香港でのプロテストは今も続いている。私は最後までプロテストを見届けたいと思っていたのだけれど、先が読めない状態だったし、既に1度日本行きのチケットを破棄していたので、ひとまず16日の夜に香港を後にした。
香港の普通選挙を目指す「傘の革命」は何度か運動にとって重要な局面を迎え、その度にプロテスター達への世論の支持が高まるという形で進んできた。警察による暴力や、香港政府が対話を一方的にキャンセルしたりすると、その度に政府や警察への批判が高まり、学生達への支持が高まり、より多くの人々がプロテストの現場に現れて群衆が巨大化するというのがパターン化していた。
現地にいた感覚としては、10月14日に「傘の革命」は新しい局面を迎えたように見えた。この時点で既に、香港中の人々が学生達が何の為に闘っているのか理解していた。そして学生達の素晴らしいプレゼンテーションにも関わらず、彼らの要求をすぐに実現することが極めて難しいことも、学生達自身も含め、多くの人々が理解していた。そして香港の3カ所での占拠は長引いていて、もうすぐ3週間が経とうとしていた。政府は応えない。プロテストは続くのか?それとも何らかの形でひとまず終焉を迎えるのか、誰にも先が読めなかった。そんな時だった。
14日、私はMong Kokの占拠サイトで明け方まで現地のプロテストをサポートしている若者達とプロテストや音楽について語り合った後、そのままテントの下で3時間くらい眠った。夜はほんの少し肌寒くなってきていた。
朝起きると「今朝警察がAdmiralityでバリケードを撤去した」と昨晩知り合った男の子が教えてくれた。昨夜組み立てられていた、香港の伝統的な竹を使った骨組み技術が応用された美しいバリケードも撤去されたバリケードの1つだった。私たちは朝食を食べ、近くのショッピングモールのトイレに寄り、地下鉄に乗ってAdmiralityに向かった。
Admiralityの占拠サイトの物資テントで、マスクとゴーグルを受け取った。警察が催涙弾やペッパースプレーを使うかもしれないからだ。バリケードが撤去された道というのはQueenswayという道で、プロテスト中心地の道路を平行に走る太い道路だ。バスの路線でもある。私たちが午前10時頃に現場に着いたときには、既にQueenswayには車が走っていた。バリケードが警察によって壊されるとき、プロテスター達は抵抗せずにそれを見守ったという。逮捕者はなし。抵抗する代わりに彼らはQueenswayとプロテストの中心地を繋ぐ道の1つのRodney Streetという道の上で静かに座り込みを始めていて、多くの人たちが事態を見守っていた。Rodney Streetでは文字通り朝から晩までプロテスターと警察が向かい合うことになった。
事態が大きく動いたのは夜の11時過ぎだった。1日中座り込みの続いていたRodney Streetでは何も起きなかったが、プロテスター達はLung Wo Roadという香港にとって重要な道路を奪取した。香港政府が学生達の要求を黙殺したまま警察がQueenswayを奪還したことに対する一部のプロテスター達によるレスポンスだった。しかしその晩彼らは暴力的に排除され、多数の逮捕者が出た。それが15日の夜中の出来事だった。
そして16日の未明にも同じことが繰り返された。プロテスター達はLung Wo Roadのトンネルの奪取を再び試み、再び警察によって暴力的に排除された。複数の警察官によって抵抗できない状態のプロテスターKen Tsang Kin-chiuさんがリンチされる場面がテレビに流れ波紋を呼んだ。
このあたりを境に、警察の態度が攻撃的になり、今まで躊躇されていたバトンやペッパースプレーの使用が目立つようになる。Lung Wo Roadを巡る2夜連続の事件の後、17日に警察はMong Kokの占拠サイトを撤去する為のオペレーションを開始する。砦の1つであるMong Kokを守ろうとするプロテスター達と警察の衝突が激しさを増している。
今もプロテスター達はバリケードを見張り、仲間と連絡を取り合い、路上やテントで眠り、アートをつくり、物資の配給をし、新聞を読み、香港の街の真ん中で耳を澄ませている。火曜日には学生と政府の対話が予定されているが、これからどうなってゆくのかは、やはりわからない。