厚生労働省が発表した平成24年度の子どもの貧困率は16.3%と過去最高。6人に1人の割合で子どもが貧困状態に該当する。また2007年の都道府県別貧困調査では沖縄県の貧困率は29.3%と全国で最も高かった。(山形大学人文学部、戸室健作准教授発表による)
「子どもの貧困率」が高まる一方、その実態は見えにくいようだ。
「自分が住んでいるすぐそばで、子どもがご飯を食べられていない現状があるなんて気がつかなかった」
こどもフードバンク沖縄・代表の砂川和美さんは話す。
砂川和美さんは食べ物を満足に食べられない子どもたちが増えていることを新聞記事で知り、夫の砂川正広さんと共に「子どもフードバンク沖縄」を立ち上げた。同団体は2014年11月にスタートし、子どもがいる困窮した家庭や子どもたちの多い家庭に対して無償で食糧の提供をしている。また食料を提供している家庭ごとに、他にサポートを必要としている家庭がいないか聞き込み調査を行うことで支援活動を広げている。提供する食糧は、企業や個人、公的機関からの寄付が元になっている。
■1日の食事が給食だけの子どもたち
娘が市で沖縄の中でも経済的に厳しい家庭が多い地区の小学校に通っていたので、「実際どうなの?」と聞いた。そしたら給食の時間だけ来て、給食だけ食べて帰る子がいるんだよと教えてくれた。驚いて、「その子はご飯ないの?」と聞いたら「そうだよ。給食しか食べてないんだよ」って。それで少しずつ実態がわかってきたんです。と正広さんは話す。
関東に住んでると、ちょっとお腹空いた時に戸棚開けると家にも会社にも届く範囲で食べ物探せますが、困窮した家庭では本当に食べ物がない。戸棚開けても冷蔵庫開けても空っぽ。おやつも食べれずご飯も食べられない子どもたちがいる。給食があるときはまだいいですけれど、給食1日一回ですよね。夏休みになると、一ヶ月食べられない子どもたちが本当にいる。そういうことを知って欲しいと思います。
東京から沖縄に移住し現在子どもフードバンクの活動に携わっている渡辺明日香さんは言葉を強めた。
■戦後から続く負の連鎖
沖縄市教育委員会の調べによると、沖縄市内で最も就学援助率(※)が高い校区では、利用率が48%にも登る。(平成26年度時点)
同校区付近には、戦時中に戦争孤児院のための孤児院があった。同孤児院からもらわれていった子どもの中には教育や躾けを十分に受けられず、労働者として働き生き延びるも、そういった子どもたちが親世代になった時に、子どもを躾けたり、教育をすることができない。そこで再び教育を充分に受けられない子どもが育ち、また大人になっていく。その連鎖が繰り返され今の貧しさにつながっている背景がある。
また本土は社会保障や経済成長が進む一方で、沖縄はアメリカ軍に統治されていたことで制度の整備が遅れた。その時に生じた格差が今も埋められないでいると正広さんは説明する。
* * *
戦争の与えた影響が現在にも残り、次の世代への連鎖が今も繰り返されている。しかしその一方で、自らが住む地元に目を向け行動を起こす大人たちが増えていく。長年支援活動をしてきた人もいれば、砂川さんご夫妻のように活動を始めたばかりの人もいる。1人ができる範囲は限られているが、こういった関心の輪が広まればと思う。
(※)
就学援助とは、生活保護受給者もしくは市民税が非課税世帯に対し、小・中学生の学用品費や通学費、医療費、給食費、修学旅行費などを支給する制度のこと。
「平成27年度版 子ども・若者白書」によると平成24年度における就学援助率を受けるとか子どもの割合は15.6%(過去最高)となっている。
ーーーーーー
子どもフードバンクおきなわ < http://kodomo555.ti-da.net/ >
2014年11月に設立。経済的に困窮しているひとり親世帯や子どもたちの多い家庭に対して食のサポートを行っている。