2015/10/19 政治
強行採決から1ヶ月:日曜日のストリートでのスピーチと私たちの中の忘却システム

9月19日の強行採決から約1ヶ月。晴れた日曜日の午後。渋谷のハチ公前でSEALDsやT-nz SOWLや野党議員たちが渋谷のハチ公前で街宣。

 

 

現役高校生から現役の政治家までそれぞれの立場からの見解や知識で、民主主義についてのコンセプチュアルな問いかけや、野党の共闘に向けて彼らは言葉を発した。彼らの新しい具体的なディレクションは「野党共闘」による現政権の打倒。強行採決後、デモや集会に人々が持ってくるプラカードの言葉も、衣替えをしたように「野党共闘」へと方向性を示し始めた。SEALDsの奥田愛基くんは1ヶ月前に国会正門前で、安保が強行採決された後、牛歩をしなかった野党議員を信用はしていないと率直な気持ちを話した後、野党はちゃんと国民に向かって下さいよ、と話した。「言うこと聞かせる番だ俺たちが」と彼らはコールをする。「野党はがんばれ!」「戦争反対!」と彼らはコールをする。この日のステージの最後にはスチャダラパーがパフォーマンスをした。

 

 

川内原発が再稼働されたすぐ後の2015年8月12日、安保に反対するミュージシャン達がハチ公前でパフォーマンスをしたWorld Peace Festivalではshing02が、「平和」とはラテン語で、人々が一緒であること、繋がり、団結するという意味する。つまり「断絶」の反対だと語りかけた。ラテン語の語源の意味を辿ると、「平和」の対義語は「戦争」ではなくて「断絶」である。(WPFについての記事&動画:http://8bitnews.org/?p=6302)

 

 

70年前に終わった世界大戦では、色んなものがめちゃくちゃになった。人もたくさん死んだ。権力は再編成し、戦後処理が行われたり、行われなかったりした。そしてまた新しい戦争が始まったりした。戦争というものも形を変えている。アメリカの影響下から抜けられずにいる敗戦国の日本は、歴代政権がずっと認めてこなかった集団的自衛権の行使を政権与党が認めた。2015年の秋の出来事。アメリカ国内ではイランの核プログラムについて大々的に報じられる一方で、マサチューセッツ工科大学のノーム・チョムスキーは、世界の平和にとっても最も危険な国はアメリカであると語っている。日本の野党勢力と大衆運動は「平和」のために1つになることができるのだろうか。

 

 

「民主主義」の先には何があるのか。福島で原発事故があった後に、セシウムとは人体に何をするのか、ストロンチウムとは人体に何をするのか、福島で一体何が起きたのか、放射能について激しく警告を鳴らしていた、オーストラリアのヘレン・カルディコット博士は「私が欲しいのは、国民が情報を与えられた環境下での民主主義 ”informed democracy” です」と話していた。私たちの情報はどのように制限されているのか。どうすれば何かを判断する為に必要な情報を得ることができるのか。多数の労働者の生活はあまりにも忙しいように見える。

 

 

日本やヨーロッパ諸国と同じように、民主主義国家の顔を持っているアメリカでは、戦争の費用についての話がラジオで流れたり、大量破壊兵器なんて無かったのに他国を侵略してしまって、外国の普通に生活をしているだけの市民を何十万人も殺してしまって、それから他の国の土地で利用した劣化ウラン弾の後遺症なんかを残していったりする。そういうアメリカという国家の姿をどのくらいの日本人が知っているのだろうか。

 

 

私たちはどんな情報を持っているのか。どんな情報を誰から与えられているのか。どんな情報を直接得ているのか。

 

 

10月18日の夕方、SEALDsの街宣が終わった後、聴衆の数がぐっと減った後に、脱被ばく実現ネット(旧ふくしま集団疎開裁判の会)が、11月7日の新宿アルタ前でのデモの宣伝をした。11月7日の午後2時からスピーチなどのアピールをし、3時頃にデモはアルタ前から出発する予定。彼らはプロジェクターで福島県富岡町の土地に、放射性廃棄物の入った黒い袋が広範囲に山積みになっているのをドローンが撮影した映像などを流した。除染をしても、ゴミ袋が庭先に置いてあったりする。核のゴミはどこにも行かない。原発事故は全く収束していなくて、子ども達を被ばくから守るという体制を4年半経ってもこの国はつくれていないと彼らは訴えた。子どもを持つママ達のグループ「ママデモ」は、野党は子どもを被ばくから守る「脱被ばく」でも共闘してほしいとスピーチした。11月7日のデモの呼びかけ人は:広瀬隆、坂本龍一、おしどりマコ・ケン、柳田真、神田香織、崎山比早子、満田夏花 。福島のあの壊れた原発はきっと忘却の中にある。10月13日、DOMMUNEでは、「イメージの中の福島/フクシマ/FUKUSHIMA」というタイトルで、開沼博さん、藤井光さん、そして遠藤ミチロウさんが細かく話し込んでいた。ミュージシャンの遠藤ミチロウさんは自分がドキュメンタリーを撮ってしまったことを、少し照れながら話していた。最後には福島弁で歌を歌った。私たちのイメージの中の福島、イメージの中の東京、イメージの中の日本、イメージの中のこの文章を書いている私…イメージの中のこの文章を読んでいるあなた、イメージの中の認識。

 

 

忘れないためにはそれなりに努力をしなければいけない。メディアは私たちの細かい事情や感情や人生のストーリーを代弁しようと試みることはできるけれど、そこには何かしらのフィルターがかかる。どうやって忘れないようにするかは、きっとそれぞれが考えるしかないことかもしれない。できるだけプロのメディア人や専門家やオピニオンリーダーなんかに頼らずに。あなたの言葉で。

プロデュース :蜂谷翔子
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