鹿児島の川内原発の再稼働がジリジリと迫る9月現在、九州ファシスト党・我々団の創設者である外山恒一氏が東京を訪れ、東京の革命仲間達の協力を得て、一度頓挫した「川内原発再稼働阻止のインボー」を練り直し再始動させた。
東京で打開策が見つかり、九州で一人で孤独に「インボー」を進めていたことも頓挫の原因の一つであったと外山氏は考えている。
外山氏は2007年の東京都知事選挙に出馬した際、テレビの政権放送で、日本の現状と少数派にとっての選挙の不毛さを嘆き「しょせん選挙なんか多数派のお祭りに過ぎない」と都知事選を利用し世の少数派に語りかけた「選挙否定派」だが、今年4月、川内原発再稼働が争点の一つとなった鹿児島二区衆院補選の際には、自らの「恐ろしいインボー」達成の為に、再稼働反対を掲げて保守王国で奮闘した某リベラル陣営の選挙事務所に潜入し活動。
リベラル陣営の選挙運動には全国から脱原発派のボランティアが結集し盛り上がりを見せたが、選挙が終わってみると、結果は元々保守の地盤が圧倒的に強い鹿児島だけあり、自民党の圧勝で幕を閉じた。脱原発、集団的自衛権反対、消費税増税反対などを掲げ、お金をかけない市民選挙を展開したが、徳田虎雄や保岡興治が金をばらまきながら「保徳戦争」と呼ばれる激しい選挙戦を繰り広げていた土地で、新しいリベラル勢力が勝つことが具体的にどのくらい難しいのかを学び、この先の選挙への糧とすることとなった。
そして選挙が終わって判明したもう一つのことは、出口調査によると有権者の6割が、自民党を勝たせたにも関わらず再稼働に反対しているということだった。
「6割っていう数字が反対してるんだったら、火の付けようによっては再稼働は止められると僕は思いました」と開票後に外山氏は語り、選挙後も彼は九州を中心に活動し陰謀を進めていた。しかし「インボー」は思うように進まず夏に頓挫。
しかし、約半年が経った9月現在、外山氏は別の用事で東京を訪れた際に、東京の革命仲間と「挫折した陰謀」について語り合っていると、革命の仲間達から「いや!まだ遅くはない!」と、「インボー」の練り直しへと話は展開していった。
まだ再稼働まで約3ヶ月ほどの時間が残されており、もう一度きちんと「インボー」を詰め直せばいける、と仲間から鼓舞と協力を得て、再び川内原発再稼働阻止の「インボー」を始動することとなった。
もちろん、内容は陰謀なのでここで明かすことはできない。「全てが終わったら全て話しますよ」と外山氏は言い、ファシスト党の街宣カーで東京を後にした。