新約聖書でイエス・キリストの生誕地とされ、クリスマスの街としても知られているパレスチナヨルダン川西岸ベツレヘム。コンクリート製の分離壁=アパルトヘイトウォールに囲まれ、住民たちはイスラエル側が発行する許可証がなければ壁の外に出ることはできない。ベツレヘムの現状を8bitNewsのメンバーでジャーナリストの構二葵が取材した。
東エルサレムからバスに揺られ約30分の距離にあるベツレヘム。マチに入るためにはイスラエル側が設置した検問所を通る必要がある。構はチェックポイント300という検問所までバスで向かった。入り口には、足元から2mほどの高さまで金属製のバーがいくつもついた回転扉が。上部には緑か赤のランプが光っていて、緑に光る入り口からしか入れない。バーを手で押して中に入ると狭い廊下がしばらく続き、やっとベツレヘムのマチの中に入ることができた。
慣れた足取りで進む地元の人々の後ろを、構は置いていかれないようにと必死で着いていった。同時に、この物々しい検問所を通過してマチを出入りすることが、当然のように日常に組み込まれているパレスチナの人々のことを思うと、複雑な気持ちになった。
ベツレヘムのマチの中は、現地在住のウサマ・ニコラさんに案内をしてもらった。
ウサマ・ニコラさん「マチを隔離する『アパルトヘイトウォール』が、ベツレヘムとエルサレムを隔てています。より多くの土地が奪われ、マチは壁で囲まれて押し込まれる。入植、バイパス道路、検問所…。牢獄の中にいるようです。新鮮な空気があり動くことはできる。でも私たちは囚人なんです。ヨルダン川西岸にある都市の間に検問所があり、入植者からの暴力があるから、私たちは自由に動けるのです。これが現実です。私たちはとても疲弊しています。しかし私たちは逞しく希望を失いません。正義と平和を信じているからです。 私たちの苦しみや状況が国際的にもっと知られるようになれば、人々は何十年も続く占領とアパルトヘイトを終わらせるという私たちの主張を、より理解し支持してくれるでしょう」
分離壁には多様なイラストやメッセージが所狭しと描かれている。ウサマさんによると、2004年の10月にメキシコのアーティストが描き始めたことを発端に、現在に至るまで毎日のようにアートやメッセージが増え続けている。国内外問わずアーティストが訪れ、暴力ではなく平和的な方法で占領からの解放、そして抵抗を表している。
分離壁は『西岸による攻撃からイスラエルを守るため』として、2002年からイスラエルにより建設が始まった。しかし分離壁は国連が定めた境界線よりパレスチナ側に侵食していて、パレスチナ人の日常を分断し移動の自由を制限している。
ウサマ・ニコラさん「(スニーカーが分離壁を乗り越えようとしているアートについて)このアートの主な発想は、分離壁が(西岸からの攻撃からイスラエルを守るという意味の)セキュリティーウォールでないことを示しています。ただの隔離とアパルトヘイトの壁なんです」
イギリスを拠点とするアーティビスト・バンクシーのアートも、分離壁にはいくつも残されていた。クリスマスツリーが壁に囲まれているこのアートも、バンクシーによる作品だ。
ウサマ・ニコラさん「ベツレヘムが包囲されていることを象徴しています。これはバンクシーによるキャンペーンの一環です。バンクシーは分離壁に抗議するために国内外のアーティストを招き、壁にアートを描きました。ベツレヘムは醜悪なコンクリート壁に囲まれていて、大きな牢獄のようになっているということを表しています」
ベツレヘムには国連機関UNRWAによって設立された難民キャンプが3つある。そのうち2番目に規模が大きいアイダ難民キャンプへと向かった。1948年にイスラエルが建国され、75万人のパレスチナ人が強制的に移住させられた「ナクバ」。多くのパレスチナ難民がベツレヘムに逃れたため、1950年にわずか0.07km²の敷地内に造られたのがアイダ難民キャンプだ。当初は1152人だった住人は、現在5倍近くの5000人に上り、すでに第4世代まで続いているということだった。
