2015/12/23 地域
双葉郡の今を知っていますか? 〜 新しい語らいの場 双葉郡未来会議 Vol.1〜

2015年12月5日 福島県いわき市で新しい未来会議が始まりました。
それは双葉郡未来会議です。


震災から4年と9ヶ月が経ちました。
皆さんは今、双葉郡がどんな状況かご存知ですか?
それよりまず、
双葉郡のことをどれくらい知っているでしょうか?
福島県双葉郡は浜通りに位置し、東京に電気を送るエネルギー源地帯とされ
長年東京に電気を送り続けてきてくれましたが、東日本大震災に伴う
東京電力福島原発の事故により一時は全住民が避難を余儀なくされました。

この双葉郡は8町村から出来ています。
双葉町(ふたばまち)、大熊町(おおくままち)、
富岡町(とみおかまち)、
楢葉町(ならはまち)、広野町(ひろのまち)、
浪江町(なみえまち)、
葛尾村(かつらおむら)、川内村(かわうちむら)
それぞれの町と村は合併する事無く今までやってきました。
それ故に震災後原発事故後の対応も各町村によってバラバラだったといいます。
しかしながら、震災前まではお隣りさん同士、お互いの町を行き来しながら
交流を持ってやって来ました。でも震災後はそれさえも出来ない状況に。
今、少しずつ避難解除も進む中で、まずはお互いの状況を知ることが大切だと
始まったのが、
この双葉郡未来会議でした。


未来会議の翌日、私は双葉郡を訪れてみました。
まずは川内村。双葉郡の中でも一早く帰村宣言がされ(2012年1月31日帰村宣言)
現在は村の半数以上の住民が戻っているといいます。

* 2012年4月1日村役場が機能した時点で450人の住民が帰村。
その半年後には900人が帰村。2013年11月には震災時の人口の約半数
1500人以上が帰村した。しかしその多くは高齢者とのこと。


前日の未来会議でお話をされていたお蕎麦屋さん(蕎麦酒房 天山)をされている
井出さんにお話をお聞きました。
井出さんは震災後、東京などに一時避難をされていましたが、
昨年の3月に川内村に戻ってこられたそうです。
震災の時はちょうどお店におり、大きな被害は無かったものの壁が剥がれたり
食器が割れたりしたとの事です。その片付けは夜までかかったといいます。
そして当時消防団に所属していた井出さんは、村で起きた震災による火災の
消火活動や村の安否確認、点検などを行っていたそうです。
震災の翌日、当時3000人程の住民達が暮らす川内村にお隣の富岡町の住民の
皆さんが避難をされて来ました。その数は川内村の人口の倍以上である約8000人。
村のあらゆる施設がキャパを超えて道には人が溢れていたそうです。
その後、川内村にも全村避難指示が村長より出され、富岡町の住人の方を先に避難させた
後、川内村の人たちも皆避難したそうです。
その多くは郡山市のビックパレットへ向かいましたが、避難中はみんなが混乱している中で
人間の怖さを感じたと当時の事を井出さんは振り返っていました。

その後、東京等へ一時避難をし、昨年の3月に川内村へ戻ってこられました。
戻ってきた当初は、町に人が居なくてお客さんも全く来ない日もあって、
戻って来た事を少し後悔した事もあったと言います。
しかし今は戻って来て良かったと思っているそうです。
現在では現場で働く作業員の方を中心に、少しずつお客さんも増えて来ており、
これから先、まだしばらく時間はかかると思いますが以前のようにお隣の町からの
お客さん達も戻って来てくれる事を願っています。

少しずつ避難解除がなされ、人も戻り始めていますが、
震災から4年以上が経ち新しい場所で新しい生活を始めた人たちは
戻りたくても戻れないという人たちも多くいます。
また戻っても町や村に人がいない。生活や商売が思うように成り立たないという
現状もあります。

川内村は原発の立地地域ではないせいか、東京電力福島第一原発30km圏内に
あっても
避難マニュアル等はなく、避難訓練も行われて来なかったそうです。
また川内村の80%以上は森林であり、村民の生業は第一次産業の農業、畜産業、林業が
多いのですが、国は生活圏から離れた森林の除染対策をしない方針にしたので、ここでの
仕事の再開というのも大きな課題になりそうです。
また戻って来た人の多くは高齢者の方だといいます。これからの村の事を考えると
これもまた大きな課題の一つになって来ます。

戻る選択、戻らない選択、どちらにしてもその対立構造は生み出さないようにすべきですが
選べる選択がある事は大事なのかもしれません。

川内村を後にしてからは、国道6号線富岡町方面に向かいました。
富岡町は現在3つの区域に別れています。
住民が帰還できる為の環境整備を迅速に実施している避難指示解除準備区域、
将来的に住民の方が帰還出来るように除染や復旧工事などを計画的に実施している
居住制限区域、
そして現在もなお放射線量が非常に高く、帰れる予定が立たない
帰還困難区域。

富岡町に入るとそれまでの景色とは変わり、除染袋が目立つようになりました。

山道では崩落した土等をいれた袋の付近に、放射線量を示す看板が置いてあります。

町に入ると、帰還困難区域の看板なども出て来て、
地元の方達が利用するスクリーニング場もありました。


福島県は日本でも3番目に大きな県なので、福島県内でも震災後の状況は様々ですが、
その中の双葉郡の中でも更に状況は様々です。
避難解除がなされ住めるところ、4年9ヶ月経った今も高線量により住めないところ、
住めるようになったけど、人がなかなか戻らないところ。
高齢者ばかりになってしまったところ。


この双葉郡未来会議では実際に双葉郡の方がそれぞれのエリアから
震災当時の話や
今現状どうしているかなどをみんなに共有し、
バラバラになってしまったけど
もとはお隣さん同士。
お互いの状況を少しずつでも知りながら、繋がっていく事で、
次の一歩を踏み出す為の新しい語らいの場所です。

また次回も参加したいと思います。

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双葉郡未来会議  http://futabafuture.com/

music: Momoka Akiyama 「笑わない少女」

プロデュース :城島めぐみ
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