2022/09/24 自然
【奄美大島】ユネスコ世界自然遺産緩衝地帯、瀬戸内町嘉徳浜 デザインに欠陥の指摘されるコンクリート護岸公共事業 9月26日にも強行か 無視される市民の声と科学的知見

※インターナショナルアートzine NEWSONG 2nd issue “somewhere else”に掲載されているエッセイ『嘉徳浜』を、工事強行の危機を受けて8bit Newsに緊急掲載します。NEWSONGは印刷・製本費のためのクラウドファンディング(予約販売)を9月30日まで行っており、リターンは11月半ばにお届けいたします。サポートはこちらから☞https://camp-fire.jp/projects/view/614416

 

 

『嘉徳浜』

嘉徳は瀬戸内海浜バスの終着駅だった。古仁屋で嘉徳行きのバスを待っている時、運転手さんに伝えなければ、バスは嘉徳の1つ手前の集落の節子までしか行かないと聞いた。そして嘉徳からバスを利用する時は、前日だか1時間前だかまでに予約をしなければいけない。寡黙な老人の運転する暖房の効きすぎた小さなバスに乗って嘉徳に向かう間、おばあさんが途中で1人乗ってきて、私よりも前に下車していった。バスが深い山の中を走る間、気圧が変わって耳がパチパチした。途中廃車に繋がれて山羊が飼われているのが見えた。節子の集落の浜には護岸があり、海の中にもテトラポッドが入っているのがバスの窓から見えた。嘉徳浜には砂浜の侵食の原因となるコンクリート護岸やテトラポッドのような人工物はないはずだ。嘉徳には豊かな砂浜と砂丘を守るために土着の植物であるアダンを植えている人々がいる。2022年3月11日、金曜日の夕方だった。

 

バスの運賃の700円を払って、住民が20人ほどの小さな嘉徳集落の中にあるバス停で下車して、まずは浜に続く道を探した。縄文時代から変わらない原風景がそこには残っているはずだ。砂丘への入り口を見つけ浜に行くと、両側を山に抱かれたポケットビーチ、嘉徳浜がそこにあった。あたりには誰もいなかった。嘉徳川が砂浜の中を蛇行して流れていた。この雨量などの条件によって自由に形を変える川の水の流れが大量の砂を運び、浜全体に砂を供給するための大切な役割を担っていることを嘉徳に住む友人が教えてくれた。コンクリートで固められ、病院のベッドに縛り付けられた寝たきりの老人の血管を連想させるような人工的な姿に変貌させられた都市の川ばかり目にしていた私にとって、砂浜を自由に流れる生き生きとした嘉徳川の姿は神秘的だった。浜と集落の間にある砂丘にはアダンが群生していた。本来の海辺の地形と自然の姿。豊かなふかふかとした砂浜を歩いて、淡水の嘉徳川と偉大な海が出会うところを1人眺めた。青い海から打ち寄せた波の先端と、川から海に向かう透明な水が出会い、夕方の水面に静かに美しい模様をつくっていた。水面には空の光や佇む岩の姿が映っていて、一歩歩くごとに微妙に変化するダイナミックな自然の造形の美しさに心を奪われていった。裸足で粒子の細かい砂でできた砂浜を歩き、透明な水が流れる様子を見ているうちに、どうやっても振り払えなかった憑き物が落ちるみたいに、悩みや不安が癒やされ、心から安心し、とても良い気分になっていることに気づいた。意味もなく希望のようなものが湧いてきていた。本能が水が綺麗なことが素晴らしいことだと知っている。嘉徳一帯は森と川と海の連続的な繋がりと循環とバランスが何千年も保たれてきた完璧な場所で、懐かしい地球が、太古の記憶を奪われないまま残っている異世界だった。

