとしているのは驚きであり、しかも『沈黙』の提示する基督教の問題としての「神の沈黙」と「究極の愛の行為」が、この「日本という泥沼」とも実は切っても切り話せないほどに密接に結びついていたことすら、この映画は示している。

「もし基督がここにいられたら、確かに基督は彼らのために、転んだだろう」

既に述べた通り映画『沈黙~サイレンス』の終盤は、原作に含まれてはいるが物語と切り離された形で提示されるエピローグ部分を再統合することで、かなり異なった印象をもたらす。この流れもまた実は映画の最初の方から、主人公にとってのユダとなるキチジローの人物の解釈と、日本人信徒とのバランスの違いで綿密に再構築されてもいた。

小説の、ほとんどの日本人読者にとってのラストとなるのは、棄教した司祭にそれでもキチジローが告解を聴いてくれるよう求める下りだ。遠藤はここに驚くべき文学的な仕掛けを組み込んでいる。一言も明示はされないが、司祭がユダだと思っていたキチジローは、やはりどう読んでも少なくともこの瞬間にはイエスその人と重なり、どう考えてもキリストはそのユダだったはずの人物を通して、主人公と、そして読者に語りかけるのだ。

映画では、キチジローの重要性はそこまで大きくない。小説では司祭は何度も、自分を裏切るであろうキチジローについて心の中で「行ってなんじのなすべきことを為せ」という、最後の晩餐でイエスがユダに投げかけた言葉を引用して侮蔑と怒りを向けるが、映画でもこの言葉は使われているものの、そこまでキチジローを厳しく名指ししたものにはなっていない。むしろこの言葉が実はクライマックスに司祭にこそ問われるものになるという伏線の方が、映画では明らかに重視されている。

「なすべきことを為せ」とは奉行が司祭に突きつけ、フェレイラが「究極の愛の行為を為せ」と主人公を説得すること、つまり踏み絵を踏むことだ。残念ながら映画版では、この時のフェレイラの恐るべき言葉は省かれている。「もし基督がここにいられたら、確かに基督は彼ら(拷問されている信徒たち)のために、転んだ(棄教した)だろう」

キチジローの告解を通してイエスが司祭に語りかけるとき、司祭はなぜイエスがユダに「なんじのなすべきことを為せ」と言ったのかを問う。イエスは「私はそうは言わなかった」と答える。「今、お前に踏み絵を踏むがいいと言っているように、ユダにもなすがいいと言ったのだ。お前の足が痛むようにユダの心も痛んだのだから」

映画ではこのような、キチジローこそが実はイエスであるか、イエスにもっとも近い存在だという遠藤のラディカルな宗教観にまでは踏み入っていない。むしろ前半からキチジローよりも重要性を帯びているのが、殉教する信徒のモキチ(塚本晋也)だ。編集のセルマ・スクーンメイカーは彼とイチゾウ(笈田勝弘)こそがこの映画のハートだ、と言っている。

司祭はキリストを手本に生きるべきだという、その「究極の愛の行為」とは?

人質として奉行所に行くことになったモキチは、もし踏み絵を迫られたときに、自分が踏まなければ切支丹の村だと分かってしまい、村人が全員処罰されることになる恐怖をロドリゴに語る。自分はどうすればいいのか?司祭は思わず「踏んでいい」と言ってしまう。これは原作にもあるシーンだが、映画ではもう1人の司祭ガルペ(アダム・ドライバー)が思わず怒って反論し、そのことが二人の司祭それぞれの運命と死に様、あるいは生き様の伏線となっていると同時に、主人公が迫られる究極の愛の選択は、この時すでにモキチが背負っている。

この時に激しい雨のなかロドリゴとモキチが額を合わせるショットは、映画『沈黙』のもっとも象徴的なイメージともなった。

モキチとイチゾウが海辺の十字架で殉教するシーンは、映画では二人ではなく三人が十字架にかけられる。明らかに、ゴルゴダの丘のキリストの死をなぞったイメージで、モキチがその中央、つまりキリストの位置だ。映画ではこの後、モキチの遺体が切支丹信徒の崇拝対象にならないようにと跡形もなく焼かれる光景が原作のような説明ではなく克明に描写される(ちなみに中世のキリスト教の魔女・異端裁判で火刑が行われた時とまったく同じで、灰は海や川に棄てられた)。

遺骨など遺体の一部を崇拝対象とするのは、仏教における仏舎利(釈迦の遺骨の欠片)がそうであり、信徒達が小さな十字架やロザリオの珠でも欲しがることにロドリゴが困惑することにも通じるが、一方でその前にモキチが自分の彫った小さな十字架をなにかのお礼のようにロドリゴに渡していた(これは原作にはない)ことが、映画のラストで重要な意味を持つことになる。

