「短い所感」の予定だった演説が始まるまで、71年間広島の被爆者の多くが待ち望んで来た思いは、ひどい欺瞞で裏切られるのではないかと危惧された。訪問直前のギリギリまで、報道によればアメリカ大統領は確かに広島に来るが、被爆者には会わないかも知れない、短い所感しか言わない、平和記念資料館に行くかどうかも分からないというのだ。
この訪問がにわかに現実性を帯びたとき、メディアの関心はひたすら「謝罪があるかどうか」にだけ集中していた。よく分かりもしないで口先だけ謝られても、と困惑する被爆者たちの目前で、それがあまりにも分かりやすい世論操作で「謝罪を求めてはいけない」キャンペーンにとって替わっていった。そしてあたかも「謝罪」を避けることが最大の目的かに見える訪問日程が日々小出しに報じられ続け、気がつけばオバマ大統領の広島滞在日程はごく短時間になってしまっていた。安倍晋三に伴われて平和記念資料館に入ったバラク・オバマが、予定通りとはいえ10分そこらで出て来てしまったときには、失望を覚えた人も多かっただろう。
この人はいったいなにしに広島に来たのか?たったこれだけで、どんな「所感」つまり「感想」が出てくるというのか?
1945年8月6日の朝にここでなにが起こり、その後も今に至るまでなにが起こり続けているのか、その現実にオバマ大統領が触れる機会は、皆無に等しくなってしまっていた。これでは謝るか、反省するかどうかの問題になりようがない。そもそもなにをやったのかが分かってなくて謝られても意味がないし、もっと言えば「謝罪して欲しい」「いや謝罪を求めるのはよくない」と言い合っている(というか、それが同じ人たちだったりする)日本人の多くもまた、広島でなにがあったのかをほとんど知らない。
平和記念資料館の前で安倍からオバマに紹介され、握手を交わした松井広島市長の沈んだ顔が、さんざん期待を持たされた挙げ句の幻滅を象徴しているようだった。
言うまでもなく、原爆が落とされたのは広島市であり、オバマ米大統領が訪問した平和記念公園も平和記念資料館も広島市の施設だ。本来ならオバマ大統領の広島訪問のホスト役はその市民を代表する市長であり、資料館を案内するのは館長のはずだ。平和記念資料館の館長も定年制があるので今の館長は被爆者ではないが、小学生で被爆した原田元館長(被爆した時の爪を自ら寄贈)や、父を亡くし母の胎内二ヶ月で入市被爆している畑口元館長(骨もほとんど残らなかった父の懐中時計を寄贈)がアメリカ大統領の初訪問を案内すれば、どれだけ意義深いことになっただろうか。
だがそうした訪問の段取りも、本来なら広島市が主導すべきなのを政府が横取りし続け、到着時でも市長は知事の後回しで紹介されただけだった。そして安倍総理大臣が妙にはしゃいで先頭に立ち、オバマ大統領を資料館に連れて行った。
現在の広島平和記念資料館はかつての広島国際ホテルを別館としていて(映画『二十四時間の情事』でヒロインが泊まるホテル)、入り口がそこになっている。そのロビーから二階に上がり、原爆投下以前の広島の歴史(日本軍の大陸進出の拠点となり戦時には大本営や帝国議会が東京から移されることもあった)の説明を見て、渡り廊下を通って本館に入り、被曝遺物の展示が始まるまで、歩くだけで数分はかかるはずで、往復10分ではほとんどなにも見られないはずだ。
現在の平和記念資料館は先述の原田さん、畑口さんら歴代の館長たちが、被爆の実相の全体像が現代人にも伝わるよう、丁寧に考え抜かれた展示構成になっている。言い換えれば、そうして考え抜かれた順番に自然に沿って全体を見てこそ伝わるものなのに、なぜたった10分しか見学時間がないのか? しかもオバマ大統領が館内に入ったときには、既にその後の献花式と予定された「所感」に立ち会うため、高齢の被爆者二人を含む聴衆が慰霊碑前で待ち構えていた。その人たちを待たせるわけにはいかないが、こうも急かされればオバマがじっくり被爆遺物を見ることも出来ない。ケリー国務長官にこの資料館の凄さを伝えられていたバラク・オバマ本人も、さぞ欲求不満だったことだろう。
外の平和記念公園では、警備を名目に、広島の一般市民どころか、肝腎の被爆者すら入ることは許されなくなっていた。
高齢を押して向かいの道路に立つ被爆者も少なくなかった。原爆手帳というものが交付されているのだから、被爆者を招待することは警備上の身元確認も含めて簡単なはずなのに、その被爆者すら排除された米大統領初の広島訪問の式典に、なんの意味があるのだろう? オバマが被爆者に会うかどうかもギリギリまで不可能のように報じられ、前日になってやっと、被団協の坪井直代表理事ら3~4名が式典に列席し、オバマが「声をかける」ことになったと報道されていた。
