「神様なんかくそくらえ」ジョシュア・サフディ監督インタビュー①:”Heaven Knows What” Joshua Safdie interview (1)

翔子:まずは、映画をつくっていただいてありがとうございました。

 

ジョシュア:どうも。

 

翔子:私は多分あなた達があの映画を撮ったのは理由の1つには、ある種のセラピーとしての理由があったのではないかと思いました。あなたはストリートキッズ達に出会って時間を過ごし、アリエルが既に経験した経験を再び演じた。おそらくそれはセラピーのようなものだったのではないかと…私にはあなたがどんな風に感じていたかはわかりませんが。

 

ジョシュア:そうだね。それはとてもノーマルな反応だよ。というのは、サイコセラピーには伝統的に「サイコドラマ」というプロセスがある。潜在意識にトラウマ的な経験を認識させ、理解させる為に、トラウマ的な体験を本人が再び演じるんだ。この映画のアイディアやコンセプトは、ただそれをやることだったんだよ。パフォーマンスを利用して、悪魔払いをするんだ。だから映画で君はパフォーマンスを観ているわけだけど、悪魔払いを奇妙な形で見ているとも言える。それがこの映画をある種のホラー映画みたいにしている理由でもあるんだ。個人的に僕は破滅的な愛の要素にとても結びつきを感じた。映画の中の数人の中に自分自身を見た。

 

翔子:私はこの映画について読んでいて、あなたがギリシャ神話のような悲劇に興味を掻き立てられていて、それをニューヨークのストリートで見つけた。そういうタイプの美しさがあなたを惹き付けるんですか?

 

ジョシュア:僕はダークなロマンスにすごく惹かれるんだ。僕が育てられた環境とかと関係しているのかもしれない。僕が惹き付けられる愛というのは、どうしようもなくひどくて救いようのない愛だったりするんだ。今まで僕が持って来た恋人関係というのは、どこかしらこの映画と似ているとこがあるんだ。この映画のシネマトグラファーもそんな風だ。この映画に関わったたくさんの人はたいていね。ただ僕の弟は違うんだけどね。ベニーは恋人関係についてとても健康的なんだ。関係がもしも彼に悪影響を与えていると感じると彼は身を引く。この二重性はこの映画にとってとても重要だと思う。

 

翔子:映画の中の音楽で、例えばアリエル・ピンクとか、アンダーグラウンドのライブを好む人が聴くような音楽を使っていますが、音楽を選んだのは、あなたの弟さん?

 

ジョシュア:僕も弟も2人とも音楽のチョイスについてはとても関心を持っていた。誰か1人の決定ではなくて、コレクティブな決定の仕方をした。僕はアリエル・ピンクは今現在アメリカのミュージシャンの中で最も興味深い人物だと思っている。僕は彼に友人を介して出会って、彼は僕がつくった前回の作品が気に入っていると言ったから、僕らはこの映画でコラボすることにした。彼は2時間くらいの長さの音楽をつくったんだけど、結局僕らは彼の曲を1曲最後に使っただけだった。僕らはこれからこの映画の制作過程についてのドキュメンタリーをトランスフォーマー(映画配給会社)にリリースするんだけど、そこでは映画で使わなかったたくさんのシーンと、アリエル・ピンクの音楽を使う予定だ。それから富田の音楽。富田の音楽は、共同エディタであり共同ライターでもあるロン・ブロンスタインに紹介された。僕らはまるで宇宙からきたみたいな感じのするコズミックな音楽が好きなんだ。なぜなら…僕らは人間だからね。コズミックな音楽は何かしら僕らよりも大きな存在にリーチしているような気がするんだ。それから、理由ははっきりとはわからないんだけど、この映画はとてもエレクトロニックな感じがすると感じたんだ。緊張感や熱や感情に満ちているとも。どんな音楽を使うかという決断の後ろには、そいうった映画から感じていたフィーリングがあった。

 

翔子:アリエル・ピンクが今アメリカで最も興味深いというのはなぜですか?

