2014/09/16 芸術
【千代田芸術祭】「世界最高齢ラッパー坂上弘」さんもゲスト出演。ジャンルにも時間にも国境線にも収まらない無審査の多様な芸術家が表現披露

8月23日〜9月7日に3331 Arts Chiyodaで千代田芸術祭が開催された。最終日に会場で出会った人々や作品について紹介します。

 

<世界最高齢ラッパー 坂上弘>

 

戦時中の満州に響いたブラスバンドの演奏に魅せられてトランペットを始めた1921年生まれの坂上弘さん(93)は音部門「LIFE LIKE LIVE」にゲストとして出演。 2014年、きちっとセットされた髪型、上下明るい緑色のスーツ、胸に大きな赤い花飾りと赤い羽根をつけて、会場に集まった人々の前で、目をつむり、こぶしを握りしめ 「時をかけるシンガー」や「卒業」を歌い上げた。カラオケ風に流れてきた曲の音は、いろんな時代のいろんな音楽が、古いキャバレーの棚に置かれた原酒とカクテルシェイカーで混ぜられたような少し奇妙な音だった。その音に坂上さんがのると、不思議なタイムマシンのような音楽体験が成立した。

 

「満州に行きましたが。満州炭坑ってとこに勤めたんですよ。そしたらね、入社式にブラスバンドのいい音、聞こえるんだよねぇ〜。あ、いいなぁ、と思って入れて下さいと言ったんですよ。で、調度ねトランペットが調度空いていた」ので、彼は満州でトランペットの練習を始めた。始めは音が出なかった。戦後は日本に戻り、新宿で盛んだったキャバレーでバンド演奏をした。代々木にジャズ学校ができた時に声がかかり、当時小学校5、6年生だった日野皓正さんにトランペットの指導し、日野さんは日本を代表するトランペット奏者になった。戦前、戦中、戦後、人々はいつも音楽を奏でてきた。

 

<柳本小百合>

 

「これが弾きたくて秋葉原来ました」と柳本さん(31)はピアノの写真をツイートした。

 

ピアニスト、シンガーソングライターの彼女は、高校と大学で作曲を、その後少し身体表現(主にコンテンポラリーダンス)を学び、それが表現に活かされている。 細い体で激しく攻撃的にピアノを弾きながら「サバいてサバイてサバイて!」と早口でヒステリックに繰り返し、内面を掻き回しえぐるように何かを激しく求めるような旋律から、唐突に風通りの良い開けた草原のような場所に映画の画面を切り替えるように、腕や体の動きと共に、すっと曲調を変化させた。

 

彼女は歌詞、声も音と捉えて曲を作る。曲に意味は込めない。演奏した「サバいてよ」は、「魚をさばく/罪を裁く/フランス語のサヴァ」を掛詩にした。さばサバさばサヴァ…。彼女は頭を振り、指を走らせ、時に鍵盤にかぶさるように演奏し、ピアノと楽器にした自分の体の音を会場に響かせた。

 

<小笠原圭吾>

 

無審査ジャンルレスの展覧会「アンデパンダン」のギャラリースペースで、本物そっくりのアクリル絵の具で着色した陶器のリンゴを配っていたのは小笠原圭吾さん(29)。小笠原さんのプロジェクトは、ソーシャルネットワークを利用した参加型のプロジェクト。りんごを受けとった人は、ツイッターに①りんご入りの写真②りんごにつけられた番号③場所④「#りんごのドット柄」とハッシュタグを付けてツイートし、小笠原さんが、散り散りになったリンゴの「ドット」を地図上にマークする。

 

「#りんごのドット柄」は作品で社会と繋がりたい、作品で少しでも世界を変えたいと思い始めたプロジェクトで、小笠原さんは約900個のリンゴを作製。「ドットで世界を繋げたら少なくとも自分には何か変化のある世界が見える」と思い、3年前に活動を開始。繋がりをつくるところまでは現在成功している。活用する方法までは現状では考えておらず、今は何か想定外のことが起きるのを待っている段階。

 

<桃源(雅号)>

 

「空想戦争画家」の桃源さん(42)は、首の無い人間の体を描いた戦争画、被災後の石巻市の写真とスケッチ、それに加えて自身が最近経験した脳腫瘍の摘出手術の過程を記録した写真やMRIのスケッチを展示していた。

 

会場にいた桃源さんは、展示に関するエピソードを聞かせてくれた。

 

脳の腫瘍を取る手術をする前、彼は被災地を自分の目で見ようと思い石巻市を訪れた。震災後の石巻市に、彼は度肝を抜かれた。これは本物だ。現実には絶対に敵わないと石巻を見て彼は感じた。戦争を体験していない自分が「戦争画」を描くことにもある種の限界を感じた。

 

東京に戻り、彼は体調の急な悪化を経験し会社を休んだ。会社を休んだからには病院に行かなければいけない。堪え難い気持ち悪さに襲われながら、彼は「這って」病院に行った。彼は「這って」という言い方をした。病院は彼の症状を看れなかったり、閉まっていたりして、彼は医者にかかる為に這いずり回ることになった。やっと看てもらえた先で、脳腫瘍が発見された。ピンポン球くらいの大きさに見える。

 

とにかくこの気持ち悪さを一刻も早く取ってくれ!彼は懇願した。ベッドに横になっていて、少しでも体がずれたりするだけで、圧倒的な気持ち悪さが彼を襲った。一刻も早く手術をしてほしい。頭を切り開く手術だが、手術を恐れる余裕すら彼には無かった。

 

石巻市での圧倒的なリアリティーと脳腫瘍摘出後、彼は自信が天才でないことを悟った。自分は凡人だと。壁には脳の中から出てきた腫瘍の絵や、手術後に縫い合わせた後頭部の写真や、脳の断面図のスケッチ。

 

手術後、彼は様々なことを「思い出した」。リハビリで、手すりに捕まりながら歩く。手すりから手を離す。手すりから手を離した先には、無限の空間が広がっていた。自分の足でその空間を歩き回ることができた。彼には子供達が走り回る理由がわかった。

 

見る人に「笑ってほしい」からこれを描いているのだと彼は言った。なぜ笑ってほしいのだろうか?自分は説明しすぎる悪い癖があると彼は言った。自分で説明しすぎだと頭で思いながらも説明し続けている自分がいたりすると彼は言った。自分は天才ではないと思った後も、彼は描き続けている。

プロデュース :蜂谷翔子
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