「ここは、最初から何もなかったわけではない」車で案内してくれた方の言葉が重く響く。数軒の傷んだ家がぽつりぽつりと取り残され、松が何本か残る。
あちこちで季節柄、みどりが芽吹き、たんぽぽが咲いている。しかしそののどかな光景は、東日本大震災の津波によって持たされたものだ。なにもかもが持って行かれてしまった。
今、重機が入って整地をしている。家の基礎と思しきコンクリート塊が何ヶ所かに山積みになっている。そして隠されるように「青いゴミ」も見られる。
コンクリートの塊かと思ったら、なんだか雰囲気が違う。倒れた墓石だった。船も海岸線から遠く打ち上げられている。
道が悪く車は激しくポンポンと跳ね、写真もなかなか綺麗に撮れない。…数軒取り残された家の前で車はスピードを落とす。家の中は散らかったまま。家人はどこへ行ってしまったのだろう。
二階を残し、一階は骨組みのみになった家屋。テレビニュースの中でしか見たことのなかった風景が目の前にある。震災は確かにあったのだ。
3年経過した今でさえ、まるで直後のような風景が広がる。これが、確かに、現実なのだ。震災は終わってなどいない。ましてや風化など決してしていない。現在進行形なのだ。
南相馬市小高区。東京電力福島第一原発ともほど近く、人が自由に立ち入ることの出来ない地域がまだ、残る。
最後の写真は、通称「南相馬の一本松」と呼ばれ、ここだけ撮影地が違う。(鹿島区南右田地区)陸前高田だけでなく、ここにも津波に耐えた松が一本、残っているのだ。