2015/01/10 文化
自粛を知らない沖縄のミュージシャン喜納昌吉が唄ったこと

表現を自粛しない人間に対して、時と場合によって様々な形で「弾圧」は降りかかる。出る杭は打たれる。それでも表現者は表現をやめない。去年11月の沖縄県知事選挙で、圧倒的な批判を受けながら出馬した沖縄のミュージシャンの喜納昌吉さんが知事選中に唄ったことを紹介する。

 

 

「さぁ~、一言私にしゃべらさせて下さい皆さん。辺野古と普天間、普天間市と名護市がけんかするような仕組みを作ったのは誰でしょうか?沖縄の復帰の欺瞞性を私が訴えたらどうなるんでしょうか。あの少女のレイプ事件はどこに行ったのでしょうか。沖縄の平和運動は犠牲が無ければ成り立たない。誰かがレイプされ誰かが殺されて誰かが強盗に合わないと沖縄の平和運動は成り立たない。いつの間にか平和運動も単なるピース事件に成り下がって。皆さん沖縄の世論を誘導する道具になってしまって、あぁどうすればいいんでしょうか。

 

 

みなさん、大和のみなさん、一言言わさせてもらいます。あなた方は辺野古の反対という言葉にジョイントして平和の仮面をかぶるなよ。そう言ったら怒りますか?私はなにがしに辺野古の海を反対するならただ取り消しをやればいいと言ったのに、この本人言葉をぼかして逃げるのみ。マスコミもこの人を隠すために私の言葉を歪めて新聞記事にする。それを見た大和の偽善者達、平和の偽善者達は私をツイッターで批判するだけ。なんとおぞましいこの歴史の瞬間をいつか沖縄の人たちは見抜いて言うだろう。『私たちは日本人ではない!』

 

 

さぁ沖縄は日本人ではないこれが唯一のタブーの論理。沖縄は日本人か!?さぁ誰か答えて下さい。沖縄は日本人ですか?これが歴史のタブーです、はい。誰か答えて下さい。なぜ黙るんですか?これが最高の議論のテーマになるべきです。日本の利権集団は、あるいは沖縄に住んでいる日本人は、なるべく穏やかに沖縄をおさめたい。時間が経てばこの沖縄は日本のものになると。さぁ~それは沖縄の神が許しません。他の3名は大和の仏壇あるいは神棚に手を合わせた。私は久高に行って沖縄の神に手を合わせた。そのことをわかる人は何人かな?沖縄の人たちも自分が沖縄であることをとっくの昔に忘れてしまって。うちなーぐちを使えば暮らしにくい世の中になりました。だから芝居も民謡もゆっくりと死にかけています。

 

 

地球の裏側ではウクライナで戦争をする人がいる。さぁ不思議だね。ナチズムであった人達が今はシオニストと一緒に手を組みロシアのプーチンに喧嘩を売っている。さぁISIS、イラク•シリア国家の人々はスンニ派、シーア派に分かれて、目的は1648年のウェストファリア条約、無理に作られた国境線を壊す為に我々は立ち上がったという。あるべきイスラム国家の姿を求めて人を殺し、他の教徒を悪魔の教徒とののしり殺していく、さぁ不思議だね。そうしてブッシュJrの頃にネオコンという人達は同じように、ISIS国家と同じように1648年の国境を無くさないとNW、ニューワールドオーダー全旧家世界は統一できないと不思議に相対峙する。イスラムと両国家が喧嘩をしている誠に不思議だね。

 

 

アブラハム、イサク、ヤコブの系統からユダヤ教が生まれて、それからキリスト教が生まれて、そうしてイスラム教が生まれて、この不思議なことに、お互いのメシアのパテントはユダヤにあるあるいはキリスト教にあるイスラム教にあると言って神のパテント争いをしてる。さぁ沖縄から見ると、アブラハムはうかんぶすくざっぱ(?)だと思います。なぜならば彼はサラと子供を生む前にエマニエルという…、ハガルだったかな?ハガルという人と子供を産んでいる、それがアラブ民族になり、サラと産んだ子供がユダヤ民族なり。この系統からキリスト教、キリスト教が生まれ、さぁこのキリストとイスラム、モハメッドとモーゼの喧嘩がこの地球を地獄に変えようとしています。

 

 

さてこの日本は日の丸という国旗をつくっているけど、日の丸のマークは日本に最初にはありませんでした。それが日本の歴史のタブーです。日の丸は沖縄の船にかかる三角条、三角旗の日の丸をなりあきらが沖縄からとって日本の国旗にした事実があります。一度は菊の御紋、葵の御紋を日本の国旗にしようとしたんですけど、その頃の国政は『一家族の家系の紋章では駄目!』もっと日本国を象徴するシンボルをと言われたので、仕方が無く北海道開設青年隊が薩摩からもってきた日の丸をだしてそれが日本のシンボルの国旗になったとさ。

 

 

みなさんよく考えて下さいよ薩摩揚げを、沖縄のアンダーギー。サツマイモは沖縄の野国総管が持ってきたイモですよ。全て大和の文化は沖縄から行ったものが原理になっている。あの頃の薩摩は蛮族、沖縄から見れば蛮族で、日本の教育も六諭衍義という儒教孔子が広めた、むっしゃんげーかた(?)が持ってきた六諭衍義が寺子屋の元になったということを知っていますか?これが歴史のタブー。さっき言ったアブラム、イサク、ヤコブのタブーもここにあります。なんと聞けば、我々はユダヤ民族というのはあのアインシュタイン、白人の顔をしていると思っていたがそうではなく実際のアブラム、イサクのヤコブの流れの人はセム族と言われて、我々沖縄のおろちるちる髪と色の黒い毛だらけの毛深い人だったとさ。本当のユダヤの人はあのパレスチナに住んでいる人達が本当のユダヤ人らしい。それはヘブライ大学の学者がそう言っています。確かにそう言えば納得致します。今ユダヤ民族が迫害してるパレスチナの人達が本当のアブラム、イサク、ヤコブの系統だということです。はっきりしたことはないけど納得はする。

 

 

何を言いたいかと言いますと、この沖縄の役割はどういう役割なんでしょうかといつも私は自分に問いて、悩み悩み考えて歩いて生きています。この世界に自らのプロトコールというのかそれとも離散した民族というのかそれを集める習性があるのはイスラエルのシオニスト運動と沖縄の世界うちなーんちゅ大会です。なぜ沖縄の人は散らばった民族を集めようとする流れがあるんでしょうかね?きっと何かそこには秘密があるかもしれません。沖縄と呼ばれる前には琉球という名前がありました。琉球という以前にはうるまの島という名前がありました。『うる』というのは都の言葉では『すらがうるか(?)』と言います。やえぎしには『ウル』という言葉があります。イラクの南の海岸にウルという都市があります。ウルという都市はアブラハムが生まれた出生地です。彼はそこで啓示を受けて、かのかなんの土地パレスチナに向かって遠征しました。まぁトナカイは死んでしまいましたけど。ただ不思議なことに沖縄のウルマとアブラハムが生まれたウルが同じ名前を持っていることはちょっと真剣に考える必要もあるかと思います。」

プロデュース :蜂谷翔子
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