治療法のない難病と闘った実父の最期の数ヶ月を記録した。生きたいという強い意志を持ち、自らの病気について調べ、リハビリに臨み、寝たきりになってからも新薬の開発状況を調べていた。
しかし同時に、徐々に進行する病状、果てしなく続く単調な日々に対する不安、迷いの言葉を口にするようになった。返す言葉もなかった。
病気、障がい、延命治療など、必ずしも身近でない困難は、自分に降りかからなければ現実としてとらえることは難しく、小説やテレビドラマのイメージにとどまってしまう。そして現実の問題になったとき呆然とする。どうしたらいいのか。なぜ自分なのか。こんなことに意味はあるのか。
正解はないが、気づいたことがある。話すこと、聴くこと、誰かの役に立つこと、持っている能力を使うことの大切さである。病んだとき、年老いたとき、困難に直面したとき、人は成長することが出来る。その成長や発見を誰かに託すことで、どのような出来事も、どのような命も意味を持つのだろう。意味があったと思って、前に進みたいと思う。