東日本大震災、東京電力福島第一原発の事故から間もなく5年。あの日何が現場で起きていたのか。震災のあった2011年当時に取材を重ねた映像からあらためて教訓を得る。
第一回は、当時原発事故による警戒区域に指定されていた福島県楢葉町の町議会議員の証言から振り返る。
東京電力福島第一原発の異変にいち早く気がついた楢葉町の議員たちはいち早く7000人を超える全町民の避難を決め、3月12日午前、いわき市への移動を開始した。普段なら車で20分から30分の道のりも当時は最大で8時間近くかかったという。道路は大渋滞。信号機が止まり誘導する警察官もそこにはいなかった。町議会議員は言う。「もし、SPEEDIが公開されていたら周辺の自治体も一斉に同じ方向に避難をしたかもしれない。そうしたら誰も逃げられなかったかもしれない」。
原発事故時の過酷な避難の実態から未だ議論が尽くされたとは言い難い全町民避難の課題を考える。