短い所感を述べるもなにも、オバマは原爆資料館もほとんど見ず、まして被爆者から体験を聞くこともなく、広島の街も大統領専用車の窓からちょっと見ただけで、いったいどんな所感を言えるのかも怪しい。
外遊先での予定外行動、サプライズが得意なバラク・オバマだ。なにかあるはずだと期待するしかないが、平和記念資料館もすぐに出て来てしまった。日本政府主導で決められた日程による、なるべく形だけに終始して早く済ませたい、やる気がまったくないのが見え見えのセレモニーは、ただ淡々と進んで行きそうに見えた。
オバマと共に安倍晋三が慰霊碑に献花するに至っては、意味が分からない。安倍政権は事前からこの訪問をオバマの標榜する「核なき世界」のためではなく、日米の和解と友好、同盟の深化の証しだと言い張って来た。ならば原爆の加害と被害を超えた証として、オバマと共に献花するのはたとえば被爆者の代表として列席していた坪井直さん(91歳)であるべきではないのか? 広島で被爆された坪井さんに、長崎から「赤い背中の少年」(背中一面大やけどの有名な被爆写真)の郵便配達の少年だった谷口稜曄さん(87歳)を招き、三人で献花するなら完璧だったが、安倍首相が共に献花すべき理由などどこにもなかった、一ヶ月半後に控える参院選のための支持率アップのパフォーマンス以外には。
そしてオバマは「所感」を語り始めた。いや「短い所感」などではなく、彼はしっかり準備された原稿を手にしていた。しかもその原稿に目をやることもほとんどなく始まったのは「われわれはなぜ広島に来たのか Why We Came to Hiroshima」と題された長いスピーチだった。
「謝罪するのかしないのか」ばかりが注目されたのを完全に裏切るかのように、それは入念に考え抜かれて準備され、人類の歴史とその文明の発展の哲学的な意味を、レトリックを駆使しながらも平易な言葉で考察する、文学性の高い内容であり、そして視点の置き方のレトリックはとても大胆なものでもあった。
1945年8月6日の雲ひとつない晴れた朝、死がこの都市に降り注いだ、という出だしには、アメリカが落とした爆弾なのにまるで他人事の自然災害のようだという苦情も出て来なくはないだろうが、慎重に選ばれた平易な言葉のシンプルな美しさと韻律、それを詩のように暗唱する声、そしてなによりも、71年前のあの朝が素晴らしい快晴であったことへの言及に、多くの被爆者にとっては、かすかな期待と希望がいくばくか報われたのではないだろうか。
そう、被爆者ならよく憶えているであろう通り、あの朝は雲ひとつなく、ものすごくよく晴れていた。「死」の閃光がそのまばゆい真夏の朝の太陽にとって替わり、きのこ雲に覆われた空が真っ暗になり、そこからまっ黒い雨が降り注ぐまでは。それは広島が見た最後のイノセントな青空だった。昭和20年8月6日の朝のあと、広島ではさわやかな、雲ひとつない夏の快晴が、不吉なものになってしまった。
被爆者にも会わせない、資料館見学には10分しか時間を与えないという日本政府の悪意たっぷりな段取りで、広島訪問と言ってもヘリで降りて大統領専用車で平和公園に来るだけでなにも見られなかったオバマにいったいどんな「所感」があるのか、誰もが不安に思っていたところが、この大統領は明らかに、会えないからこそ被爆者の証言を読み込み、直接には見られない被爆遺物も写真や資料でしっかり研究していたのだろう。だからこそ、あの日の朝がもの凄く晴れていたことから演説を始め、最後には日常の、アメリカのどの家族でもありそうな朝の光景の貴重さを語り、そこで71年前のこの町にも同じ姿があったことを「亡くなった人たちは、私たちによく似ている、普通の人なら分かるはずだ Those who died, they are like us. Ordinaly people can understand this」と述べて、再びあの8月6日の朝への言及に戻った。
