2016/03/20 公式動画
斎藤まさし:40年間市民派選挙に奔走した男「2016年の国政選挙で勝ちたい人たちは、肚を括らないといけない」

2016年3月15日、約40年間市民派選挙に奔走してきた、現在裁判中の斎藤まさしさんが、都内で独演会を行った。彼は野党に対して幻想は持っていない。本当に強い選挙をやってひっくり返すには、今の状況を何とか変えたいと思っている市民自らが主導権を取らないといけない、と複数の経験談を交えて語った。以下は文字起こし。

 

 

2004年から政権交代まで民主党の選挙にはほとんど関わっていたので、(野党に)幻想の持ちようがなかった。もしも4月の解散総選挙がなくて、7月に国政選挙があるとすれば、そこで、バーニー・サンダースが大統領になるような希望を日本と世界でつくるには、野党に頼っていては絶対に駄目。民主党の外部の人間としては僕が1番関わってきたと思うから。野党を共闘させる運動が全国で起きていて、その運動もリスペクトしている。だけど、勝てないし、野党共闘なんて知れてるよ、このままではオリーブの木なんてできっこない、と僕は思っている。なぜなら過去の経験があるから。野党を本当に1つにしようと思ったら、外の人たち、一般の市民が主導権を取らないと。力を持たない限り、野党をまとめるなんてできませんよ。
なんでこんな生意気なことを言うかというとですね、2004年から2009年の5年間の間に色んなことがあったんです。必要な限りしゃべってもいいなと思っているんですけど。まぁその前にね、なんとか次の国政選挙で勝とうと思っている人たちは、肚を決めないと駄目よ、覚悟をしないと駄目よ。それにかかっていると思っています。全ては。どういう肚を決めるかというとね、自分たちで選挙をやるんだっていうことですよ。自分たちがやるんだよ。野党と一緒にやるのはいいんだよ。でも彼らを応援するんじゃ駄目なんですよ。お金も自分たちで集める。選挙運動も自分たちでやる。野党と一緒にやってもいいけど自分たちでやる。もっと1番大事なのは、1番のポイントは、選挙は、勝敗決めるのは最期はね、やっぱ候補者です。どういう候補者か。やっぱり今のサンダースの人格抜きに今のサンダース現象はあり得ない。1番大事なのはこのポイントで、候補者を、自分たちがつくる。野党に任せるんじゃないんだ。そこをやるかやらないかにかかってるよっていうのが、僕が1番今多くの人たちに伝えたいことなんですね。

 