「難民キャンプ」というとテントが設置され、あくまで一時的な場所というイメージを抱いていたが、人数が増えたことでスペースが必要になり、現在はテントではなく3〜4階建くらいのコンクリート製の建物が所狭しと軒を連ねていた。中にはクリニックや学校もあった。
アイダ難民キャンプの入り口には、大きな鍵のモニュメントが飾られていた。鍵には「いつか自分たちが生まれ育った家に帰る」という想いが込められている。キャンプ内の壁にも鍵のイラストや「Return」という文字が多く描かれていたほか、住人が元々暮らしていた村の名前もずらっと書かれていた。
ベツレヘムの街中を歩いている時に気になったのが、歩道上の至る所に設置された鉄製の大きなゴミ箱と、その周囲に落ちていたゴミの存在だった。なかなかゴミが回収されないのか、何故近くにゴミ箱があるのに道路上に落ちたままなのか。なんとなく気になり、ウサマさんに尋ねた。
構
「ごみはどのように回収されていますか?」
ウサマさん
「ベツレヘムのゴミは地元の自治体が集めています」
構
「道路にはゴミが落ちていますが…」
ウサマさん
「残念なことに、苦しい生活を送っていると被害者意識の中で生きている人も出てきます。だから十分な注意を払わず、ゴミを正しい場所に捨てないこともあるのです。人によっては優先順位が低くなってしまいます。基本的な欲求が満たされていないまま、過酷な生活を強いられているので…」
ウサマさんの話を聞いて、ハッとした。虐殺や破壊行為が現在進行形で行われているガザと比べ、ベツレヘムは一見「普通の生活」が続いているように見えた。しかし、何十年にも渡って移動の自由が制限され、イスラエル兵による監視が続き、人間としての尊厳を奪われ続けているベツレヘムの人々の心は、想像している以上に傷つき、荒み、とても「普通」の状態とは言えなかったのだ。
分離壁のすぐ近くでアトリエと土産店を構える、彫刻家のサミール・ローラスさんの元を訪ねた。サミールさんは、オリーブの木を彫って聖書に出てくるストーリーを表現する芸術家だ。昨年10月7日以降は、観光客の数が激減し経済的に非常に厳しい状況だと話す。
サミール・ローラスさん「人間は恐怖のストレスにさらされることなく、安心して生きていかなければなりません。(この状況を)一刻も早く解決しなければなりません。」
インタビューの途中で、アメリカ国籍を持つ孫のオリバー君の写真を見せてくれた。このひとときはサミールさんの顔にも笑顔がほころんだ。
サミール・ローラスさん「アメリカの指導者含め、世界中の指導者たちがパレスチナ人と共に立ち上がることを求めます(構:いま私たち日本人に何を期待しますか?)日本人の皆さん、私たちと共に立ち上がってください。私たちを支援し不条理を無くすために力を貸してください。私たちは苦しんでいます。苦しみを終えたいのです。日本は尊敬に値する教養のある国です。そして平和を愛しています。あなたたちが私たちと共に不条理を終わらせるために、立ち上がってくれることを願っています」
ベツレヘムは現在激しい戦闘が行われているわけではない。しかし、8mの高さにも及ぶコンクリート製の分離壁に囲まれ、上部にあるボックスからは銃を持つイスラエル兵に常に監視されている。許可証がなければ壁の外に出ることすらできない彼らの生活は、私たちが普段享受している「普通の生活」からは遠くかけ離れていた。こうした日常を送らざるを得ない状況が今も続いていることを、「そうなのか」と簡単に受け入れてはいけない。おかしいものはおかしいと強く訴えていく必要があると感じた。彼らは日本に暮らす私たちに「現状を知ってほしい、そして共に立ち上がって欲しい」と話した。SNSでハッシュタグを使い記事や動画をシェアすること、パレスチナに連帯するアクションに参加すること、署名をすること。移動の自由があり、言論の自由がある私たちには、まだまだできることはたくさんある。
https://youtu.be/2SlQsvI0dbM?si=nKBZ-chOxVh781iN
取材・撮影・ルポ8bitNews ジャーナリスト構二葵
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