鹿児島県が護岸工事に反対する人々の声を無視して嘉徳浜の工事を始めようとしたのは、ロシアがウクライナ侵攻を始めたのと同じ2022年の2月だった。命令されれば自分の意思とは関係なくそれをやってしまう人間の姿は、戦争ととても似ていた。私はヘルメットをかぶった県の職員さんや土建会社の社員さん達が嘉徳浜の入り口に押し寄せ、バリケードを張ったり、工事用の巨大な鉄板を敷いたりするのを、島の友人がリアルタイムでネット配信するのを見た。原風景の残る奇跡の浜を守ろうとする市民と権力が対峙する悲痛なシーンを見て、友情を示すためには今嘉徳に行かなければいけないと思った。今行かなければ、私は薄情者になってしまう。それに私はリベンジがしたかった。小学生の時、自分の家の周りの慣れ親しんだささやかな自然を宅地開発のために重機で破壊された時、私は何もできずただ工事現場をウロウロしていた。だけどあの時私は本当は工事を止めたかった。工事の後、土はアスファルトで埋められ、キジ達の姿を見ることもなくなった。故郷の福島でも原発事故が起きてしまった。 だけど嘉徳浜はまだ手つかずだ。私は迷いを捨てて奄美大島行きの飛行機のチケットを予約した。出発は3月11日にした。混沌とする浜の入り口で、友人は鹿児島県の職員さん達に、工事をすれば浜に住む多くの絶滅危惧種を含む生き物達を殺してしまうことや、護岸が砂浜の侵食を招き災害が起きやすくなるであろうこと、少数派を排除し差別を助長する持続可能でない世界自然遺産の運営はユネスコ世界自然遺産の規約にも反する行為であることなど、懸命に伝えていた。人間の言葉を話すことができない自然や生き物達のために、そしておそらく嘉徳浜を愛する自分自身のために、権力と利権サイドの人間と対峙する友人の姿に私は感銘を受けた。友人は仲間達と、署名や裁判、科学的調査や情報発信、鹿児島県知事や瀬戸内町長宛の協議の場を求める要望書の提出など、民主的手法を尽くして浜を守ろうとしていた。

 

2月に鹿児島県による強行工事の試みがあった後、工事現場入り口には抵抗キャンプができていて、人々の想いのこもったプラカードがあちこちに設置されていた。浜に続く道と浜の間には嘉徳川と合流する金久川が流れていて、川の少し手前に巨大な重機が一台止まっていた。川には絶滅の危機に瀕しているリュウキュウアユや、嘉徳川にしか住んでいない新種のスジエビCタイプが住んでいることが確認されていて、東北大大学院の池田実教授は絶滅のリスクが高い極めて希少な集団であると述べ保全を訴えていた。( https://news.yahoo.co.jp/articles/86c7fd8be04188aa2260576832ebb632647c5b88 )この遠く離れた東北の教授からの声はメディアにも報じられ、嘉徳浜が危機に瀕していた2月に届き、バリケードが設置され、重機が川の手前まで搬入されてしまったものの、スジエビについての発表以降工事は止まっていた。日本生態学会、日本魚類学会、日本ベントス学会も鹿児島県に対して工事の即時停止や環境影響評価、嘉徳海岸を永続的に保護する科学的方策を求める要望書を出していることを知った。( https://esj.ne.jp/esj/Activity/2022Amami_Katoku.html ) 一方、奄美大島の世界自然遺産登録を喜んでいるはずの県は、ユネスコの諮問機関であるIUCNに対して、工事は川から遠く離れたところで行うので影響はないと嘘をついていた。これに関して、JELF(日本環境法律家連盟)が今年6月にユネスコの諮問機関IUCN(国際自然保護連合)に対し、日本政府および鹿児島県に計画の見直しの勧告をすることを求める目的で送った要望書の中で述べている。( https://www.jelf-justice.org/statement/statement-2099/ )浜に重機を乗り入れるには、目の前の川を潰して進まなければいけないのは誰が見ても明らかだったし、流動的に形を変え浜の一部ともなる嘉徳川は、浜とは切り離せない存在だった。私は抵抗キャンプで座り込みをしている人たちに挨拶をし、雑談しながら一緒に簡単な夕食を食べた。夜は大学生の女の子と一緒にテントをシェアした。とても素敵な子で、一緒にいると話も弾んだ。少し寒かったけれど、寝転がって海の音を聞いていると、すぐに眠りに落ちてしまった。

 

翌朝あたりを散歩すると、坂を登っている途中、山に抱かれた美しい嘉徳集落の姿が見え、道路には島の固有種のアマミノクロウサギの小さな丸い糞がたくさん残されていた。穏やかで美しい南国の風景の中を歩きながら、昔家族と行ったタヒチやモルディブのことを思い出した。そこにもこんな感じの清浄な空気や美しい海岸や緑があって、楽園のようだった。浜を一望するアイコニックな風景を確認した後は、浜に戻って海で泳いだ。嘉徳に住む友人とも浜で会い、彼は砂のサイクルについて、砂に絵を描きながら話してくれた。知性と情熱に溢れていて、とても元気そうだった。強行工事をされてしまうと困るので、夕方5時頃までは工事現場入り口で島に住むプロミュージシャンの方と一緒に座り込みをした。練習をしないと腕が落ちてしまうので、彼は座り込みの現場で木琴の練習をしていた。彼の木琴の演奏は、心洗われる純粋な響きだった。話しているうちに、以前橋の下世界音楽祭で会っていたことに気づいた。浜の神さまに「神とともにありなさい」と言われたと言っていた。私も嘉徳浜には神さまがいるように感じていた。その日の夜は県を相手に公金支出差し止め訴訟を起こしている嘉徳浜弁護団の報告会があった。