 

ジョシュア:彼には独特の熱狂的なクオリティーがあるんだ。例えば1973年とか1982年とか、別の時代にミュージシャンがアリエル・ピンクのようになることは不可能だった。2010年頃かな、彼が音楽を始めた時代にしかああいう音楽はつくれなかった。彼の音楽の構成の仕方はとても百科事典的なところがあるんだ。彼は今までの人類がつくってきた音楽の色んな知識を持っているんだけど、同時にADD的(他動症候群)で、1つのものに対しての注意力や集中力に問題がある。だけどとても複雑な音楽を彼はつくる。とてもアグレッシブだけど、同時にとても美しい。彼はローファイとハイファイどちらもできる。そして彼はとてもインテリジェントで、歌詞は、何て言うか…天才的だ。何て言うか、彼のようにやっているミュージシャンは多くないんだ。彼はいいポップを作ろうとしている。だけど彼は同時に何か新しいものをつくろうとしているんだ。あまりそういうミュージシャンはいないんだよ。

 

翔子:何か新しいものをつくっている…

 

ジョシュア:そう、実際にとても新しいもの。わかるかな。同時に彼の音楽を聴いて、古い音楽みたいだと言う人もいる。だけど僕らはポストモダンの世界に生きているわけだけど、僕は彼の音楽はとてもポストモダンだと感じている。彼を嫌う人たちは、彼のことを「ブロードウェイのカート・コバーン」と呼んでるよ(笑)「ブロードウェイのカート・コバーン」っていうのはつまり、カート・コバーンのメインストリームバージョンだと彼らは言いたいんだろうけど、とても馬鹿らしいよ。とにかくその描写が馬鹿馬鹿しいから僕は気に入ってるんだよ。

 

翔子:インディーロックは段々古くなっているし、アリエル・ピンクの音は確かにブレイクスルー的なところがありますね。

 

ジョシュア:この映画では使ってないんだけど、今度バイナルでリリースされるレコードがあって、ブラッド・オレンジっていうバンドとのレコードなんだ。デヴ・ハインズのブラッド・オレンジ、知ってる?彼もまた興味深いミュージシャンなんだけど、彼とアリエル・ピンクがコラボしてるんだ。2人の音楽の特徴を知っていればすごく奇妙な組み合わせだと思うはずなんだけど、きっとたくさんの人が気に入ると僕は思ってるよ。

 

翔子:さっき私たちは「ポストモダン」の世界に生きていると言ったけれど、近頃アメリカがどんな感じなのか聞きたいですね。大統領選もやっているし、オキュパイ・ウォールストリート運動とかもありましたよね。今おいくつなんですか?

 

ジョシュア:31歳だよ。

 

翔子:アメリカの「変化」についてどんな風に感じてますか?

 

ジョシュア:僕らはアメリカで、とても…「ポリティカリー・コレクト」(政治的に適切)な世界に住んでる。何かあると人々はとても素早く反応して、プロテストに行ったり、声を上げたりする。だけど僕は彼らの行動が心の底からの「反逆」だとは感じない。とても計算されていて、実際に何も変えてはいない。権力は人々の元にはない。権力は人々からとても遠いところにある。人々ができるのは基本的に叫ぶことだけ。叫んで、そして誰かがその叫びを聞いて共感してくれることを願う。例えば「反逆」事態がもっと純粋だった60年代なんかを見ると、その頃の「反逆」は新しかった。人々は立ち上がっていて、彼らの「反逆」によって社会は変わった。だけど今はもう「反逆」は新しくない。純粋な「反逆」が生まれてからしばらく時間が経った。もちろん「反逆」というのは常にあるものだけど、今ある「反逆」というのはプロテストとか…わかるだろ、物事が実際に変わる時というのは、何かとても暴力的なことが起きるときだ。暴力が伴ったとしても変化は稀だ。そして何かを変えるために暴力を許すというメンタリティーは、とても間違っていると思う。暴力的なプロテストによってしか変化は起こせない、平和的なプロテストによっては何も達成できないというのは、未来に送る間違ったメッセージだ。アメリカは暴力的なカルチャーを持っているんだ。…日本は興味深い。暴力はアートの世界の中で表現されていて、あまり現実の世界では表現されていない。

 

翔子:日本のアートを見るときに、暴力が表現されていると思う?

