九州地方を襲った一連の地震発生から2週間以上が経過した。私はマグニチュード7.3発生当日に現地に入り、以来熊本県や大分県内で被災した方々にカメラをむけてきた。そのうちの一人、熊本市内で出会った50歳の会社員の男性は、毎日朝を迎えるとTwitterを使って自身の安否確認の書き込みをするのが日課となった。
おはようございます(^o^)/
車中泊12日目の今朝も生きてます!
今日も笑顔(^o^)を忘れずに前を向いて!
#熊本地震 #がんばろう熊本
『知り合いから「心配になるから報告して」と言われているんで』と男性はやや照れ臭そうに笑う。自家用車のステーションワゴンでの避難生活はいまも続いている。
男性は妻と高校、大学に通う娘二人の家族4人で熊本市東区の一軒家で暮らしていた。益城町で最初に震度7を観測した14日の地震で、東区は震度6弱を観測した。経験したことがない激しい揺れ。男性の家では家具が倒れ、外壁のいたるところにヒビが入った。その後も絶え間なく続く強い余震から身を守るため、家族は自家用車の中で寝泊まりをすることを決めた。余震が収まれば家に帰るつもりだった。しかし、16日深夜、再び地域は強い揺れに襲われた。どーんという地響きとともに車が宙に浮くほど激しく揺れた。一瞬何が起きているのかわからなかった。自宅は揺れに持ちこたえられず壁やタイルが崩落、ヒビは深い亀裂となって家屋は斜めに傾いた。留め具をしていた家具は爆発で吹き飛んだように部屋中に散乱していた。「家の中にいたら命はなかったかもしれない」男性はそう振り返る。
余震が続く中一家は地域の指定避難所に向かった。しかし到着すると、そこには中に入れないほどの大勢の避難者で溢れていた。体育館でお年寄りたちがうなだれるように座り込んでいるのを見て、男性は自家用車に戻った。「自分たちはまだ若い。車があって動く事も出来るしここにいるのは申し訳ない」、そう考えて自宅近くの運動公園の駐車場に向かった。
「怖い」。
余震の度に不安そうにする娘達の姿を見ると車の中で家族が集まって過ごすのが最良だと思えた。
駐車場には男性の家族と同じように車で避難する人たちが数多く集まっていた。中には幼い子供を抱えた家族やお年寄りの姿もあった。皆一様に「避難所に入れなかった」と口をそろえる。
一般に、行政があらかじめ指定した小中学校などの避難所以外で生活する人たちのことなどを「自主避難者」と呼ぶ。指定避難場所では自治体や自衛隊による炊き出しの支援などが優先的に行われるが、自主避難場所ではそうした支援は受けられない。食料や生活必要品の調達は自ら行わなくてはならない。男性一家の食料も瞬く間に底をついた。駐車場には指定避難所に入れなかったという大勢の避難者がいたが、やはり行政からの支援物資は一切届かなかった。目と鼻の先にある運動施設は全国から集まった支援物資の集積場だったが、入り口には「個人への配給は行っておりません」と書いた札を持った自衛官が立っていた。全県地域への適正な分配のために事前に定められていたからだ。わかっていても、もどかしかった。結局、自主避難者たちを支えたのは、ツイッターやフェイスブックなどSNSなどの書き込みを見て駆け付けてくれた一般の人たちからの物資だった。私も男性がツイッターに書き込んだ「SOS」を見て、連絡を取った一人だ。
さらに、こうした「自主避難者」の元には「指定された場所に行かなかったのだから仕方がない」「勝手に避難して、勝手に騒いでるだけ」といった心ない言葉も寄せられていた。「自主」という言葉がいつの間にか「自分勝手」という言葉に置き換えられ、誤解が広がっているように見受けられた。5年前の原発事故で放射能汚染を心配して県外に自主的に避難した人たちへの批判の声が一瞬頭をよぎった。「身勝手だ」と身内や世間からの冷ややかな声に心を痛めてきた方々のことだ。男性のツイッターにも「なぜ避難所に行かないのか」といったメッセージが多数よせられていたが、反論する気力は残っていなかった。「自主避難」という言葉は果たして適切なのか。行政システムによって線引きされた人たちが、社会からも区別されいらぬ誤解を受ける事態はどこかで改善しなくてはならない。私は放送では「自主避難」という言葉には上記したような「避難所に入れなかった人たち」と常に注釈をつけて呼びかけを行っている。想定していなかった大規模災害で避難所のキャパを超え溢れた人たちへの支援をどう行っていくのか、今後の大きな課題だ。
