1965年の9月30日に100万人以上とも言われる人々がインドネシアで虐殺された。虐殺は「虐殺」としてではなく共産主義のレッテルを盾にして「共産主義者の撲滅のための英雄的な行為」として多くのメディアは伝えた。殺害を正当化するための大々的なプロパガンダ・キャンペーンがはられ、インドネシア軍の管轄下で虐殺を行った民間の殺戮部隊の人々は、人を殺した罪を問われることはないまま時が過ぎ現在に至る。殺戮者たちの多くは今ではインドネシアで権力の座に就き、虐殺の犠牲者の家族が住んでいる同じ社会の中で、虐殺の真実に触れずに暮らす。そして犠牲者の家族は1965年の虐殺の加害者たちに囲まれながら今も暮らしている。
恐怖や罪の意識、または罪の意識に対する恐怖のような、透明で目に見えなかったものを、「アクト・オブ・キリング」と「ルック・オブ・サイレンス」の2本の映画は前代未聞の独特の手法と勇気によって人々の目にはっきりと見える形にして示し、「虐殺」の事実を覆っていたカーテンを取り払いました。沈黙の中で人々が直視することができなかったインドネシアの現在のリアリティーを映したオッペンハイマー監督は「この映画は歴史についてのドキュメンタリーではありません。現在についてのドキュメンタリーなのです」と念を押した。
2015年6月3日に、「アクト・オブ・キリング」と「ルック・オブ・サイレンス」の監督ジョシュア・オッペンハイマーと、「ルック・オブ・サイレンス」に出演している、虐殺で兄を失い、その加害者たちに囲まれながら生きてきた眼鏡技師のアディ・ルクンが来日し、試写会とパネルディスカッションが行われた。
例えば、ナチスが今もユダヤ人の虐殺の罪を問われず、世界中がユダヤ人の虐殺を英雄的な行為として祝っていたとしたら、殺された遺族の人々はそういった世界で加害者たちと、加害者を英雄として扱う一般大衆に囲まれて生きていくにおいて、どのような気持ちがするでしょうか?とオッペンハイマー監督は映画の説明をするために他の虐殺の例をあげた。
きっと、1965年にインドネシアで「共産主義者」たちを殺害した人々が自慢げに人殺しについて語ったように、もしもナチスが歴史的に裁かれていなかったなら、今でもナチスはユダヤ人の虐殺を誇らしげに語り、権力の座についていたかもしれません。そして一般の人々は虐殺の事実を知りながら虐殺について口にすることすらできずに、恐怖を抱えながら生きていかなければならなかっただろうと想像します、とオッペンハイマー監督は話した。
アディ・ルクンさんは、「ルック・オブ・サイレンス」に被害者の家族として加害者に直接会いにいきインタビューをするという映画製作の手法を取ることで、当然多くのリスクを背負った。被害者側からタブーにメスを入れることで、加害者側から何か攻撃があるということは十分想像でき、実際にオッペンハイマー監督もインドネシア軍に撮影をやめるように圧力をかけられたこともあった。しかし、アディ・ルクンさんは「全てを終わりにするためにドキュメンタリーに出演しました」と話した。加害者たちを責めたり、無理難題を突きつけるためにこのドキュメンタリーに出演したのではなく、今でも同じ社会で生活している加害者側と被害者側の人々の子ども達が、これから友情を育んだり、結婚してゆく中で、これを過去の問題として無視することはできません。未だに「共産主義」という烙印を押されている人々がインドネシアにはたくさんいて、その一方的な悪い意味合いを持った烙印を人々に押し続けることをやめなければ、このような虐殺はまた起きるだろうと私は考えています、とアディ・ルクンさんは想いを語った。
日本の学生に対してのメッセージを、と言われたアディ・ルクンさんは、「自分の国が過去にどのようなことをしたのか、歴史をしっかりと学んで下さい」と言い、オッペンハイマー監督は「この映画はどこか知らない国での出来事を覗くための窓ではなく、自分たちの姿を映す鏡として捉えてほしい。私たちは過去そのものなのです」と語った。
「ルック・オブ・サイレンス」は7月4日(土)より、シアター・イメージフォーラム他 全国順次公開