この演説は、読みようによっては無責任ギリギリの一線で踏みとどまる構成になっている。アメリカ側から見れば、死が広島に降り注いだのではなく、アメリカ政府が開発させて投下した爆弾だった。占領下の広島では、多くの被爆者はABCC(米政府の原爆被害調査委員会)に呼び出され、体中を検査されながらなんの治療も受けられなかった。被爆者達は白人の研究者の好奇の目に晒され続けた。体にケロイドの残る少女が大勢の前で全裸で立たされたりした時には、自分達は実験動物扱いされている、アメリカ人に差別されていることを痛切に感じたはずだ。そのアメリカ大統領が人類皆平等をあえてこの場で語るには、相当な覚悟と、説得力を持たせる言葉を選ぶ努力が必要なはずだ。一歩間違えれば恐ろしく独善的な無神経になりかねない。
だがアメリカ大統領としてのバラク・オバマはそこで、あえて同じ人間であることを接点に、一貫して広島の、被爆者の立場から演説することを選んだ。被爆者が語ろうにも語り尽くせない、それを体験した者以外には決して理解できない「なにか」があることを百も承知で、なお「Those who died, they are like us(亡くなった人たちは、私たちによく似ている)」との態度を、演説と、この訪問での一貫した基本姿勢として選んでいた。人類皆平等をアメリカの物語の原点にあるとあえて述べながら、同時に「それは決して簡単に実現できるものではない」と言えたのは、彼が黒人だったからでもあろう。白人であれば「それはあなた達にやる気がないからだろう?」と言われればそれでおしまい、反論不能になるし、ひどく無責任な偽善になりかねない。
確かに、アメリカ大統領としてのアメリカ国家の謝罪はなかった。だがオバマは自らの立ち位置を被爆者の側に置くことで、原爆の罪を実は確かに語っていた。少なくとも多くの被爆者には、謝ったも同然にすら聞こえたことだろう。
たった10分の資料館見学は、入り口ロビーに数点の展示物をあわてて持って来させたものだった。原田さんや畑口さんたち歴代の館長が、戦争の記憶をもはや共有しない世代のために、平和記念資料館は見事な展示の文脈を構築して、広島でなにが起ったのかを追体験できる工夫を凝らして来たからこそ、今では若い外国人にも深い感銘を与え続けている、そうした被爆者たちの、広島の努力の成果をまるで冒涜するような日本政府のやり方だった。
だがそのわずか数点の展示品のひとつの折り鶴を見たオバマは、自分で折った4羽の鶴を持って来させ、2つは同席した子どもたちに渡し、2つは資料館に寄贈を申し出たという。つまり、バラク・オバマは白血病で亡くなるまで病床で千羽鶴を折り続けた少女・佐々木禎子のことも知っていて、限られた条件のなかでなんとか広島の人々に誠意を伝えようと準備を練って来ていた。パフォーマンスといえばパフォーマンスなのはその通りだ。だが名演技は演者の心がその演技内容に一致していなければ成立しない。そのオバマの真摯な名演は、ただの形だけにすらならない、ひどく空虚な欺瞞の儀礼になりそうだったこの広島訪問の空気を、一気に変えるものになった。
所感ではなく大演説が終った後、オバマはまず坪井さんに歩み寄り、その手をずっと握りながら、朗らかに熱弁を振るう91歳の老人の声にしっかり耳を傾け(それにしても20歳で生き地獄を見たこの老人は、なぜいつもこうも朗らかで明るくいられるのだろう?)、最後には笑いさえ交し合った。そのあと、もう一人の参列した被爆者と抱き合った姿に、報道陣のシャッター音がほとんど無人にされていた平和記念公園の静寂に響き渡たり、世界中でこの広島初訪問を象徴する感動の光景として報道されることになる。
しかしこの森重昭さんは、通訳がアメリカ人だったことからも分かるように、駐日アメリカ大使館が独自に手配した、アメリカ政府の招待した人だった。
実をいえばオバマの演説のなかで取り上げられていたその人でもある。小学校一年生で広島駅で被爆した森さんは、当時広島で拘禁されていて被曝死した12名のアメリカ兵捕虜の名前を調べ上げ、遺族も探し当てた人であり、その12人の名は20万近い日本人、そして3万と推計されるが全員が把握されているわけではない朝鮮人犠牲者の一部の名(ちなみにオバマがthousands of Koreansと言及したのは、英語には万の単位がないので、数万の韓国人と訳すのが正しい)と共に、慰霊碑に納められた名簿に記されている。
その森重昭さんが参列していたのは日本政府の手配ではなく、バラク・オバマ自身の演出の仕込みか、ただバラク・オバマが自分で会いたかった人だった(そしてそのどちらでも、結局は同じことだ)。
