(2014年公開の『GODZILLA ゴジラ』ギャレス・エドワーズ監督の予告編)
1954年に日本で製作される「ゴジラ」(本田猪四郎、円谷英二監督)。
この映画が、誕生した背景には、核兵器、戦争、それらがもたらす恐れがある。
それらの要素も含め急速に変化する当時の時代背景の恐れとシンクロしていたことがヒットの要因だろう。
その恐れは、第一に冷戦によって起こりうる可能性がある戦争への恐れ、
第二に冷戦における唯一の被爆国日本として感じる核への恐れが挙げられる。
ここからは、その二つの恐れについて考えていきたい。
まずは、第一の恐れについて説明したい。
第二次世界大戦後、国力の弱まった欧州各国は、フランスやイタリアで共産党が支持を高めていた。
そんな中、1946年2月にソ連のスターリンが『資本主義と共産主義は並存不可能なものであり、資本主義に傾斜する世界において秘話的な国際秩序は不可能である』との演説を行う。
さらにその三ヵ月後に、元英国首相のウィストン・チャーチルが米国のミズリー州フルトンで『バルト海のシュテッツィンからアドリア海のトリエステまで、(欧州)大陸に鉄のカーテンが降ろされた』と演説し冷戦の深まりを危惧した。
そして、アメリカも対ソ戦略を余儀なくされる。そして、アメリカのトルーマンが1947年3月に「トルーマン・ドグトリン」を発表してトルコとギリシアを共産主義勢力から守る方針を明らかにし、米国務長官のジョージ・マーシャルが1947年6月に「欧州経済再復興支援計画」を発表し、西欧諸国の左傾化を防ぐために大規模な援助を行う方針を明らかにした。
このように冷戦は、イデオロギー的な対立から広がっていく。
そんな中、アメリカのGHQ(1945~1952年)の手により、戦争に敗北した日本を軍国主義から健全な民主国家へ変えようとする試みが行われる。そのため、冷戦では米国側のイデオロギーに自動的に従わなければならず、この冷戦構造に巻き込まれる形で必然的に戦争の恐れがやってくるのである。
そんな、戦争に対する不安がメタファーとしてゴジラに表れている。
突如として現れたゴジラ。日本中のあらゆるものを破壊し、東京の街中が火の海となる。ゴジラを殺すための攻撃も通用しない。
暴れるだけ暴れ、壊すものがなくなるとゴジラは海に去っていく。
ゴジラがどのように誕生したかは第二の恐れで詳しく説明するが、ゴジラが表れて日本に上陸し暴れつくした描写は、東京大空襲後、原爆投下直後のように無惨に破壊された街を彷彿とさせる。
ここで、戦争としての記憶をゴジラが蘇らせていることの理由づけとして以下のシーンを取り上げよう。
山手線の中で、新聞記事を見ながら三人の男女が語り合っている。
「政府ゴジラ対策に本腰。災害対策本部設置される。」という見出しのアップから男女が語り合う。
女 「いやね、原始マグロだ放射能雨だ、そのうえ今度はゴジラときたわ。東京湾へでもあがりこんできたら、どうなるの」
男A「まず、まっさきに君なんか狙われるくちだね」
女 「(男の肩をこづきながら)んー、いやなこった。せっかく長崎の原爆から命拾いしてさ、大切な体なんだもん。」
男B「そろそろ疎開先でも探すとするかな」
女 「わたしにもどこか探しといてよ」
男A「あーあ。また疎開か、まったくいやだな」
続いて、第二の恐れについて。
ゴジラの誕生には水爆が大きく関与している。大戸島というところにゴジラが突然やってきて、暴れ倒したあと海に帰っていく。その後、調査団がゴジラの足跡を調べると大量の放射能が検出される。
その結果をもとに志村喬演じる生物学者の山根博士が、国会の委員会で、ゴジラが放射能を帯びていることは水爆実験が関係しており、すなわちこれが原因で海底深くに生活していたゴジラが生活環境をあらされ出現したという見解を述べる。
広島・長崎に原爆が落とされて一年も満たない1946年7月1日、アメリカが太平洋のビキニ環礁でさらに大型の核実験を行う。
朝鮮戦争勃発から5ヶ月たった1950年11月30日、ハリー・トルーマン米大統領が、朝鮮半島での核兵器使用もありうると発言。
1952年、イギリスが初の核実験。同年11月アメリカが、太平洋のエニウェトク環礁で初の水爆実験1953年8月、ソ連が水爆実験。