民主党の候補者に一本化するとか、共産党の候補者に一本化するというだけでは、今の政権をひっくり返そうとする力を1つにする、最大の力を発揮することはできないっていうのが、僕の意見なんです。誰もが認めざるを得ない事実があるじゃないですか。民主党支持者も少ないよ。共産党支持者も少ないよ。1番多いのは、今の政権をひっくり返したいけど、どの野党も当てにならないね、と思っている人が1番多いんじゃないですか?違います?僕はそう思っている。20世紀の終わりからずっとそうなんです。だから無党派選挙が勝てるようになったんです。僕はそう思っている。この人たちが1番多いわけ。人が多いということはそれが最大の力じゃないですか選挙では。民主党の候補で一本化するといっても、今度はなかなか共産党が本気で動かなくなる。共産党系の候補者で一本化するって言っても、そうすると今度は民主党系がなかなか動かなくなる。1番いいのは、そのどっちでもない人たちが1番強そうな候補者を自分たちでつくることなんです。これが本当に野党共闘を、野党共闘じゃ駄目ってこと、僕が言いたいのは。野党がまとまったって勝てないよってこと。本当に「無党派層」と呼ばれる、この人たちの代表を候補者にして、そこに今ある野党が応援するとか、一緒にやるっていうのが、1番強い選挙だと思ってる。次の国政選挙では。それを本気でやろうっていうように、今「市民連合」とか「ミナセン」(みんなで選挙)とか色々立ち上がっているけど、僕が見る限りまだそこまでいってないように思う。もう時間切れ近いよっていうこと。下手すると4月総選挙ですよ。逆に言うとね、今野党準備できてないのよ4月総選挙になったときに。候補者どうすんのよっていうのが、1番の問題になる。逆に言えばね、こういう時に候補者を準備していれば、まとまらざるを得ない。この人でどうだ。これ以上のタマがいるか?これでまとまろうじゃないかと提案できれば1番いいと思っている。1番強い選挙がやれる。
でもこれね、言うは易しく難しい。でもできないことではないんですよ。できないことじゃないんです。21世紀に入ってから1番最初に野党共闘が成立して勝った選挙って、皆さんご存知ないと思うんですけど、新潟の補欠選挙って何年だったかな。2002年?2002年に新潟県で参院選挙の補欠選挙があったんです。その頃小泉政権で、小泉政権ものすごく強かったんですね。ほんと強かったんですよね。小泉政権が国政選挙で最初に負けたのが、この2002年、10月だったかあれ?4月だったかな?新潟県の参議院の補欠選挙だったんです。これが小泉政権の国政選挙初黒星。で、こういう時勝てないと思ってるわけねみんな。小泉政権めちゃ強いし。野党バラバラだし。手挙げる人もいない。どの党も自分の党の有力候補、エースはもう傷がつくから出したくないという実情が実はあったんですね。それで、誰か犠牲候補で、勝てないとわかっている選挙でも出るやつはいないかということで、声がかかった男がいたんですね。それがたまたま私が前の年に会った、千葉県の知事選挙で候補者の鞄持ちしてた黒岩君っていう、今衆議院議員してますけども、彼に声がかかったんです。で彼から相談があって、そういうのがあるんだけどどうしようかと言って。僕ね、その前の年に千葉県の知事選挙があって、その時に堂本(暁子)さんっていう女性の参議院議員、その黒岩君が鞄持ちしていた議員なんだけど、その人を知事に引っ張りたいっていう人たちがいて、その応援に入ったことがあって、勝っちゃったんですよ。で、相手は、自公。それから、民主、社民、連合かなあの時はたしか。(別に)共産党がいてっていう中で、こっちは無党派の候補だったわけですよ。全く無党派。何の組織もない。僕が最初に入った時は3人しかいないという。でも勝っちゃったわけね、たった一ヶ月で。その経験があったわけだから。もっと言うとその前から首長選挙で全く無党派で勝てるようになったという。1つはそのことがあったのと、もう1つはその頃の小泉さんの盟友というか、田中真紀子さんとタッグ組んでたもんだから、その頃彼女もすごく人気が高くて、これが高人気の1つの要因だったんですね。真紀子さんは新潟だったわけですよ。ちょうどその時、真紀子さんと小泉さんがけんか別れ状態になってたんですね。僕は、ひょっとしたらこれ勝てるかもしれないなと思った。それまでの新潟って、本当に自民党王国だった。田中角栄っていうすごい人がいて。圧倒的に自民党王国。ひょっとしてここで野党が1つにまとまって、一対一の状況をつくれたら、まぁ当時は共産党は埒外に置かれていたので、共産党が出たとしても勝てる可能性はあると思って、その選挙をやろうということになった。ポイントは、候補者が僕らの仲間だったということと、僕らが既成の政党や労働組合とは別に、市民が1つの塊になってその選挙をやれるっていう状況があった。その時は野党はバラバラだったです。菅さんが代表だった民主党、土井たか子さんが代表だった社民党、それから小沢さんが代表だった自由党、それから小さな小さな中村敦夫さんの国民会議がいて、これぐらいが野党だったんですね。共産党はいたけど、なかなか共産党を入れての共闘は難しいという状況があって。とにかく僕が考えたのは、無党派の市民が中心になって、野党もそこにまとまって、で労働組合も参加して、5本柱って言ったんですけどその時に。選対をつくるということを考えて、まぁ菅さんもよく知ってたし、土井さんもよく知ってたし、中村敦夫さんもよく知ってたので。選挙を応援した関係でね。で、出馬表明の会見にみんな揃ってくれって、頼んだわけ。で、彼らはみんな来たんだけど、自由党の小沢さんが僕それまで一度も話したことなかったわけ。一度も。口聞いたことがなかった。それまでどちらかと言うと僕彼の悪口ばっかり言っていたもんですからね。なかなか会って話するなんていうには難しい関係だったんですけども。どうしてもその出馬表明会見のところに、全部の野党の党首を、まぁ共産党は入らないにしても、党首を揃えて本気度を示したかった。そしてその真ん中に市民がいるっていう構図をつくりたかったんですよ。構図を。これが戦略、勝つ為の。それで今度27日にここに独演会で来る予定の喜納昌吉さん。彼がたまたまその時に、小沢さんを沖縄に呼んでいた。当時ちょうどね、沖縄ー新潟直行便が1日1便できたころでね、事前には言わないで、とにかくぶつかってみようということで、とにかく沖縄に行ったんですよ。日帰りだったか1泊だったか覚えてないですけど。で、いきなり行ったんですよ。彼らがいるところに。パーティー会場かどこだったか覚えてないけど。で、そこで、小沢さん、他の党首みんな来るから、小沢さんも来て、揃ってくれないかって言って、直訴したんですよ。その時に、反応はこうでした。今でも覚えてますけど。「まだその時期じゃねぇ」っていう反応でした。だから結局小沢さんだけ党首来なかった、自由党だけ。でもその時に、野党が1つになってる選挙ってそれまでなかったんですよ、国政選挙で。で、結果から言うとね、誰も予想しなかったのに勝っちゃったわけ、10万票も差をつけて。しかも新潟で。それから小沢さん動き出したんですね。民由合併に。そのへんが彼のすごいところ。

