2014年4月 あれから3年 福島県富岡町 夜ノ森の桜のトンネルで偶然出会った津田大介さんにお話しを伺いました
お話を聞いた富岡町は東京電力福島第一原子力発電所の事故による放射能被害で避難区域に指定されていましたが、2013年3月25日避難区域再編により、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の3区画に分けられ、「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の2区画は時間制限があり宿泊はできないものの、自由に出入りできるようになりました。
自由に出入りできるようになってから1年が経過した富岡町
しかし除染作業は行われていますが、その現状は復興という言葉からは程遠いものです。
そしてそのことは、東京に住んでいる我々にはなかなか伝わりません。
他の地域と同じように、立ち入ることができる区域を増やし、除染作業を行うことによってあたかも事故処理が進んでいるように見せているとも揶揄される現状
オリンピック招致の為の「250km離れているから東京は安全」という発言にも代表されるように、原発近隣地域で生活している人々のことを捨て置かれる政策
実は何も進んでおらず被害が広がっているにもかかわらず、時間が経てば経つほど他の地域の人々の心からも忘れられ「風化」していく現実。
津田大介さんは言います「現地に来て見て考えることが必要」
何があったか、何が起きたか、今何が起きているのか
自分たちは何にすがっていたために、こんなことが起きてしまったのか
自分たちが生きるために必要としていた電気を起こす原発が起こした、人類史上最悪の地球規模の事故。
そして、そのために生活の基盤を奪われた人々
津田さんは、自分達がいかにして「当事者意識」を持つことができるかということ訴えていると思えます。
いかに考え、いかに寄り添って生きるか
いかに忘れずに次世代に伝えるか
しかし、お話を聞いた夜ノ森も低いところでも0.9マイクロシーベルト、高いところで5マイクロシーベルトを超える高線量が計測されています。
原発からは未だに放射能が漏れているうえに、汚染水を止める手立ても模索している状況。
多くの人々を迎え入れるにはまだまだ越えなければいけないことが余りにも多すぎます
出口が見えず人々の心ばかりが分断され荒んでいきます。
大切なことは、忘れないこと、人間として、同じ日本人として考えることだと思います
被害を受けている人たちのために、自分のために、次世代のために