原爆を落としたアメリカの大統領が広島に来ることは、被爆者のなかには悲願とする人もいたし、どうしてもアメリカを許せないと思って来た被爆者にとっても、なんらかの期待はしてしまうことだったろう。とりわけバラク・オバマが2009年の4月にプラハで核兵器を実戦で使用した唯一の国の「道徳的責任」を認め、「核なき世界」の理念を語った時には、やはり被爆者の平和記念資料館館長だった高橋昭博さん(2011年に死去)をはじめ、多くの被爆者がホワイトハウスに手紙を出して訪問を要請した。
すでに本サイトの前記事でも触れた通り、バラク・オバマもまたその声に応えるつもりで、また自ら標榜する「核なき世界」への動きの切り札としても、2009年11月の初来日時に広島訪問を希望していた。この時には、原爆投下を謝罪する旨も日本側に伝えられていたのが、意外にも日本政府に断られている。Wikileaksで暴露されたことによれば、外務省の薮中事務次官が「日米安保と米軍基地に反対する勢力を利することになる」「時期尚早」と直接反対を伝え断ったらしい。当時の首相だった鳩山由紀夫によれば、これは政権の意向を無視して外務省が動いたことだったという。
実現しなかったこの広島訪問は、「オバマが謝罪するのかどうか」に議論が矮小化された今回と較べてえらい違いであり、また米国世論への配慮からオバマが立場上謝れないのだとする日本国内の報道が誤りというか偏向報道だったことも分かる。オバマは元々は被爆者に原爆投下を謝罪するつもりだったわけだし、今回もホワイトハウス内部での反対論は外交安全保障担当のライス補佐官(ブッシュ政権で同職や国務長官などを歴任したコンディ・ライスとは別人、念のため)が急先鋒で、国内世論の反発は彼女の担当分野ではない。なおそのライス氏は、実際には日本政府から謝罪の話が来ていないと報道陣に伝え、「興味深い」となかば呆れたようにも思えるコメントを語っている。
そもそも、国内世論の反発が少しでも予想されるからやらない、というのならオバマは広島に来ようなどと考えもしない。アメリカの核武装の自己正当化に疑問を呈し、国民に核廃絶か、せめて核削減の必要性を説得するのが、大統領としての彼のミッションであり、広島訪問はそのもっとも重要な手段のひとつだった。自分が訪問することで、被爆者や死者達が「Those who died, they are like us」であること、その人たちがどんな悲惨を体験したのかをアメリカ国民も知ることが、核廃絶に向けた世論の説得のもっとも有効な切り札になるのだ。
ライス補佐官が懸念し、ニューヨーク・タイムズなどの米国メディアが問題にしていたのも、アメリカ国内からの反発よりも、安倍政権がこうした謝罪や広島訪問自体を日本の戦争犯罪の謝罪の責任の誤摩化しに利用しかねないことだった。東アジアで目下最重要の軍事同盟国である韓国や、みだりに関係を荒立てたくない中国が激怒する危惧もあるし、そもそも現代の世界秩序の中では倫理上決して許されない。
既に述べたように、鳩山由紀夫政権の時にはオバマ政権は謝罪するつもりで、Wikileaksによればヒラリー・クリントン国務長官(当時)も賛成で積極的に動いたらしい(謝罪の意図があることは、国務長官を通した公式書簡で伝えられていた)のとは大変な違いだが、そもそも鳩山内閣はアジア諸国との関係の深化も公約に掲げていて、慰安婦問題や南京大虐殺の自己正当化に熱中なぞしていなかったし、鳩山自身が核なき世界に心から賛成するであろうから、ホワイトハウスからみてなんの問題もない絶好のタイミングだった。
ここでもないがしろにされながら安倍政権の都合に利用だけされ、踏みにじられたのは、被爆者たちだ。
確かに「今さら謝ってもらわないでも」と思う人、「悪いのは戦争だ」と考える人も多かろうが、だからといってその人々も含めて、アメリカ政府の公式謝罪を嫌がる被爆者などいるわけがない。本当にもはや謝罪にはこだわる気がない人でも、謝罪があるならその方がいいのは当然だし、どうしてもアメリカを許せない人にとってさえ、謝罪、つまり原爆投下が誤りだったとアメリカが認めることは、いくばくかの心の安らぎになる。
だが安倍政権が「アメリカが日本に謝る」という図式の演出を期待してとんだ勘違いの空回りをまず始め、逆に自分たちの歴史問題への不誠実さを問われることになると気づいた(水面下でアメリカからそう言われた可能性も高い)とたんに掌を返したように「謝罪より追悼」「謝罪より和解」とメディアに露骨な世論誘導を始めさせた時点で、被爆者は完全に宙ぶらりんの状況に置かれてしまった。謝罪を求める気持ちや恨み、怒りを言えない立場を強要されてしまっただけでなく、自分たちの善意を「被爆者は謝罪を求めていない」という政権のエクスキューズ作りに利用されてしまった被爆者さえいる。