 

古い話をするけど、なんでこういう話をするかって言うとね、野党共闘どころか、民由合併までいくんですよね。党が1つ減って。それまでは「時期じゃねぇ」って言ってた人が、1つの選挙の結果を見て。それ以降もあったんですけどね。2006年だったかな。滋賀県の知事選挙いつだった?2006か?ちょっと覚えてないですけどね。嘉田(由紀子)さんの選挙。滋賀県の知事選挙をやったんですよ。嘉田由紀子っていって、その頃ほんとに全く滋賀県では多くの人が知らない人ですね。で、現職は三期目で、で自公民相乗り。その頃はね、国政でいくら自民党を批判しても、地方の首長選挙で相乗りしている限り国民はそれ信用しないんじゃないんですか?って話、何度かしたこと覚えてるんですけど、まぁでも相乗りだったんですね。だからこの滋賀でも自公民。で、連合、創価学会、あらゆる社会団体がその現職知事。で、共産党は出るけどこれは勝負にならないと思ってて。で、彼女は覚悟を持って、自分のマンションを売ってお金つくって、無謀な挑戦をしようとしていたんですよ。であれも選挙の多分1ヶ月前だったと思うけど、間接的に僕に声がかかって、その時も事務所には嘉田さんと息子さんとしかいなかったんですよ。あり得ないわけ、自公民だけじゃなくて労働組合から宗教団体から色んな社会組織がみんな推薦してる現職に、全く無名の、環境学者がですよ、組織もなくて、わずか一ヶ月で、ひっくり返すっていうのは、常識的にはあり得ない。よっぽど有名なタレント候補とか有名人ならまだしも。誰も名前も知らない。でも結果から言うと勝っちゃったわけですよ。勝っちゃったわけ。その時も小沢さんが民主党の代表だった。すぐに、嘉田さんに会いたいって言って、それですぐ民主党は変わったわけ。「相乗り禁止」って決めて。これ事実なんです。
なぜこんな話をするかって言うと、今何が必要かってことを知ってほしいから。本当に数人なんですよ。さっき言った千葉の知事選の時だって、何人かしかいなかった。でも、その時に、千葉の知事選で言えば、僕は何人かの人たちにその時言ったのは、現職の参議院議員にバッジを捨てて、こんな大冒険をしろって言うのに、ただ「出てくれ」って言ったって出てくれるわけないんだって。そんなのあり得ないでしょ。ぼく達の本気度をとにかく、本気にならない限り無理ですよ。で、1週間の間に、事務所をつくって供託金あれするだけで最低500万いるでしょって。これを集めようよ、って話をしたんですよ。僕もとにかく100万円は集めてくるからっていう話をして、それで、実際に集まったんですね。そこから動き出した。数じゃないんですよ。最初に動くのは、いつも1人とか2人とか。

 