1954年3月1日、アメリカの水爆実験により、ミクロネシア島民や日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員が被爆し、9月23日にこの時の被爆がもとで、乗組員の一人である久保山愛吉さんが死去という出来事。
このことがきっかけで日本のマスメディアには「原始マグロ」「放射能雨」などの言葉が頻繁に登場し、事件はまたたく間に広がり水爆の恐怖が浸透していった。そんな社会不安をメタファーとして「ゴジラ」が誕生するのである。
その、水爆が作り出した怪物ゴジラが街を暴れ、破壊していく中で、このゴジラを殺す計画が実行されるがことごとく失敗する。
そんな中、山根博士は「放射能を浴びながらも、生き続けている生命の秘密をなぜとかないのだ」と主張する。だが、宝田明演じる尾形に「あの凶暴な怪物をあのままにほうっておくことはできません。ゴジラこそ我々日本人の上に今なお覆いかぶさっている水爆そのものではありませんか。」と諭される。
つまり、ゴジラは水爆の被害者かもしれないが、その被害者が日本を襲っていることは広島・長崎の原爆と同様に加害者として水爆が日本を襲っていることと同じであるということを主張している。
そこで、ゴジラを殺すべくオキシジェン・デストロイヤー(水中の酸素を一瞬にして破壊し、あらゆる生物を死滅させる酸素破壊剤)を開発した平田昭彦演じる科学者芹沢に白羽の矢が立つ。
「もしも一度、このオキシジェン・デストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、このうえさらに、この新しい恐怖の武器を人類のうえに加えるということは、科学者として、いや一個の人間として許すわけには行かない」と芹沢は頑として受け入れない。
だが、テレビに映し出されたゴジラによってもたらされた悲惨な光景を見て、オキシジェン・デストロイヤーの書類を燃やし1度だけの使用に応じる。
そして、尾形と芹沢はゴジラを殺すために東京湾に潜りオキシジェン・デストロイヤーを始動させ、ゴジラを殺すことに成功する。だが、成功して船へ浮上する尾形に対し芹沢は一人海底に残り自らの命を絶つ。
それは、オキシジェン・デストロイヤーの悪用を恐れたためであった。
この科学者としての苦悩が感じられるシーンは、原爆を作り出したオッペンハイマーとエドワード・テラーの葛藤とシンクロする。
「原爆の父」と称されるJ・ロバート・オッペンハイマーはマンハッタン計画の中心人物であり最大の功労者。そんな彼が、広島と長崎の惨状知り、大量破壊兵器の製造責任者として倫理的な問題に苦しむ。
彼の原爆の意図としては、世界に使う事のできない兵器を見せる事により戦争を無意味にしようと考えたそうであるが、人々が新兵器の破壊力を目の当たりにしてもそれを今までの通常兵器と同じように扱ってしまったと、絶望していた。
そして、戦後は原子力委員会のアドバイザーとなって核兵器の国際的な管理を呼びかけ、ソ連との核兵器競争を防ぐため働いた。この際に「水爆の父」エドワード・テラーと対立する。
エドワード・テラーもマンハッタン計画に参加し、第二次世界大戦中、テラーはロスアラモス国立研究所の理論物理学部門に所属し、核分裂だけの核爆弾から核融合を用いた水素爆弾へと核兵器を発展させるべきだと強く主張した。その後もソ連を封じ込めるためにもと水爆の開発を推進した。
そのため、この水爆開発をめぐり広島・長崎の悲惨さに絶望したオッペンハイマーと対立した。
だが、この時代には、オッペンハイマーの意見は不利であった。対ソ強硬路線を進めるトルーマン政権と軍部にしたらオッペンハイマーの行動はアメリカを裏切る行為と考えられて政府機関から追放された。
水爆よりも強力な兵器オキシジェント・デストロイヤーのおかげで、ゴジラは死に船の上では人々が一喜一憂している。
だが、生物学者である山根が最後にこうつぶやく。「あのゴジラが、最後の一匹だとは、思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかに現れてくるかもしれない」
おわり
by みずしままさゆき
参考文献
防衛システム研究所編(2009)核神話の返上 内外出版株式会社
好井裕明著(2007)ゴジラ・モスラ・原水爆特撮映画の社会学 せりか書房
ミック・ブロデリック偏(1999)ヒバクシャ・シネマ 現代書館