もちろん被爆者のほとんどにとって肝腎なのは、まず自分達の体験、広島でなにが起ったのかがよく理解されれることで、謝罪はその自然な結果でなければ意味がない。だが安倍官邸が国内メディアに報じさせていたことだと、どうやら被爆者に会うこともアメリカで問題にされるそうだから会える見込みもない、原爆資料館も見るかどうか分からない、ということになっていた。馬鹿げた偏向報道も多い。オバマは長身なので高齢の被爆者と会うときには前屈みになり、その絵がアメリカで流れたら「謝罪した」と受け取られて問題になるだの、頭を下げて謝るのは日本の風習で、そんな誤解はアメリカでは生じない。訪問時間が限られるのはアメリカの都合、被爆者に会わないのもアメリカの要請のような印象操作が繰り返されたが、そんなナンセンスが本当ならオバマはなんのために広島を訪問したがったのか、という疑問しかわかない(そして広島訪問は2009年来のオバマの念願で、繰り返すが謝罪も意図していた)。
もちろん外交の常識を少しでも知っている者にとっては分かりきったこととして、広島でのスケジュールは招いている日本側の仕切りだ。
日本政府が被爆者に会わせたくない、日本政府がオバマが平和記念資料館をなるべく見せたくなかっただけだし、滞在時間の短さも日本側の「警備上の理由」で押し切ればそうならざるを得ない。一方でアメリカ側は、そんな日本側(というか安倍政権)の都合で押し付けられた限定された枠内でもちゃんと森重昭さんを招待していて、オバマが演説のなかで森さんを誉め称え敬意を表する手はずにもなっていた。
安倍からすれば、オバマとのツーショットを広島で撮らせることが最優先されるが、しかし一緒に被爆者に会うのは出来る限り避けなければならないことだった。
昨年の安保法制の強行採決や改憲論議で、憲法の平和主義に反する好戦的なイメージを持たれていることが、夏の参院選で不利に響く可能性が無視できないなか、オバマを広島に来させるパフォーマンスは有益だし、鳩山政権の時には許さなかった外務省も、この政権が内閣の人事権をめぐるタブーや不文律を無視することの脅しが効いて霞ヶ関がなかなか抵抗できなくなっている上に、鳩山由紀夫とバラク・オバマであれば本当にタッグを組んで「核なき世界」を目指しそうなところが、戦争法の議論でも米国の核の傘への依存を強める態度を鮮明にした安倍政権ならばその心配はないから安心して許容できる。
鳩山であれば非核三原則の第三項に反して沖縄の米軍基地に核兵器が持ち込まれ続けてきたことを示す密約まで開示させたが、安倍晋三は昨年の広島原爆忌でのスピーチで、原稿にはあった非核三原則堅持を恣意的に読み飛ばしたような首相だ。アメリカの核の傘に依存し続けたい霞ヶ関にとって、オバマが広島で核なき世界を宣言することの不都合はそうとうに減る。
それでもオバマを広島に来させようという日本側の動きは、自身も広島が地元の岸田外相こそが最初から積極的で、G7外相会議でケリー米国務長官が平和記念資料館と原爆ドームを見学したことでにわかにオバマ広島訪問の現実性が増したときでも、安倍首相自身はさほど熱心には見えなかった。
無理もあるまい。
オバマが広島に行くのは「核なき世界」の一環であるが、安倍自身は核廃絶にまったく興味がないどころかアメリカの本格核削減や、日本の非核三原則を尊重し米国の核を日本に持ち込まないことでも確約されては困る。そんな提案があったとしても、それは極秘にしなければ日本政府の立場がなくなるのに、演説で言われでもしたら大変だ。
安倍としては広島でのオバマとのツーショットを選挙に向けた支持率アップに利用したくはあるが、原爆忌で二年連続ほぼ同じスピーチをやったりするなど、そもそもこの人が被爆者に関心があるとも思えない。被爆者向けの老人ホームの視察もキャンセルするほどで、安倍には被爆者に会いたいという気持ちがそもそもないのだろう。そして被爆者たとの側はどうかといえば、憲法9条はその多くにとって広島/長崎条項の意味を持って来た。原爆を投下した米国相手の集団的自衛権行使を含む安保法制には当然反対の人が多く、核武装が憲法上可能だという答弁や、昨年の原爆忌で非核三原則を無視したことで、安倍は被爆者の怒りすら買って来ている。