だって3年前、山本太郎くんの衆議院選挙、前の日の夜ですよ。告示日の、あの12月の突然の解散の、前の日の夜、夕方決めたんだよねあれ。衆院選に出るって彼が。岡田てつおはその証人の1人なんですよ。前の日の夜まで、俺と太郎くんと、てっちゃんと、もう1人、代々木の喫茶店で、前の日の夜まで、出る出ない、どこで出るっていう話をずーっとしてたわけ。で、太郎君はどこで出るかも、出る出ないも決めない。で、供託金の締め切り時間が迫ったわけね。とにかく出るっていうことを前提に、実はそれも借金だったんですけど。実は今から言うと。600万ほど借金してお金も用意してて、キャッシュで。それでそういう話をしてて。でももう間に合わないからって言うんで、その中の1人が法務局に走ったわけ。でもまだ決まらない。で、ちょっと待ってもらったらしいです、法務局に。そんなことできるんだなぁと思ってびっくりしたけど。で、決めて、でも、もし出た場合に、選挙の最低限の体制、選挙カーも準備できるように、ポスターも準備できるように。彼がどこで出ても、大阪で出ても、京都で出ても、埼玉で出ても、まぁ僕は東京一区って言ったんだけど、どこで出ても少なくともその日の初日に選挙ができるように準備は実はできました。供託金もキャッシュで用意していたから。彼に出てくれって言ってたのは僕らだったんで。それがなかったら多分太郎くんの最初の選挙は、こっちが肚括ってなかったら、あの選挙は無かったと思うんです、衆議院選挙に彼が出るということは。
最初にそういう、千葉の知事選挙も3人だったし、嘉田さんは本人だけだったしはっきり言うと。でもそこから、始まるんだと思うんですよ。なんで太郎君の選挙やって、負けたじゃないですか衆院選。彼はあれから参院選出るかで出ないかほんとに迷った時期、僕はよく会ってたんで覚えてるんですね。ほんとに辛かったですよね。ほんとに禿げるくらい悩んでたし。でもやっぱり彼があそこで覚悟を決めてくれたことで、自分から、僕は出てくれって頼んでないですからね、参院選に。彼は自分で出るという判断をして、しかも野党にまとまれということを言ったわけですよね。でも、彼が肚を決めたことで、あの短期間にあれだけのボランティアが集まって、あの短期間に70万近い票が、実際東京で出たわけじゃないですか。だから、あの時の太郎くんはやっぱり僕らと同じ、1人の人間、というか1人の市民だったと思うんですよ。俳優としての仕事まで奪われた状態でですよ。お金もない。彼がそこで肚を決めたこと、覚悟決めて、決断をして、突っ込んだことで、色んな人たちにその想いが伝わっていたと思う。でなければあんな短期間にあれだけの人が動くわけがない、と思ってるわけ。で、彼が当選してからのこの2年間の言動は、それを僕は証明していると思うわけよ。これ彼今日本にいないからこれ聞いてないと思うから、持ち上げてもいいと思うから。
簡単な話ですけど、まぁそれこそまさに新潟の選挙もそうだったし。すごかったんですよ、新潟で初めて野党が共闘して、小泉政権に勝った選挙の内幕はね。その時のアエラの記事まだあるから見ればいいけど。ほんとに大げんかですからね。その後新潟の連合の会長になった人が事務局長でその時選対に入ってたんだけど、5本柱の、市民の方のあれで僕そこに出てたわけですよ。選挙の初日に大げんか。で、俺に東京に帰れってその連合の事務局長が言うわけですよ。お前ら出て行け。お前らなんかいなくても絶対勝たせるから出て行け。選挙戦の初日の夜中ですよ、夜中。怒鳴り合い。選挙のやり方が違うから。労働組合の選挙と、ほんとの市民の選挙は全然違うわけ。労働組合の選挙ってほんとに分刻みで全部が決められていくわけ。候補者の動き方も、宣伝カーの動き方も。僕から見ると、これはこなすだけじゃないかと。勝つのこれで?これで勝てるわけないじゃん!と僕は思っちゃうわけ。だからそれは確かに、大きな組織、連合が抜けたら厳しい面もありますよ。だけど逆に言うと、プラスの面の方が僕は大きいと思った。自由にやれるから。1人1人の市民の持ってる力を最大限に生かすにはその方が逆に色々言われなくて済むわけだし。統制がないわけだから。候補者の動き方だってほんとに臨機応変に決められるし。太郎くんみたいな選挙ができるわけよ。だからほんとにそう思ってそういう風に言ったんだけど、でも次の日の朝その人が「ごめんなさい」って言ってくれたおかげで、ほんとに最期に誰も予想のしなかった結果がでたわけ。それはやっぱりね、野党の人たちが、大きな組織の人たちが、ほんとに1つになって、市民と1つになってやるにはね、そうじゃない一般の市民が、そこまで肚決めて、野党とほんとに必死になってね、勝つ為にはけんかもしてっていう関係をつくらないと、僕は野党共闘なんて無理だと思う。やっぱり、選挙は玉ですよ、候補者次第ですよ、っていうのはね、あるんです。今日話したかったのは、これが全てなんです、実は。ほんとにみんなが覚悟決めるかどうか。自分たちで候補者をつくろう。選挙も自分たちでやろう。野党を排除なんて絶対にしない。だって一緒にやれたらその方がもっと力大きくなるわけだから。それをほんとにこの短期間の間に、そんなこと無理だって、っていうのは違うからね。少なくとも、20世紀の終盤、1998年からこれまで、ほんとにみんなが予想もしないような大きな勝利をとった選挙って、全てとは言わないけど、ほとんどはそういう選挙ですから。
