2015年の8月、10月に1号機2号機がそれぞれ再稼働した鹿児島県の川内原発。そこから約40~50キロ圏内に位置する熊本県の水俣市は、万が一事故が起きた場合には、福島で言うところの飯館村のような位置づけにある(避難者の受け入れ自治体であると同時に自らも汚染リスクを負う)。
かつて「水俣病」という過酷な体験を味わい、数十年にわたる不断の努力によって環境を回復してきた水俣の人たちは、原発再稼働により再び環境リスクを抱えることになったことをどう受けとめているのか。市が認定する環境マイスターとしての活動とともに、長年に渡り水俣病患者の支援を行ってきた永野隆文さんに話をきいた。永野さんは仲間とともに「原発避難計画を考える水俣の会」を立ち上げ、現状の避難計画の不備を訴えている。
(取材後記)
かつて経済と環境リスクの狭間で揺れた水俣からの声は重い。国(原子力規制委員会・田中俊一委員長委員長)が「原発は100%安全とは言えない」と断言している(*)今、そのリスクを負い続けるのかどうか判断するのは国民一人一人だ。福島の事故の時のように「国や東電は絶対安全って言ってたじゃないか」と政府や電力会社だけの責任にはもうできない。原発立地自治体以外にも広範囲にわたり多大なリスクを負わせることになる原発とどう向き合っていくべきなのか、改めて考えさせられる。
*2014年NRA定例記者会見
https://www.youtube.com/watch?v=UF-271b_lC8