簡単にいえば、オバマが被爆者に語りかけたり、話を聞いているときには、自分がそばに写っていなければパフォーマンスの意味がないが、逆にオバマの前でその被爆者から叱られたり、怒鳴りつけでもされては、安倍の支持率は逆に激減する。ならばそのリスクを避けるには、オバマと共に広島にいる時間を極端に限定し、その式典には極力被爆者を参加させなければよい。機会と時間が極度に限定されれば、被爆者はオバマと語ることにのみ集中し、安倍のことなど無視するだけだろう。まして正式招待者だけに限定すれば、さすがに安倍を怒鳴りつけたりヤジを飛ばしたりは出来ない。
また被爆者の側からみれば、事前に「被爆者に会えるかどうか分からない」という情報をメディアに流させればさせるほど、実際に坪井さん、森さんが会えたことの喜びは増すだろう。ますますもって、わざわざこの機会に安倍を叱りつけようなどというのは二の次になる。そこまで計算していたとしたら、こういうせせこましい狡さと卑怯さにかけてだけは、この政権はまこと超一流と言わねばなるまい。
いつまで経っても訪問の詳細が決まらぬまま、被爆者の心が日本の(つまりは自分たちの)政府に弄ばれるばかりだった上に、伊勢志摩サミット出席のためオバマが来日すると、ますます暗雲は深まった。来日の直後に安倍とオバマは日米首脳会談を行ったが、その共同記者会見でのオバマの不機嫌さに幻滅した人も少なくないだろう。政府側からはこの不機嫌さを理由に(ホワイトハウスのスタッフの一部は激怒さえしたという)オバマが平和記念資料館訪問を断るかも知れない、というリークさえメディア相手に行われている。
共同記者会見の会場に現れたとき、オバマは最初はいつもの笑顔だった。だが安倍の発言が始まったところで、顔色が変わった。おりしも沖縄では元米海兵隊員で現在は軍属の男がうるま市の20歳の女性を襲って殺し、遺体を遺棄する事件が起こっている。この日米首脳会談も、事件を受けて急遽オバマ来日の夜に前倒しされたものだ。安倍によれば最初の少人数会合はほとんどの時間がこの事件の議論に費やされたそうで、そこで自分がオバマに「厳重に抗議」したのだとまずアピールを始めた。その発言を受けたオバマは、日本の官憲に捜査と刑事訴追を任せること、その捜査当局への軍の全面協力を惜しまないよう命じること、殺された女性への哀悼など、通り一遍の型通りのことをいささか不機嫌に言っただけだった。
これでは見ている側はオバマにがっかりしてしまうのは避けられないが、よく考えればこのやり取りはずいぶん不自然なものだ。
安倍が言うように会談前半の少人数セッションではこの問題のことだけを話したというのは、本当だろうか? そこで本当に厳しい抗議があったのなら、オバマはにこやかに会場に現れただろうか?少人数セッションはだいたい20分になるはずだが、20分かけていったい何を話したのだろう? 会談なのだから、オバマの側からも20分もあればいろいろ出て来たはずだ。だが安倍の口からはオバマがなにを言ったのかどころか、自分がオバマに具体的になにをどう抗議したのかの詳細すら一切なく、オバマは苦虫を潰したような顔で型通りの遺憾と追悼しか言わなかった…というより、恐らくは準備不足で不意打ちされ、とっさになにも言えなかった。
この会談には、翁長沖縄県知事が数分でいいから会わせてくれと要望があったが、外交は地方自治体ではなく中央政府の権限だという形式論で却下されている。沖縄県や神奈川県など米軍基地を多く抱える道府県の一致した要望は地位協定の改正だが、政府はそれをアメリカに提案する気自体がないから、知事に出てこられては困るので排除したのが実態だ。だが地位協定の改正の話もなく、ただ「再発防止のため綱紀粛正」しか要求しないなら、安倍とオバマはいったいなにを20分間も話したのだろう? 被疑者は元海兵隊員だが現在は米軍と契約した会社に雇用されている軍属で、政権の影響力が強いNHKなどでは「米軍関係者の男」なる曖昧な表現が報道で用いられている。もし安倍もそういう認識でオバマに「厳重に抗議」したのなら、そもそも「抗議」になっていない(形式上は米軍つまり米政府の直接責任ではない)し、オバマの会見での発言もまたその曖昧さのままに終止していた。軍属でも地位協定の保護対象になるが、その地位協定の改正は求めていないのが安倍政権だ。ならば20分も話せる中身が見当たらないし、現に安倍は会見でその中身をなにも言っていない。ではいったいオバマとなにを話し合ったのだろうか?