 

ジョシュア:もちろん。それもすごくね。漫画とかアニメとか、映画の世界だって…例えば園子温の映画とか、すごく好きだよ。すごく暴力的だ。北野武の映画なんかもそうだけど、「暴力」はここでは表現されるものなんだ。現実の世界ではなくて、表現を通じて「暴力」が発散されている。僕には何がより良いかはわからない。多分向こう50年くらいはわからないだろうね。この映画の中に出てくる人たちはみんなアクションをとっていた。そこに僕はいくらかインスパイアされたというのは確かだ。彼らはみんなアクションを起こす。

 

翔子:映画の中には動物的なアクションや行動がありましたね。この映画を撮り終わった後、あなたと弟さんは、自分たちの人生に対する興味をいくらか無くして、他の人たちの人生に興味を持つようになったと読んだんですけど…

 

ジョシュア:それ、どこで読んだの?

 

翔子:このもらった冊子で。

 

ジョシュア:このCDの中身は何なの?

 

翔子:映画のサンプル。

 

ジョシュア:映画が入ってるのか。それがDVDなわけね。

 

翔子:サンプルです。

 

ジョシュア:そうだね。しばらくは、映画づくりというものが少なくとも僕にとってはとても自伝的だった時期があるんだ。20代前半で僕が興味を持っていたのは、自伝的なアートだった。コミックブックとか、映画とか本とか、音楽もね。lo-fi(低いプロダクションクオリティー)の音楽を聴けば、自分はそのアーティストとより距離が近づくような気がした。lo-fiの音楽にはプロデューサーの意向とか、規制とか、そういうものが無いからね。だけど年を取るにつれて、これは普通の論理的なプログレッションなんだけど、成長して、自分の殻の中から出る、色んな教訓を学んでね、そしてそれから…自分自身を他の人々の中に見い出したくなる。それが僕らの本質的な興味になっていった。だけど僕らはもしかしたらアメリカでテレビのショーをやったりするかもしれないんだけど、それはすごく自伝的なんだ。だからそれについては何て言っていいのかわからないね。自分自身を搾取しているような気分なんだ。アリエルも時々そんな風に感じている。映画によって彼女自身の人生を搾取したとね。自分自身を売りに出しているみたいだから、彼女はもう自分の本を出版するのはイヤだと言っているしね。アートは自分自身の人生の搾取だという見方は興味深いね。

 

翔子:確かジョアン・ディディオンか誰かが、ライターはいつも人を売っていると書いていたと思いますが…

 

ジョシュア:どんなコミュニケーションだって、何かを売っていることだよ。

 

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『神様なんかくそくらえ』

12月26日(土)新宿シネマカリテほか全国順次公開

 

監督・脚本・編集:ジョシュア・サフディ、ベニー・サフディ

原案:アリエル・ホームズ

出演:アリエル・ホームズ、ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ、バディ・デュレス、ロン・ブラウンスタインa.k.a. Necro

音楽:冨田勲、アリエル・ピンク、タンジェリン・ドリーム、ヘッドハンターズ

2014年/アメリカ、フランス/英語/97分/カラー/日本語字幕:石田泰子/R15

原題:Heaven Knows What

配給・宣伝:トランスフォーマー

 

公式HP:http://heaven-knows-what.com/

Twitter:@HeavenKnows_JP

Facebook:facebook.com/HeavenKnowsWhat.JP

プロデュース :蜂谷翔子
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