2014年9月11日で、東日本大震災から三年半。一年前の今頃は、どんな日だったか、覚えていますか。
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宮城県の、気仙沼に津波で打ち上げられたタンカーのことを覚えておいででしょうか。何もかもが流された町にぽつりと打ち上げられ、震災遺構として残っていたタンカー、第十八共徳丸のことを。その解体が始まったのが、2013年9月9日でした。こちらの動画は、解体が始まったその日および前日に訪ね、解体直前の様子を収めたものです。
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家の基礎だけが残り、雑草が生い茂り、まだまだ夏の強い日差しが射す日でした。まわりを見回しても何もなく、タンカーが鎮座し、少し離れたところに仮設店舗のセブンイレブンが。陽を遮るところが何もなく、ずっと日差しの下にいて、日焼けした跡が元に戻るのに半年を費やしました。
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気仙沼の駅から、BRT(バス高速輸送システム)で約10分。気仙沼の駅を出て割合すぐに港があるので、そこから車で10分弱の距離をも津波で運ばれてきたことになります。
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タンカーがそこまで打ち上げられた。そのことはよく報道されました。観光スポットにすら、なりました。しかしそこでは家が根こそぎ流され、命をもなくした方がいたでしょう。また、タンカーの下では車が下敷きになったままだったのです。その過酷な現状を、「タンカーが陸上に!」とのセンセーショナルな報道だけで、どれだけの人が想像し得たでしょうか。
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訪れた時、目の前に広がる圧倒的な風景に、携えた数珠を握りしめながら筆者は打ち震え、しばらくはビデオカメラも一眼レフカメラも取り出すことが出来ませんでした。
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訪れたその日も、観光バスで観光客が訪れていました。そこに人が住んでいた、あまつさえ亡くなった人もいるかもしれない、そのことに思いを馳せているとは到底思えない大声を発しながらタンカーを鑑賞し、笑顔で記念写真に収まり、最後には「船が出るぞー」と言う声が聞こえ、あっという間に観光バスは去って行きました。
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港ではなく陸上のタンカーには、白いカモメではなく黒いカラスが止まり、千羽鶴が供えられ、線香が手向けられていました。
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本来なら追加取材を行い、現状がどうなっているかも知らせなければならないのですが、まずは一年前を記憶に留め、三年半が経過した今、大震災が何を引き起こしたのか…改めて思いを新たにしていただければと思います。