安倍はただ、この場を利用して沖縄の事件をちゃんと気にかけている自分の姿を国民にアピールしたかっただけなのかも知れないが、オバマにしてみれば不意打ちに一方的に晒しものにされた格好で、不機嫌になるのも避けられない。まさかわざとオバマを不機嫌にさせて、広島訪問への期待を下げよう、過剰警備やろくに被爆者と会わない可能性を印象づけようとしたとは、さすがに考えたくはないが。
だがその疑いすら、必ずしも排除できない面がある。
まず実際には、広島訪問はオバマがやりたかったのであって、日本側からの説得の努力が必要だったことではまったくない。抵抗があったのはむしろ日本政府内からだ。安倍政権だから実現できたというのも一理はあるが、それは外務省などの反発を押さえるか押し切れたからであって「安倍政権の外交手腕」ではまったくない。しかしオバマ広島訪問の内容が実際に決まっていく過程は、まったく真逆の印象で報道されていた。被爆者との立ち話がギリギリで決まったのも、あたかもいやがるアメリカを安倍が説き伏せたかのように報じられ、平和記念資料館の見学も日本が無理を頼んで数点だけ見てもらうことが出来たかのように言われている。
実際にはまったく逆のはずだ。日本側が招いている以上、日程は原則、すべて日本側の仕切りだからだ。
オバマの広島滞在時間が短くなったのは、安倍にはサミット終了後の議長国としての記者会見があって志摩市の会場を出発できるのがオバマより遅くなるのに、それでも平和記念公園で安倍がオバマを出迎えるという形に日本側がこだわったからに過ぎない。オバマの広島到着は安倍の後でなければならなくなったので、夕方5時以降になってしまったのだが、先に志摩での日程が終わるオバマが直行し、安倍が後から合流する形にしていれば、それまでに1~2時間は資料館見学の時間も、被爆者に会う時間も取れた。
資料館見学が短かったのも、被爆者と会う機会がほとんどなかったのも、日本側、というか安倍の都合でしかない。なお繰り返しになるが、安倍が出迎える必要がそもそもないわけで、オバマを広島に歓迎するのは本来なら松井広島市長の役割だった。
短い所感ではなく相当に中身の濃い演説になったこと、そして被爆者ふたりとの立ち話の感動の演出で、我々はつい今回のオバマ大統領広島訪問を手放しでよかった、成功だったと思ってしまいがちだ。アメリカ世論でも好意的に受け入れられているようだし、終わりよければすべてよし、それまでさんざん不安を覚えたことも忘れてしまうどころか、不安が大きかった反動で、ますます感動してしまうかも知れない。
だが冷静に考えれば、せっかくのアメリカ大統領の広島初訪問は、はるかに充実したものにできたはずだし、オバマの演説や広島での振る舞いから、彼もまたそれを希望していたはずであることも明白になった。彼は平和記念資料館ももっとちゃんと見たかったのが、時間が限られるなかでせめて最大限の誠意が伝わるように折り鶴を準備していた。所感を述べるもなにも感想の基となるべき体験がほとんどできなくされてしまっていたから、予め演説を準備し、広島に着く直前まで推敲も重ねていた。その原稿の準備もあるから、被爆者にほとんど会えないのが分かった上で、証言なども丁寧に読み込んでいた。逆に言えば彼が広島で語ったことはすべて、広島にわざわざ行かなくてもできる勉強で得られたことにしか基づいていないのも、皮肉と言えば皮肉なことではある。
オバマの「核なき世界」がしょせん口先だけ、という批判はその通りだ。
プラハ演説のあとも核廃絶どころか核削減の動きすらなにも起こらず、国連では非核保有国が核兵器禁止条約の制定を提起し、アメリカを含む核保有国はその会議への出席すら拒否している。オバマ政権自身、核弾頭を削減するのも前のブッシュ政権よりも遥かに少ない数しか実現できていないし、今回の広島演説と前後して、オバマ政権はロシアへの対抗でドイツの米軍基地への核配備を増強する軍の計画を了承してしまい、ドイツ国民の失望を買ってもいる。
だが日本がそこでただ「口先だけ」と批判するのは、フェアではない。2009年の来日時にオバマが広島に行きたがったことを許していれば、事態はまったく変わっていたはずだからだ。アメリカの報道陣がオバマとともに広島に行き、平和記念資料館も取材紹介し、被爆者の証言も報道されただろう。そのすべてが、ただアメリカが原爆投下を謝罪する必要だけでなく、世界に現存する核弾頭の半数近くを保有する国であることへの疑問すら、アメリカ国民の心に喚起できたはずだ。大統領の被爆地訪問とは、実はなによりもこのパフォーマンスこそが最大の目的のはずだが、その機会を2009年には与えず、今回も出来る限り限定されたものに押さえ込もうとしたのは、日本政府なのだ。
