2014/03/11 地域
【国際交流】日本再西端「国境の島」与那国島と台湾の交流の歴史とこれから

与那国島は濃い緑や豊かな自然や断崖絶壁が印象的な日本最西端に浮かぶ国境の島。黒潮の源流に浮かぶ人口1500人程の離島与那国島にとって最も「近くて遠い」外国の地が台湾。言葉も経済の規模も政府も文化も違う刺激的な外国台湾が船で4、5時間もあれば行ける距離にあるというロマンチックな地理的なリアリティーが与那国にあるが、現在は与那国と台湾の間の交流は残念ながらあまり盛んではない。与那国と台湾の間の距離は111キロで、与那国から同じ八重山に属する離島の石垣までは124キロ。

3月7日、与那国島祖納の古民家、佐久川家にて「台湾との交流の歴史を知り、与那国島のこれからを考える」会を与那国いとなみネットワークが主催、八重山毎日新聞の松田良孝さんが講演し、講演後は参加者が意見交換や自身の台湾とのストーリーを披露した。

歴史的に見て与那国と台湾の交流が盛んだった時期は、台湾が日本の植民地だった50年間。その頃を中心に与那国島の人々は雇用、学問、病院、修学旅行など様々な理由で台湾に渡った。

植民地だった頃の台湾では急速に都市化が進んでいた。台湾に渡った与那国の人々は台湾から物資を買いつけることもあれば、直接移り住んで都市型の近代文文化を取り入れて与那国に持ち帰ることもあった。その例としてはカジキを捕る漁法などがある。

現在は与那国と台湾の間を人や物が毎日行き交うということは残念ながら無いが、与那国は1982年に台湾の花蓮市と姉妹都市提携を結び、交流は30年以上続いていて、5年ごとに記念事業をしている。

与那国の人々が個人的に培ってきた台湾との交流が記録されていない状態で、若い世代がかつてあった交流を知らないので、交流の歴史を記録し知ることから再び賑やかな交流が始まるきっかけになればいいと期待していると松田さんは語った。

現在交流を難しくしている要因としては、与那国の港が開港地区として指定されていないこと、外国なので入国手続きや検疫があること、与那国で中国語を話せる人が少ないこと、そして何より直接与那国と台湾を結ぶ船や飛行機が無い、交通費がかかる為「近くて遠い」存在になってしまっている。

活性化する為のアイディアとしては与那国の小中学生達は修学旅行で台湾に行ったりホームステイをすることもあるので、町で奨学金を出して子供達をもっと積極的に台湾に留学させること(ちなみに与那国には高校がない)、中国語教育に力を入れる、宿でもっと与那国らしい料理を出す、交流の歴史をきちんと記録する、もっと行き来しやすいような環境をつくることなどがあげられた。

プロデュース :蜂谷翔子
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  • 及川健二@France10 2014-03-11 09:33:55
    松田さんへのインタビューはもう少しご本人に近づくと声がよく拾えますヨ(・∀・)
  • 森久保和宏 2016-01-07 23:47:02
    台湾の1000万人の命を中国共産党人民軍から救った根元中将や台湾にダムを造り生活を豊かにした八田与一さんの話を今の若い日本の小、中学生にしっかり教科書やテレビ、ビデオなどで知って頂きたいと思います。そんな日本人に誇りを持って台湾の人と交流を深めて頂きたいと思います。沖縄、八重山諸島の若い人は自信を持って欲しいと思います❗
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