ベルリン国際映画祭・金熊賞(最高賞)『私の、息子』映画評 by 藤原敏史・監督

それなりに成功したキャリア・ウーマンだが、自分の望んだキャリアでは必ずしもない母。医師である父は気の強い彼女に家庭ではなにも言えない。30を過ぎでも定職もない息子は、経済的にも生活面でも母に頼りっきりだ。

旧共産圏のルーマニアだから

西欧先進国と違うのは……

どこであってもおかしくない話、というより今時の先進国ではどこにでもありそうだし日本でも現にある家族の問題。だがこれはルーマニア映画だ。社会主義の崩壊と大変な流血と引き替えの民主革命も、気がつけばもう20年も前のことだ。ではその国の現状がどう垣間見えるのかと言えば、息子が親の金で買ったボルボで子どもをはねて死なせてしまい、母は息子を救おうと事故の目撃者を買収しようとするのだが、その通貨もユーロ、交渉の場は世界のどこにでもあるショッピングモールだ。

母が息子の洗面所を使うシーンがショッキングだ。洗面台に並ぶのは世界のどこでも見るブランドの、シャンプーやら洗顔料やら、無数のプラスチックの瓶も、西欧先進国と変わらない。もはやヨーロッパのどこともなにも変わらないように見える人物たちと、その大衆化したブランドだらけの皮相で成金的な生活と人間関係や価値観だが、旧共産圏のこの国でひとつだけ違うのは、なにもかもより極端でいささか乱暴であり、故に歪みが明晰である。

物質的に豊かだが、その価値の陳腐さに

がんじがらめにされたまま停滞

極度な過保護や溺愛と母子密着の物語はギリシャ神話の古代からあるが、この映画ではそんな性をめぐる神話性のエロスは排除されている。現代の、こと先進国で親子関係がとりわけ深刻なのは、精神的に母の愛から逃れられない以前に、経済的かつ物理的に親の恩恵から逃れられないことなのだ。息子が母に反発しているのに、彼女から逃れられない、自分の人生を生きる自信がない以前にその力を持てないのが、この映画の大きな特徴であり、それは先進国ならどこにでもある現代の中流家族でもある。

物質的にだけは豊かだが、その価値の陳腐さにがんじがらめにされたまま停滞する新自由主義的な不自由のなか、成長できなくなったのは経済だけではない。既に大人である親たちも含めて、人間的な成長の可能性そのものが失われ、親もまた胎児の姿勢のまま身動きが取れず、世代の交代も起こりえない。

親子の壮絶な隔絶が

希望へと変わる瞬間(とき)

これが母と息子の話であるのはオイディプスの神話性でない。胎児の姿勢という原題も含め、現代の構造を見るひとつの切り口、そのメタファーなのだ。この成長を止めた世界の、成長が止まった親と子の出来事とは、将来の分かり易い夢が失われた、不安に停滞する世界の姿に他ならない。ルーマニアはいつの間にか先進国に追いついてしまった-悪い意味で。それがこの映画がベルリン映画祭で金熊賞(最高賞)を穫った理由なのかも知れない
お世辞にもうまい映画ではない。演技はそこそこで人物像の掘り下げは浅く、衣装や調度は成金的で下品だし、手持ちが多いシネマスコープ画面のショットがしばしば長めなのは演出の様式ではなく、ただ空間演出が不器用出来なだけのようにさえ見える。だがだからこそ、過去の映画史の栄光が作り出して来た美を超える新しさを目指すどころか、せめて過去の遺産から学ぶ気すら消失している諦めにおいて、これは徹底的に、過去、親や祖父母の世代の栄光に押しつぶされながらその余録の恩恵で継続している「今、この現代」の映画だ。

停滞したままの世界の真実は、映画の後半に親子が被害者家族の住む郊外の村を訪れる時、初めて西欧と明らかに違ったルーマニアを見せることで、決定的に露見する。平等を謳った社会主義、自由を謳ったはずの民主革命を経ても、実はなにも変わらなかったヨーロッパの階級社会でも、西欧ではさすがにほぼなくなった貧しさが、ここには今もある。そこで母たちが見せる態度はあまりに薄っぺらな感情論で、恐ろしく無神経で身勝手だ。子を思う親という階級を超えて共通しているはずの感情すら、あまりに違い過ぎる階級に接点を見いだすことがない。いや息子を失った被害者の父はともかく、彼女が「親」なのかも疑わしい。私たちの住む停滞した世界は、固定した格差で断絶された世界でもあった。

お前は私のすべて

守るためなら 何だってする

この映画が讃えられたのは、ヨーロッパが過去に押しつぶされ行き詰まっていることを、あらゆる面で率直に体現していることへの直感的な反応だったのだろう。そして親を超えるどころかただ逃れるためにもがき苦しみながら、抜け出す力を持てない子というのは、日本でも現実だ。いやそれを切り口にこの映画が全体で体現している行き詰まり感は、今の日本のそれでもある。

 第63回ベルリン国際映画祭 金熊賞(最高賞)

国際映画批評家連盟賞 W受賞

6/21(土)よりBunkamuraル・シネマ

ロードショー、以下全国順次公開

プロデュース :及川健二
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