2015/02/02 政治
【戦後70年 みんなの戦争証言アーカイブ】元特攻隊員がナチスドイツから渡った幻の新型戦闘機「秋水」開発秘話を明かした

yoshimoto_archive_mainimage-11945年(昭和20年)、満州国境を越え突如侵攻したソ連軍から命からがら日本本土へ引き揚げてきた経験を持つ、俳優・宝田明さんや女優・赤木春恵さん、そして、日本敗戦の分水嶺となったミッドウェー海戦を戦った帝国海軍水雷長の谷川清澄さんのインタビューなど戦後70年を前に太平洋戦争を体験した当時の現役世代の方々の証言を記録し公開するプロジェクト「みんなの戦争証言アーカイブ」が新たな男性のインタビューを公開した。http://true-stories.jp/?p=274

今回は、海軍兵学校に学び特攻隊のパイロットとして終戦を迎えた、吉本淳一さん90歳。「執着を放棄するっていうのが特攻の心情です。目的に当たるまで目を見開いて冷静沈着にぶち当たるというね」と当時の心境を語る。

吉本さんは、1924年(大正13年)、現在の山口県光市で7人兄弟の長男として生まれた。幼い頃から体が弱く小学校も休みがち。青白くてひょろりとした姿はまわりから「電信棒」と呼ばれる程だった。

吉本さんが育った熊毛群岩田村はかつて高杉晋作率いる奇兵隊の練兵場があった場所。小さな胸の中には絶えず「陸軍への強い憧れ」があったという。心身を鍛えるため真冬でも毎朝井戸端に行って水を被った。中学2年になり士官を養成する陸軍幼年学校を受験。しかし結果は不合格。試験官は「軍人になる資格はない。山へ行って体を鍛えろ」と吉本青年に言い放った。

それから3年。時は日米開戦の翌年、昭和16年11月。吉本さんは海軍兵学校に合格。「いよいよ敵国アメリカを撃つ」という思いを胸に江田島での寄宿生活をスタートさせた。 目指すは零戦のパイロット。兵学校での教育は驚きの連続だった。中学では「敵性英語」だと言われほとんど習わなかった英語教育が徹底された。英語は国際用語として世界に展開するためのコミュニケーションツールとして必要だというのだ。高度な数学や科学、そして物理。原子論から量子論まで毎日8時間の教育プログラムが用意されていた。

そして、霞ヶ浦航空隊に入隊。「軍国主義というより、逆にリベラルだった」という兵学校での生活。戦況が悪化するにつれて吉永さんを取り巻く環境も大きく変わり始める。

吉本さんは玉音放送後、ソ連軍に対して特攻を仕掛ける、として武装解除に応じることなく反乱軍に加わった経験も持つ。

プロデュース :HORI JUN

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