自由民主党の原田義昭・衆院議員と片山さつき参院議員が2015年3月24日、日本外国特派員協会にて、尖閣諸島に関する記者会見を行った。
中国の公船が殆ど連日我が国の尖閣諸島の周辺水域に侵入している。中国の公船は2008年12月以降に侵入をはじめ、特に、2012年9月(日本政府への所有権移転)の後、今や接続水域には月20日前後、領海にも月3,4日侵入を継続的かつ計画的に繰り返している。日本の尖閣諸島領有へ圧力と脅しを意図しているとでも思わざるを得ない。主権国家日本としては安全保障上の極めて重大かつ深刻な問題であり、国際社会では我が国の権威が貶められ、また国民感情としても堪え難い屈辱でもある。一日も早くこれら中国の国際法違反の侵入行為を止めさせなければならない。
ここで尖閣諸島に掛かる歴史を概観する。
日本の明治政府は1895年(明治28年)1月閣議により日本国への編入を決定した。これは約10年掛けての事前調査の結果であり、法的には国際法上の「先占」にあたる。以来75年間、どこの国からも日本領有への異議が出ることはなかった。こ、の間にはこの島に断続的ではあるが日本人が住み活動し、200人を超す日本人が住んだ時期もある。中国が領有の主張を始めたのは1971年12月である。国連のECAFE (アジア極東経済委員会)が海洋調査を行い近隣に豊富な海底資源が賦存するとする報告を行った。これが中国に権益主張の契機を与えたと言われている。
一方中国はこの1971年までの間、あらゆる記録でこの島が日本領であることを認めていた。入手した最終の資料として1969年発行の地図を提示する。発行所は中華人民共和国国家測絵総局であり、作成者は日本で言う「国土地理院」で、日中間に明白な国境線を描き、日本名の「尖閣群島」と明記されている。更にこの地図には「毛沢東語録」が前文として掲げられてその正統性を権威づけている。
ちなみに中国の領有への言い分は1895年頃に遡り、尖閣諸島は日本が帝国主義的戦争(日清戦争)で中国から強奪したと言うことらしいが、1895年4月には講和条約(下関条約)が結ばれその中では尖閣諸島は一切議論されていない。更に古代に遡っての領有の主張は現代社会ではおよそ取り得る理屈ではない。かくしていかなる意味でも、尖閣諸島は歴史的にも国際法上も日本の固有の領土であり、政府が「領土問題は存在しない」と断ずる所以であり、ここに改めてそのことを確認する。
(1)政府は中国政府に対し、尖閣諸島海域への侵入を直ちにやめることを引き続き要請すること。
(2) 政府はその旨、国際社会に向かって宣言し、国際社会にも最大限の協力を得るよう努力すること。日本と中国が平和裏に外交関係が出来ることは国際社会にとっても重要な要素であると考えるからである。
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