明治・大正・昭和の女性誌の生理用品広告から見えること
■今のような生理用品がない時代、どのように処置をしていたのでしょうか。
明治・大正・昭和の女性誌から生理用品の広告を集めサイトを運営している山浦麻子さんに話しを伺いました。
「昔はナフキンの代わりに脱脂綿をあて、それを押さえるために「月経帯」が使われていました。」
明治の半ばごろの広告を見ると生理用品として、「月経帯」が販売されていた事がわかります。月経帯の役割は今でいうサニタリーショーツ。脱脂綿を押さえるものでした。第2次世界大戦が始まる頃まで、腰に巻くふんどしタイプから、パンツタイプまで、素材や形を工夫したさまざまな月経帯が売り出されました。
「戦争が始まると処置の方法まで影響が…」
戦時中はゴムや脱脂綿が軍需品として使われたため、ゴムでできている月経帯の広告が減りました。そして、脱脂綿の節約になるからと、それまで衛生的ではないと推奨されていなかった「さんぽん」(現在のタンポン)の広告が増えました。雑誌の表紙からは華やかさが消え、ページ数も少なくすっかり薄くなってしまいました。
「現在のナフキンが日本で生産発売されたのは1963年。アメリカではさかのぼること40年前から使われていたそうです。」
戦後すぐ生理用品が復活した訳ではありませんでした。明治から大正、昭和初期にかけて、月経帯の広告が隆盛だった頃のようには、なかなか戻らなかったのです。今から約50年前、日本ではじめて生産販売されたアンネ社のナフキンの広告に使われたコピーは「40年間おまたせしました」。ようやく女性が快適な生理用品を手にしました。アンネ社はコピーやイラストなど、広告にも力を入れ、広告賞も数多く受賞しました。
■取材を終えて
女性の日用品である生理用品。広告を追っていくだけでも、時代に大きく左右されていることがわかりました。非常時には真っ先に影響を受けてしまう女性の日常ですが、被災地の状況などを見ても、今の時代も変わらない気がします。生理用品に話を戻すと、性能は年々上がり、種類やデザインもさまざま、広告は軽やかになりました。これから先、どんな広告が見られるのか注目していきたいと思います。
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むかしの女性はどうしていたの?
明治・大正・昭和の女性誌の生理用品広告集
http://nunonapu.chu.jp/naplog/