今、若い人たちが動き出している。3・11がなければ、多分太郎くんが選挙に出ることも、(三宅)洋平くんが選挙に出ることも無かったと思う。彼らが選挙に出てくれたことで、やっぱりちょっと変わった。それで去年の安保の後にもっと広がってると思ってるの僕は。選挙で動こうって人は、もっと広がってると思う。だからもっと強くなってると思うの。ほんとに動き出しさえすれば。野党に遠慮してちゃ駄目なんですよ。待ってたら、野党がまとまることなんてないし、ましてや勝つことなんてあり得ないよ。今日僕が話したいことというのは、それだけ。
さっきも言ったように、3月31日に解散があるかもしれないと僕は思っている。僕は少なくとも30日間は、外にいるから。もし解散になったら、衆院選やりたいですね。自分たちの候補者を持って、衆院選をやりたいです。多分そうなったとき野党共闘間に合わない悪いけど。27日結党大会でそれから候補者準備って、間に合いっこない。ましてや共産党とくっつくくっつかない、誰をどこで立てるか、そんなことやってたら、とても間に合わない。もし解散になったら。どこまでやれるかはわからないけど、僕は衆院選も、必ずやろうと思っている。
参院選の話しちゃってもいいですか?これも今まであまり話してこなかったんですけど。実は政権交代、色んなポイントの選挙がいくつもありました。さっき言ったように新潟の補選もあったし、千葉で勝ってなかったらそういうこともなかっただろうし。滋賀の選挙がある意味決定的だった。その間にいくつかの補選がものすごくポイントだった。千葉の太田和美さんの選挙とか、山口で勝った補選とか、沖縄県県議選とか、ポイントになる選挙がいくつもあったんですけど実は。最大の山だったのは2007年の参院選だったと僕は思ってます。ねじれをつくった参院議員選挙2007年。ここでもう実は私はほんとに全てを出し尽くしてしまったんですけど。この時一人区が勝負っていうのは、みんな言ってました。みんな共通認識でした。でも僕は、本当に参院をひっくり返すためには、一人区勝つだけじゃ無理ですよって、小沢さんと鳩山さんと菅さんに、その時メモを出した。ポイントは3人区、5人区、その頃4人区無かった。3人区以上のところに2人候補者を立てる。5人区では3人。これをやらない限り、与野党逆転はありませんっていうのが僕の提案だった。これは民主党の中で、それまでの常識ではないんですよ。1つの野党が3人区に2人出すなんてことは、想定外、常識はずれ、あり得ない。サンダースが大統領になるみたいなもん。だから、ものすごい、誰も賛成してくれなかった。でも、もう選挙が近い5月の連休明け頃になって、小沢さんのったんですね。すごい抵抗がありました。現職からは特に。でも最終的に3人区以上、立てたんですよ民主党で。1番大変だったのは新潟で、現職が2人いたんです、2人区で。さっき言った黒岩くんと、森ゆうこさんって皆さん知ってるかもしれませんけど。自由党で出た森ゆうこさんと、その補選で上がった黒岩くんのその2人が民主党にいたんですね。当初は森ゆうこさん1人公認。だけど僕はそんなの絶対反対って。その頃森さん以外に(新潟で)民主党に国会議員5人いたんですね。こんな話した後でまた俺怒られるけど、その時肚決めたんですよ。もし、党本部が森さん1人の公認って言うんだったら、森さん以外の新潟の国会議員5人、もう一時的に分党しようと。新潟民主党をつくって、新潟民主党で黒岩くんを公認しようっていうところまで話をしていました。でもほんとにギリギリになって、2人公認が決まったんです。2人区で2人、あり得ないですよね。で、あわや2人当選までいったんですよ。だって2人区で1−1だったら無風なんですよ無風。わかりますよね。力出ないですよ、みんななにもしない、動かない。当然比例に影響が出る。その時結果的に2人は当選しなかったけど、自民党のほぼ倍の票を取ったこと。これがこの後衆議院の、自民党王国、6つあるんだけど、全部勝ちましたからね。
肚を決めるかどうか。最初からこんな人が多いわけないですってことが言いたい。太郎くんが1人でそうしたように、それを見て三宅洋平がたった1人で次は自分が出るって手挙げたように。僕はいつも1人からでも始まると思ってるんで。僕はもし4月に総選挙があっても、動こうと肚決めてるんですよ。少なくとも4月は娑婆にいられると思うんで。で、3月31日、さっき言ったように(裁判の)結審なんですよ。三宅洋平は必ず来ます、その結審の日に。それから太郎くんも国会が31日なんで、国会とぶち当たらなかったら太郎くんも来てくれます。もし、その日解散だったら、その場で選対つくればいいじゃないですか。だから皆さんも是非ね、この(斎藤まさしさんが無罪を主張し戦っている、静岡市長選挙公選法違反事件の)裁判も見て欲しいし、集会もやるし、その後記者会見もやるんですけど、まぁ、今日話したかったのは、これだけです。

