南三陸を訪れた者へ防災対策庁舎を勧める人は多い。詩人の和合亮一さんが作品にもしたため、見たことはなくとも厳粛なイメージを抱いている人は多いのではないだろうか。しかし、実際の防災対策庁舎は意外にもこぢんまりしている。強風にあおられる建物の骨組みは、地平線に取り残された亡骸のようだった。バスや乗用車で防災対策庁舎を訪れた人達は静かに手を合わせる。このような震災モニュメントは震災を忘れないための貴重な存在だ。一方で、震災を思い起こさせることが心的ストレスになるという意見や維持費などの問題から解体することを望む声もある。
夕刻、満潮の時間になると地面や堤防の損壊部分から水が噴き出してきた。よく見ると、川の水位も尋常ではないほど高い。瞬く間に、道路に水たまりができ、家の瓦礫が散在している場所は水の底に沈んでしまった。水の中では浅瀬に生息する魚が泳いでいた。地震の影響で町が地盤沈下を起こし、地形そのものが変化してしまったのだ。夕方五時を知らせる音楽が町中に響いた。工事現場から車輌が隊列をなして帰っていく。
2013年9月、佐藤仁町長は防災対策庁舎の解体を発表。震災の遺物がなくなっていく中、どうやって後世に震災を伝えていくのかが今後の課題になる。