アメリカのカリフォルニア州では近年、グレンデール市が公園に従軍慰安婦被害者を記念し追悼する像を設置したことについて、在住する日本人団体が市を訴える裁判があった。州の裁判所はこれをスラップ訴訟を断じて原告側に懲罰的賠償を含む極めて厳しい判決を下したが、その同じカリフォルニア州の小中学校では白血病で亡くなった千羽鶴の少女・佐々木禎子のことが必須で教えられる副読本になっていることすら、慰安婦像を「反日だ」と怒る日本人はほとんど知らない。ほとんどの日本人が、アメリカの観光旅行サイトで平和記念資料館が人気上位の観光地になっていることも知らなかった。日本がしきりに遠慮したつもりでいるのとは裏腹に、原爆投下の是非を考える動きはアメリカでも広まっているのだ。
そのアメリカのメディアや世論で確実に不可解と思われていることがある。国連での核兵器禁止条約の議論で、日本は出席はするもののどうみても妨害しているとしか思えない発言を繰り返し、核兵器を保有する正当な理由があると言わんばかりの論すら展開している。そして国内では、核保有は憲法上許されるという(どういう理屈なのかよく分からない)答弁すら政府がやっているし、安保法制が必要だとする議論の行き着く先は、結局のところアメリカの戦争に協力することがアメリカの核の傘の強化につながるかも知れないという願望論でしかない。
その日本政府が「核なき世界」を目指すバラク・オバマを被爆地広島で歓迎するというのは、誰がどうみてもダブルスタンダードの欺瞞の誹りは逃れ得ない。そして実際に、オバマの広島訪問の「成功」は、その演説に「We must change our mind-set about war itself (我々は戦争そのものについての意識自体を変えなければならない)」という言葉や、巨大核保有国こそが「we must have the courage to escape the logic of fear(恐怖の論理から抜け出す勇気を持たなければならない)」つまり核抑止力理論を否定する内容すら含まれていたにも関わらず、日米友好や和解を強調する報道が目立ち、日本と日本人が「核なき世界」に向けてなにが出来るのか、今回の訪問を喜ぶ我々日本人もまったく論じようとはしていない。核の傘依存への疑問すら、ほとんど口にされていない。
せっかくの米大統領の広島初訪問が被爆者を裏切り失望させるものにしかなりそうになかったのを、見事な政治家としての手腕でひっくり返したバラク・オバマの政治力、いやその人間的能力の高さは率直に評価したい一方で、彼が自ら演出し作り出した感動は、こうした我々自身の政府の偽善と欺瞞を忘れさせてしまった。
オバマの演説を受けた答礼演説で安倍首相は核廃絶への「責任」すら口にしたが、この人に期待したところで「まず北朝鮮と中国に核廃絶させることが日本政府の責任だ」くらいの詭弁になってない詭弁を言い出すだけだろうし、なんの期待も出来ない。だがあれだけ安倍が場違いに出しゃばり続けたあの50数分間で人々が関心を持ったのはひたすらオバマなので、安倍がそこにいたことも、本来なら被爆者に叱りつけられても当然であることも、我々はつい忘れてしまう。この「感動」の代償は、オバマが演説で繰り返された自分たちが変わること、人類がこれまでとは異なった物語を選び取ること、広島と長崎の歴史的な意味自体を核戦争の時代の始まりではなく人類の道徳的目覚めに変えること、そのすべて「感動」として消費されるだけの言葉に終わり、なにも変わらないことだ。
そんな感動に冷や水を浴びせる現実が、アメリカ合衆国大統領が常に身近に置いておかなければならない核発射指令ボタンの存在だ。これは大統領の職務に伴う義務だから避けられなかったとはいえ、結果として広島の爆心地近く、平和記念公園と平和記念資料館の中にまで、全世界を核戦争に巻き込む指示を発信できるこの装置が持ち込まれていた。オバマはそれがすぐそばにあるところで被爆犠牲者の慰霊碑に献花し、そのスイッチがある近くで「核なき世界」を語った。そんなオバマを「偽善者」と呼ぶのは簡単だし、まったくその通りでもある。
だが一方で、そんなバラク・オバマは気の毒でもある。広島にすら人類を絶滅させる指令が出せる装置を同行しなければならなかったのも、大統領としての義務である以上は断ることは出来ない。それどころか、どこへ行くのでもこんな物騒なものが常にそばにあるのは、よほど力の幻想に捕われて万能感にでも浸りたい、心臓に毛でも生えた人間でなければ、相当につらいことでもあろう。その彼にとっての「核なき世界」とは、自分の身近に常にある大量殺戮起動スイッチの威力を少しでも減らしたい、切実な問題でもあるのかも知れない。
7年間なにも出来なかった「核なき世界」を、オバマの残り8ヶ月の任期でどう前進させるのか、まったくなにも期待できないのも現実だ。だがここであえて、あの地獄を体験しながら恐ろしく明るく朗らかな坪井直さんを、我々は思い出すべきなのかも知れない。オバマが思わず笑ったのは、坪井さんがこう言ったからだそうだ。「あなたノーベル平和賞までもらったんですからね、いつまでも怠けて遊んでいてはいけませんよ」