 

もうギリギリかな。もし4月解散だったら、もう肚決めないと間に合わないかな。参院選ももうギリギリです。1人区。1人区で1番いい候補は反TPP候補だと僕は思っている。これが、1人区を勝つ戦略。もし、JAが乗れる候補を1人区で立てられたら、ほぼ勝てます。田舎へ行けば行くほど、最大の選挙の時の実働部隊は、JAと連合なんです。これが自民対野党だったんだけど。今は、これ両方が乗れる可能性が生まれてるんですよ地方は。田舎はほんとに厳しいから。これが実は、TPP法案急いでる、アメリカではとてもこんなもんできそうな見込みないのに急いでる要因だと実はみんな思ってる。僕は1人区に関しては、是非反TPPの象徴のような人を立てたらどうかっていうか、そういう人をなんとかみんなで立てられないかと。で、それに野党がみんな乗る。で、連合、JA、組織として駄目でもいいんですよ。そこがポイントかな、1人区。
それから3人区。もう2人区は事実上棲み分けになると思うので、まあいいけども。さっき言ったもう1つは3人区、4人区、6人区。6人区で、東京の6人区で、市民が候補者を立てられないようだったらこの国は終わりですよ。勝てる候補を東京で立てられないなら終わりですよ。4人区でさえ、僕はずっと東京はやってきました。この40年近くかな。負けたことがないです。例えば、宇都宮徳馬さんという人から始まって、この人も無党派で出たんだけど、中村敦夫さんとか、田英夫さんとか、大河原(雅子)さんとか、(山本)太郎まで、東京はそういう候補、僕が関わらなかった川田龍平さんも含めて、そういう無党派の市民が推す候補が勝てなかったことなんかないんですよ。それで定数が6まで増えて、当時4ですからね、6まで増えて候補者も立てられないようだったら、もう色々言ってもそれは無理、っていうのが僕の考え。で、4人区も、なんの遠慮もいらないと思います。4人区でひっくり返そうと思ったら3人勝たせないといけないんだから。ここで無党派の市民が自分たちの代表を出すことに関して野党に遠慮なんかいりません。4人区は是非そういう候補者を出すべきです。3人区はちょっとなかなか難しいところがありますので、でもそこも候補者次第だと思う。3人区で2人勝つためにはどうしたらいいのか。ていうのが、僕が具体的に今日言えるところ、というところなんですけど、あとはもう皆さんから色々とご意見やご批判やご質問いただければと思うんですけども、長い時間すみません。まぁ今日は独演会なので。

 

おわり

プロデュース :蜂谷翔子
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