男性はさらにこんな問題点も指摘する。「今回避難者になって特に思ったのが、地域の公共施設はそもそも避難場所としてふさわしい構造になっているかどうかという点です。耐震性など強度に不安が残る古い建物も目立ちましたし、新しい施設でも全面ガラス張りになっているところがあって、結局コンコースしか寝泊まりに使えないなど不安を感じました。そうした場所が使えたらもっと多くの人を収容できたのではと思っています」。
今月20日のNHKの報道によると、熊本市内で避難所になっている78か所の小中学校の体育館について、熊本市教育委員会が調査した結果、24か所ではこれまでの地震による損傷が激しく、今後の余震で被害が出るおそれがあることが分かった。気象庁によると震度1以上の地震発生回数は26日正午までの累計で912回。現場は絶えず揺れている。「車の中で生活を続けるのがなぜか、それは余震が本当に怖いというのもあるんです。建物の中にいる不安も大きな理由です」と男性は切実に語った。
男性一家が長引く車上生活から抜け出すため、今一番気をもんでいるのが住居の確保だ。男性の周囲ではある程度資金に余裕がある人が早い段階から別の場所に家を借りたりして新生活の基盤を整えているという。男性は地震保険にも加入しているが、保険会社に問い合わせると14日の強い地震の直後で既に4万件以上の相談を受けており対応がいつになるかわからない上、全壊でなければまとまった額の受け取りは難しいという反応だった。半壊や一部損壊では住宅を再建するほどの金額は期待できないというのだ。熊本地震では、全壊なら最大300万円受け取れる政府生活再建支援金が、半壊だと支払われない。
※被災者生活再建支援法の概要 (内閣府防災)
http://www.bousai.go.jp/taisaku/seikatsusaiken/pdf/140612gaiyou.pdf
「いっその事ペシャンといってしまってくれていれば・・・」と複雑な表情だ。また市役所に申し込んだ罹災証明もいつ発行されることにになるかわからない。役所に問い合わせると住宅の損壊状況を判定する担当者の数に限りがあり、広域での被害状況で対応が追いつかないと返答があった。男性は「益城町のように全体が被災していたら行政の対応も早いかもしれないが、東区は被害のあるところとないところで濃淡もあり、区として被害が少ないと感じられたら後回しにされることも想定しておかなくてはなりませんね」と不安も隠せない。
そうした中、熊本市では家屋が全壊・半壊した避難者向けの市営住宅の入居申込みを先月下旬から受け付け、今日締め切った。熊本市内の5つの区で合わせて250戸を用意、今週中に抽選を行い6日からの入居を予定している。男性も、二人の娘の学校への通学などを考えると同じ区内の住居に入れるのが一番良いと、市役所に出向き5時間かかって申込みを終えた。熊本市によると半年間の住居費用は市が負担するという。公営住宅への入居が決まれば今の車中生活から解放されて、生活再建の足場が整う。
しかし、入居に向けてはそう簡単な道筋ではなさそうだ。 熊本市が公表した申込み状況によると、昨日5月1日時点で250戸に対して3598人の応募があり、倍率は14.4倍。男性が申し込んだ東区だけに限ってみると、用意された60戸に対して1399人の応募があり、倍率は23倍を超えている。中央区では80倍を超えている状況を見ると、必要な住宅が全く足りていないのがわかる。
「必要な支援はとにかくやはり家です。家があれば、落ち着いて仕事や生活の立て直しが出来ます。そこに入れるかどうか。入れない状況が生まれないよう考えてもらたら」と語り、抽選への望みを託す。同時に民間の住宅会社も空き物件の斡旋を始めたと聞きこちらも申し込んだが、昨日、提供できる物件はなかったと連絡を受けた。
震災から時間が経つにつれて、電気や水道、交通インフラなどが復旧し熊本市内も徐々に日常の姿を取り戻しつつある。しかし、その間で今も生活再建への見通しが立っていない男性のような避難者たちがいることを忘れてはならない。漂流させていいのか。行政、市民社会一体となっての支援を新ためて呼びかけたい。
※ NewsPicks 【堀潤】漂流させていいのか?熊本地震 自主避難者に加筆しました。