皆さんはご存知ですか?
横須賀の観音崎にある「たたら浜」にゴジラの足跡(1/10サイズ)がある事を。
映画 初代ゴジラが観音崎沖に出現したというのを記念して作られたそうですが
ゴジラと言えば、昭和29年ビキニ環礁での水爆実験により海の中で古代の眠りから
目覚めて、放射能火炎を撒き散らし、東京を破壊していくという物語。
単なる怪獣映画ではなく、「一番の被害者はいつも民衆である」という本多監督の戦争体験
や当時社会問題とされていた「ビキニ環礁での水爆実験、第五福竜丸の被曝事件」などから
核兵器の怖ろしさや愚かさを訴えるという胸に詰まる内容です。
またこの初代「ゴジラ」の主演をした宝田明さんも戦争で悲惨な体験をし、
自らのその体験を語り継いでいます。
このたたら浜を含む観音崎公園は昭和50年に完成した神奈川県下最大の公園です。
そしてこの公園一帯は、明治時代から砲台が築かれたり、軍の要塞になっていた為、
1945年(昭和20年)8月15日の終戦の日と言われる日まで一般人の立入は禁止でした。
その為、前回ご紹介したような砲台跡やそれ意外もたくさんの歴史の跡地があります。
例えば観音崎公園の中をしばらく歩くと、浦賀水道が一望できる場所に戦没船員の碑が
あります。こちらは太平洋戦争に巻き込まれ、戦いで命を落とした一般の商船や漁船の
船員たちの御霊を慰霊する為に作られたもので、戦いで命を落とした一般の船員達は
6万人を超え、その数は軍人の数を上回ったと言われています。
そして、その中の約3割は未成年だったとされているそうです。
更に2500隻を超える船が海の底に沈みました。
また、こちらの慰霊碑には戦後の海難事故などで死亡した船員達も祀られています。
その為毎年この場所では「戦没・殉職船員追悼式船員の追悼式」が行われており、
天皇陛下も出席されています。
戦争は昔起きた出来事のようですが、今もなおどこかで争いは起き続けています。
もしかしたらある日突然、私たちが戦争に巻き込まれる日常になるかもしれません。
そうならない為に今、私たちが出来る事は何なのか?
戦争の体験者の話を聞いたり、跡地を廻って考えてみる事が必要なのかもしれません。
本当の意味での戦後を作っていく為にも…。
いつまでも平和であり続けますように、願いを込めて。
建立記
昭和十二年七月に端を発したさきの戦争において わが国の海運水産界は六万余人に及ぶ
尊い船員の生命と二千五百隻 八百四十万総噸を越える船舶を失うというまことに大きな犠牲
を払いました
それから二十五年 わが国の海運水産界は再び隆盛をとりもどし昔日にまさる繁栄を見るに
至りましたが 私どもはこれら多くの戦没された船員の労苦を偲びその霊を慰めるとともに世
界の海に二度とこのような悲劇をくり返さないように致さねばなりません
こうした私どもの願いは昭和四十四年七月財団法人戦没船員の碑建立会の発足となり
多数の人びとの協力を得てここに記念碑を建てて 戦没船員の名簿を収めることになりました。
見渡す限りの大海原 変わることのないこの大自然を前にして この地を訪れる人びとと共に
心をあわせてこの記念碑が永遠の平和の光となりますよう深い祈りを捧げるものであります
碑文
安らかにねむれわが友よ 波静かなれとこしえに
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参照
公益財団法人 日本殉職船員顕彰会
http://www.kenshoukai.jp/senbotuhi/senbotuhi.htm
music: Momoka Akiyama 「笑わない少女」