2度の震度7の地震に襲われ、今も度重なる強い余震と向き合う熊本県。同じく地震により被災した大分県の住民と合わせると凡そ9万6千人が避難生活を続けている。震度5クラスの地震も頻発し、被災者の皆さんからは電気や水道が復旧しても家に戻りたくないという声も聞こえてくる。震度1以上の地震はこれまでに720回を超え、気象庁は引き続き激しい揺れを伴う地震が起きるおそれがあるとして警戒を呼びかけている。
そうした中、8bitNewsでは避難生活を続けている方々から日々の暮らしを記録した写真や動画を送ってもらい発信を支援する取り組みを続けている。震度7を観測した益城町を始め、熊本市内の各区から寄せられた情報を整理すると避難所や地域によって支援物資の状況なども大きく異なっていることがあらためて実感させられる。住民の皆さんからの写真や映像を一本のYouTube動画にまとめたので是非ご覧いただきたい。
自宅の一階から二階までは一直線にヒビが入っている。建物全体が左に傾き窓には隙間がいくつもできてしまった。度重なる強い余震を警戒し、75歳の父親と下は3歳の子供まで家族9人は自宅の庭にテントを張って生活することを決めた。先週土曜日の大雨や強風にも耐えたと、妹あてにブルーシートで覆われた自前の避難所の様子が動画で送られてきた。
父は足の血管が詰まり動脈瘤ができて手術をしたりとエコノミークラス症候群になりやすい状態ではありますが、忙しく動き回っています。兄のテントを見て一番に思うのは、避難所の駐車場やグラウンドなど広い屋外の方には「丈夫なテント」が一番安心を与え、エコノミークラス症候群も減らせるのではないでしょうか?自衛隊が使うような大きいものなどがあれば良いと思います。
応急的に国は被災地にテントを送るのはどうか、と妹は語る。
熊本市東区で被災した、ぷこぞう(twitter名)さんは19日、熊本市水道局の建物前に設けられた給水所を訪ねた。ブルーシートの上には透明の袋に「非常用」と書かれた飲料水が積み上がっていた。表示を見ると、福岡県や長崎県の文字。隣県の上下水道局からの支援が集まっていたが、水を受け取りに来た人の数は思ったより少なかったという。
熊本市水道局へ来ました
各県から届いていますが、ここで給水できるのを知らない方が大勢いると思います。
受け取りの人少ないです。
特に、自宅や車などで避難生活を続ける人たちがいわゆる情報過疎になっているケースは珍しくない。物資の適正な分配のための情報伝達、これは大きな課題だ。
一方、熊本市中央区に住む、運天佳菜さんの自宅では、19日、水道が復旧した。普段のような勢いで水が出るわけではないが思わず夫婦で歓声をあげた。
堀さーん!おうちの水が少しですが出るようになりました!これだけでも全然違います!
嬉しすぎてご報告します!w
運天さんの自宅は水道は止まっていたものの、電気は使うことができた。自宅の被害も目立ったものはなく避難所などでの生活を免れた。それだけに周囲の困っている人たちの役に立ちたいと可能な限りボランティア活動への参加を続けてきた。
運天さんは水道復旧を知らせる動画と共に、被害の大きかった熊本市城南町の様子も送ってきてくれた。映像を見ると一階部分から崩れ落ちた家屋など深刻な被害が目立った。19日の撮影だ。
熊本市城南の方も地面のひび割れや家屋の倒壊があり、城南橋は通行止めです。
どの橋も規制が多く渋滞です。
最初の震源地の御船方面への交通規制が多いので物資が届きにくいんです。
確かに、日中の熊本市内、周辺部での渋滞が激しいのは先日現地入りして実感した。熊本県は河川の町で橋も多い。ちょっとした幅の河川でも橋が通れなくなればそれだけ交通が制限される。
熊本市南区の避難所で過ごす22歳の女性から、長文のメッセージが送られてきた。避難所は当初は物資が足りない状況が続いていたものの、避難所の責任者やボランティアスタッフの皆さんの奮闘もあり今では有り余るほど物資があるという内容だった。支援物資の他に、自衛隊が炊き出しに来てくれていたおかげでこの避難所だけでは消費しきれないほどのご飯がたかれている、という状況だという。女性が送ってきてくれた映像には物資を入れた段ボールが部屋や廊下に積み上がっている様子が確かに収められていた。
女性は別の避難所で過ごす友人がコップ一杯の水とパンしか食べられていないことを知り、避難所の運営者に直談判。他の避難所に物資を届けることに当初は難色を示されたいうが、最終的に主張が認められ、女性は友人のいる避難所に余ったご飯などを届けることができたという。
しかし、物資の囲い込みのようなことが起きている現状に憤りを隠せなかった。
1度こちらに見に来ていただければ分かるかと思いますが、本当に多くの食料が置いてあります。今朝はもう消費期限が切れるからという理由で、ご飯とパンを取り放題のようにして提供していました。
また、(余った物資を)地区の備蓄として、各自治会に配るようです。町名が書かれた紙がダンボール箱に貼られているのを先ほど見ました。そのようなことをする前に、物資が足りない避難所に配るべきだと話しても、まるでそれが悪いことかのように言うボランティアの方々もいます。こういう状況を多くの人に知ってもらいたいのです。
一方で、食糧物資の不足に悩む避難所からの窮状も届いた。熊本市北区の避難所は公的な支援が届いておらず個人の善意で寄せられた物資などで避難者の食糧を賄っている。水の確保に苦労し、慢性的な食糧不足に悩んできた。
自宅が被災し避難所で暮らす22歳のリズムさんは、一枚の写真を送ってきてくれた。
写っていたのは、オニギリと少しのおしるこ。19日の昼食として配られた食糧だ。その後、だんだんと物資が集まってきているというが、基本的に避難者は自分たちで周辺のスーパーや総菜屋に並び、調達をしなくてはならない。
りずむさんも、余震が続く中、食糧を確保するため被害を受けた家に残っている食べ物を取りに行き「なんとか」生活を続けている。
20日に僕に送られてきたメッセージを紹介したい。
自分の家の方に
今いたのですが体感はもっと揺れました:(;゛゜’ω゜’):
お隣さんとかにも
ここにはおらんがいいと
言われました。
避難生活が続く中、風呂には入れず水で髪を洗う日々。
近所の美容室ではヘッドスパの無料サービスが行われ、昨日は久しぶりにスッキリすることができたという。
その美容室のスタッフも被災し、車での生活を続けていると教えてくれた。
同じ熊本市内でも状況は様々だ。適切な支援を行うために今後どのような対策が必要なのか、政府や自治体も含め多くの人たちとの問題意識の共有が必要だ。