2013年12月22日、私は富岡町へ行ってきた。
この町は原発事故の影響で、震災以降ほとんど手がつけられていない。
案内人は富岡町出身の方。
商店街は内陸に位置するため、津波の被害は全くなかった。
住人だろうか、一人の老人が荷物を持って歩いていく。
自宅の整理をするため、町を訪れる人は意外と多い。
防護服は支給されるが、わざわざそれを着て町に入る人は減少した。
町を巡回している警察官も防護服を着ておらず、せいぜいマスクをしている程度。
「ちょっと感覚が麻痺してきたんだと思う」と案内してくれた人は言った。
道路を進むと、イノブタの群れに遭遇した。
野生のイノシシと家畜のブタが交配してできた交配種。
イノシシのような見た目だが、体が丸々太っているのが特徴だ。
彼らは家や農家の倉庫に無断で侵入し、食べ物を漁る。
一時帰宅をした住民が、彼らの糞尿に遭遇することも珍しくない。
町にはイノブタ捕獲用の罠が仕掛けられているが、かかるのは極わずか。
人の住めない町で、イノブタと人の闘いは静かに行われている。
夜ノ森を車で走ると、桜並木が見えてきた。
地元民の強い要望により、この辺りは迅速に除染が行われたそうだ。
「春に来れば良かったね」と語る案内人の顔は、どこか誇らしげだった。
そうは言っても車から降りてガイガーカウンターの電源を入れると嫌な機械音が響き渡る。
富岡町の空間線量は約3μSv/h~約4μSv/h。
雨水が集中的に溜まりやすい土の上では線量計が20μSv/hを示すこともある。
簡単に剥がしやすいアスファルトに比べ、土の上の除染は後回しになっているようだ。
小浜海岸には、錆びついた船が横たわっていた。
元々は小名浜港に停泊していた船だが、津波が原因で行方不明になり、
最終的にここに漂着したようだ。
普段の潮流ではとても考えられない現象。
当時の津波がどれほど常軌を逸したものだったか想像できる。
富岡駅周辺には、津波の傷跡が丸々残っていた。
坂を上ったところにある「魚八」の看板。
そこが津波到達地点。
案内してくれた人は終始笑顔だったが、彼の知り合いも津波で亡くなっている。
富岡駅に引き返すと消防団の車輌が巡回していた。
平日は消防職員、休日は消防団員が見廻りをするらしい。
町の状況が複雑なだけに、行政ができないところは、住民が補っている。
「放射能の事ばかり注目されるけど、俺たちだって津波の被害を受けてるんだ。
津波の被害から立ち直って、初めて町がスタートラインに立つ」
そう教えてくれた案内人は今もご遺体の捜索や町の清掃をボランティアで続けている。
music: aokiken