殉教したはずのモキチは、実は最後まで棄教の苦しみに耐えて生き続けるロドリゴと共にあり続け、共に苦しんでいたのだ。

日本語の泥沼的な曖昧性を文学レトリックに高めた遠藤周作

なぜこの脚色が映画では行われているのか、スコセッシの内面的な宗教観や信仰とは別に、具体的にいくつかの理由が考えられる。ひとつには「形だけ」の踏み絵の儀礼化で厳しい詮議が行われなくなったこともあり、隠れ切支丹の信仰が江戸時代を生き延びたことがある。もうひとつ、『沈黙』で主人公に「踏むがいい、私はお前たちのその足の痛さを分つため十字架を背負ったのだ」と語りかけるキリストは、『沈黙』以降の遠藤周作の文学のもっとも中心的な主題となり、「苦しみに寄り添う愛」の観点から、遠藤は最晩年には終末期医療にも重要な提言をしていた。原作では本文から切り離されたエピローグを物語的に再統合したことと、モキチに特権的な役割を与えたことで、この二つの「その後」が、映画には取り込まれている。

一方で、小説『沈黙』に組み込まれた文学的な離れ業をどう映画に、それもアメリカ映画の文体に置き換えるかの問題もあったはずだ。

実は出版されている英訳版には多々問題があり、映画化にあたり多くの者が関わって再翻訳、再々翻訳が重ねられた。最も英訳本が原文からかけ離れていたのが司祭が踏み絵を踏もうとして、イエスがその彼に踏み絵の中から語りかけるシーンなのだが、ここの原文はそもそも英語などヨーロッパの言語には翻訳不能な文体で書かれている。

小説の前半は司祭の報告書、つまり主人公の完全な主観で書かれ、逮捕され報告書が書けなくなると同時に三人称の客観叙述に切り替わる。だが司祭が二度神の声を聴く時に、日本語原文ではこの三人称叙述が崩れ、まったく違和感を感じさせないままに、いつのまにか一人称の主観になってしまっている。作者が主人公の内面に入り込み、自他の区別が消失するのだが、英語ならこの主人公の感情は引用譜でくくらなければ記述できないので、同じ効果は再現できず、文章の流れも寸断される。

しかも最初の、踏み絵の中のイエスの声もまた、日本語ではカギカッコでくくられてすらいない。一人称、二人称、三人称がまったく混然とする離れ業の修辞法があくまで自然に読めてしまうのは、遠藤が日本語の特殊性をよく知っていたからだろう。フランス文学を専攻しラテン語にも詳しかった遠藤は、文法上主語と述語が分ち難く結びついたラテン語系の言語と違って、日本語では人称による動詞の変化もないだけでなく、時に主語が省略されるのですらなく、単に主語がない文章でも成立することに、意識的かつ自覚的だった。

主語が曖昧で、時には主語がそもそもない、というのは批判的に見れば、なにかの行為について誰の意志で誰がやったことなのかが、限りなく曖昧になってしまう。このことこそが現代では民主主義さえ形骸化してしまう日本語の大きな欠点にもなり、だからこそ「日本という泥沼」にもなってしまう。基督教が根付かなかった理由も、民主主義が形骸化する原因も、そこに求めることができるかも知れない。

小説『沈黙』の前半やそれまでの遠藤の多くの小説が、逆に主人公の一人称にこだわっていることも、その泥沼性へのアンチテーゼでもあった。基督教の信仰は究極的に個々の信者と神との対話ないし対峙によってこそ成立していて、『沈黙』はその個としての主人公の内面に焦点を当てた構成を基本的には持っている。だが肝心のクライマックスの瞬間において、遠藤はあれほど緻密に構成した主人公の「個」「主体」の枠組みを、大胆に解体もしているのだ。

文学的な離れ業から映画的離れ業へ

これをどう映画に置き換え得るのか? 主人公の主観描写を突き詰めることで、逆にその主人公の内面まで客観的に観客に提示する映画文体を完成させて来たスコセッシだからこそ、『沈黙』では一見原作にもっとも忠実に思える主観キャメラワーク中心にはせず、むしろ映画というメディアそれ自体の機械的な記録性・客観性を主人公の主観に衝突させつつ、融合もさせていくスタイルを選んだ。まず映画では主観ショットが印象的に使われるのは、原作では三人称客観叙述になっていた後半だ。

長崎奉行所の牢屋敷はあえて、現実的にはあり得ない作りになっている。壁がなく、屋根に木の格子だけの独房から、司祭は白砂がまばゆい中庭で起こることと、その向こうに配されたやはり壁がなく格子だけの牢と、その中の信徒たちを見続けることになる。格子の狭間から見る彼の主観ショットが多用される一方で、司祭は牢番たちから監視されるだけでなく、向かいの信徒達からも常に見られる存在になり、牢屋敷の中庭は古代ローマの、初期キリスト教徒が猛獣の餌食にされたという闘技場(サーカス)のような残酷演劇の空間になる。

