6月3日、大飯原発差し止め訴訟の原告弁護団の笠原一浩弁護士と島田広弁護士が日本外国特派員協会にて記者会見を行い、大飯原発訴訟で原告側が勝利したことの持つ意義を語った。数ある原発訴訟だが、原告住民側が勝利したケースは今回で3つ目。他の2件はいずれも上訴の末判決を覆されている。原発訴訟の原告住民側にとっては冬の時代が続いていた中での勝利だった。
会見の冒頭で弁護団事務局長の笠原さんは「この判決は内容の素晴らしさもさることながら、文章も大変美しいものです。(判決文の)最初のページでは人格権が憲法上最も高い価値を有すること、そして最後のページでは原発事故こそ本当の意味で国の富を失わせることや、ましてやCO2削減を口実に原発を推進することが言語道断であることが大変格調高い言葉で書かれています」と裁判官の資質を賞賛した。
島田さんは「狭い原子力ムラの論理ではなく、国民の常識が司法に生かされ国民の安全と基本的人権が守られる時代の到来を多くの国民が期待しています」と述べた。
一方で、この判決に対して「判決は科学を理解していない」など、原発推進派からのバッシングが既に始まっており、原子力ムラからの圧力に今後裁判官が屈する可能性、また最高裁での判決が出る前に関西電力が再稼働を決行する可能性もあるという。それを止める為には国民の声を様々な方法で届けることが大切だという。
今回の原発訴訟の画期的なところは、裁判が科学的な学術論争に陥ることを回避し、人々が原発事故によって受けた苦しみを真摯に捉えて裁判の争点にすることや、今まで原告住民側に課されていた、特に原発訴訟では膨大で高度な立証責任のハードルを下げることに成功したことだという。高度に科学的な原発問題において住民側が重い立証責任を果たすことや、「具体的な危険性」を証明することは極めて難しかった。
そして日本の司法の行政依存的、保守的な体質もあり、原発訴訟においては司法は独立した機関としての役割を果たすというよりは、例えば行政の下した原発の安全審査の見解などを追認するケースが多かった。司法は原発の安全審査に関しては瀕死の状態で、モンテスキューの唱えた三権分立は実践されておらず、バランスの悪い状態だったという。
「今回の福井の判決が提議したのは、これまでの行政の規制のあり方が根本的に住民の安全を守るものになっていなのではないのかという疑問です。行政がこの判決を無視してこれまで通りの安全審査を進めることは許されない国民への裏切りだと私たちは考えています。こうした国民の強い批判の力が関西電力の再稼働を押しとどめると信じています。」と島田さんは会見を結んだ。
6月8日には、この判決を歓迎する市民による「祝☆大飯原発運転差し止め判決!ありがとうパレード」が予定されている。集合場所は宮下公園で、パレードは1時から3時30分に予定されている。誰でも参加可能。