遠藤周作は「日本人とは何者か」、そしてそこと切り離せない問いとしての「日本人にとって神とは何なのか」を突き詰める『沈黙』を、あえて西洋近代文学の叙述形式を駆使して書き、1人の主人公の内面の葛藤という西洋的なドラマを、それも西洋人を主人公に全体を構成しながら、そのクライマックスで西洋文学の主語・主体性の枠組みを融解させてみせた。この文学的離れ業への映画的回答として、マーティン・スコセッシはこの映画を見る主体が見られるものにもなるという関係性を意識しつつ、最終的にはその区別・枠組みが融解し、この物語を主人公の「個」の近代主義的な体験ではなく、むしろ神話的で未分化な、ある種の夢ないし悪夢のような集合的記憶として再構成を試みる。

そのアプローチは徹底的に映画的で、モキチの十字架のようなメロドラマ文体の小道具さえ駆使するものでありながら、最終的にはメロドラマも、近代のメディアとしての映画そのものの限界も、超えようとする試みでもあり、到達した先にあるものは、スコセッシ自身が「日本の、たとえば市川崑のようには撮れない」とこぼしたりしているにも関わらず、また異なった次元でとても「日本的」な表現でもある。

その日本的な構造のなかでは、生き続けているキチジローが実はイエスだとするのは難しいか、できない。キチジローは生きた人間として江戸の切支丹屋敷でも召使いとして司祭に寄り添い、毎年司祭が踏み絵を踏まされるときにも共に踏み絵を踏む痛みを分かち合い続ける。そしてある年の正月、基督を表すお守りを持っていたことが咎められ、引き立てられて行く。ここにあるのは屈辱に耐える人間どうしのささやかな、しかしこれ以上は決して屈服させることのできない連帯だ。

司祭は岡田三衛門という刑死した武士の名を与えられ、その妻をめとらされる。原作では直接は登場しないこの妻もまた、映画ではこの密やかな連帯の無言の一員になる。このエピローグで映画『沈黙』は基督教という枠を超え、民主主義のような近代主義の理念が乱暴な多数原理の野蛮さに追いつめられ、崩壊の兆しすら露にしている現代にも通じる、人が人として生存し続けるためのなんらかの知恵と言えるかもしれないものを、無言の沈黙のうちに伝えている。

「日本的」映画であり、同時にマーティン・スコセッシの集大成

思い起こすならば、人が人としてあり続けることへの様々な障害を、人間社会それ自体が作り出している一方で、しばしば自分自身でも自己の人間性を否定しかねない中、それでもいかに人として生存を続けられるのか、あるいは身を任せてしまうのかは、『ミーン・ストリート』(1973年)以来マーティン・スコセッシの映画の根底に常にあり続けて来た主題だ。組織犯罪の内幕を赤裸裸に綴った『グッドフェローズ』(1990年)や『カジノ』(1995年)ですら、映画の背骨になっているのはこの問いで、その意味では『最後の誘惑』やダライ・ラマ14世の伝記である『クンドゥン』とすら、本質的には通底していた。そしてある意味その総決算として、『沈黙』がある。

「形だけ」だとしても棄教した屈辱に耐え続ける司祭とその周囲の、やはり人間存在の根底から傷つけられた痛みの残響のなかに生きる者たちを見守り、精神的ないし霊的に寄り添うことができるのは、磔刑にされた姿で踏み絵の中から「私はお前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」と語りかけるイエスと、もう1人の、沈黙のなかに「なにも言わないでいい」と無言の沈黙のなかにささやき続ける死者しかいないのが、「八百万の神々」の大地である日本の精神的ないし霊的なロジックなのだ。その人物とは、映画ではイエスの分身のように殉教したモキチだ。

モキチの十字架をただ「良かった、彼は信仰を棄てていなかったんだ」とホッとしてしまう、いかにもアメリカ的な観客もいるだろうが、棺桶のなか、つまり死者の心の内にまでキャメラが踏み込んで行く瞬間は、そんな単純な西洋近代的メロドラマのハッピーエンドのロジックから産まれるものではない。

むしろ死者がその死まで抱え続けたその個人の真実が観客に共有されるというのは、亡霊であるシテの声をワキが聴く能楽や、心中や不義密通の咎で命を落とす恋人達の愛の真実が人形と浄瑠璃の声に憑依する世話物の文楽、歴史上の悲劇の英雄たちが武家の倫理に雁字搦めにされて死に至ったその真相を自害する前に大モノローグで明かす浄瑠璃や歌舞伎の歴史物に典型的に見られる、日本演劇の伝統的な物語叙述に通底している。ただしもっとも人格と魂の根幹すら犯されるこのシチュエーションの場合、もはや言葉が入り込む余地はない。あるのは人間の声の沈黙と、その人間たちを取り巻く大自然の発する音だけだ。

そしてこのイタリア系アメリカ人による日本映画が、音楽ではなく秋の虫の声や鳥のさえずり、風のざわめき、豊穣な自然音に秘められた沈黙の声で終わるとき、過去の日本における基督教の受難であったはずの物語は、その弾圧をやった側であるはずの過去の日本、謎めいた八百万の神々の大地と海からこそ、世界に広がる普遍的ななにかへと、昇華される。

 

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