嘉徳浜の護岸工事問題の発端は2014年の台風18号と19号によって起きた砂丘の侵食だった。工事の利害関係者を含む集落の人たちは護岸賛成派と反対派に分断されてしまっていた。賛成派の話しか聞かず、嘉徳浜の未来について包括的で民主的な協議の場を設けない行政サイドも住民の分断に加担していた。優れたリーダーシップは差別を助長したり人々の分断を招いたりしない。2021年11月に奄美インターナショナルシンポジウムに登壇したジャーナリストの伊藤詩織さんは「コンクリートなんていらないけれども、私は賛成なの。やっぱり村八分になるのが嫌だから賛成なの」と口にするある住民の声を聞いて、「その声を上げられない状況に侵されてしまっている姿を見ていて、心が苦しくなりました」と嘉徳で触れた同調圧力について話していた。

いくつかのマスコミは護岸工事に反対している人々の動機が自然保護のみであるかのような不正確な報道を行なっていたけれど、この件は自然保護だけでなく防災の手法や海岸工学、護岸デザインの欠陥についての話だった。

 

嘉徳の護岸計画のアセスメントを行ったニュージーランドの海洋学者のエド・アトキン氏は、高さ6.5メートル、長さ150メートルのコンクリート護岸が嘉徳浜に必要と結論づける、県が採用している西隆一郎さん達による論文の問題点を細かく指摘していた。要約は4点に分けられていた。①意思決定プロセスや設計に関連する環境影響評価や詳細な海岸プロセスの研究の証拠がない②配置、配列、垂直方向への広がりを含む陸地防衛構造のデザインが不適切であり、海岸の砂の侵食や喪失を引き起こす可能性が高い。③気候変動と海面上昇(SLR)に配慮した証拠がない。④敷地のアメニティ価値と社会経済的価値が考慮されていない。「これらの点は、嘉徳がユネスコ世界遺産であり、北太平洋の限られた数のアカウミガメの孵化場の一つであるという事実とは関係なく指摘している。アカウミガメが絶滅の危機にあること、北太平洋の全ての孵化場は日本にあること、アカウミガメの孵化場はアクセス可能な地表のビーチを必要とすることは指摘しておく」と彼は要約の後に付け加えていた。

 

アトキン氏が勤勉さや業界標準のプロセスを欠いていると指摘する西さんの論文の要旨が「ほぼ1回の侵食現象に集中していることを考えると、西らがどのようにハードな工学的構造物が必要であると結論付けたかは不明である。つまり、これは慢性的な侵食の状況ではなく、また慢性的な侵食の証拠もないのである」とアトキン氏は書いている。「西ら(2020)の要旨では、2014年に観測された狭い浜幅は同年10月の台風によるものとされているが、航空写真では2013年には既に浜が狭まった状態であったことが示されている。西ら(2020)が2014年の台風シーズン以前のことを考慮したかどうかはわからないが、2013年から嘉徳川の分水工事が行われており、沿岸域でのこのような活動は、沿岸プロセスや海岸線管理の調査の文脈で確実に考慮されているべきことである。河口の堆積物の量や、堆積物の貯蓄機能を考慮すると、2013年以降、河川分水工事が湾全体に影響を及ぼした可能性がある。海洋環境では既存の力学に対する小さな変化が、累積的かつ複合的な影響(バタフライ効果など)を伴って大きな結果をもたらすことが研究によって示されている。」

 

「自然の海岸と砂丘システムは、波のエネルギーを消散させ、波の遡上と前砂丘での海水の地中浸透を可能にする。海岸と前砂丘は、侵食現象に対する緩衝材として機能し、流動的な海岸環境の自然プロセスに合わせて陸側と海側を調整することができる。これに対して、固い、急斜面の、垂直方向の構造物は、動かない『砂の中の一線』を代表するものとして乱流を増加させ(すなわち、砂を一時停止させ)、波を反射するため、砂を海岸から引きずり出してしまう。波と相互に影響する防波堤、護岸、その他の固い構造物は、侵食を悪化させる。これらは、浜を犠牲にして陸地を保護する機能を持つ、陸地保護構造物なのである。アメニティや生態系の価値の低下と喪失が問題とされない場合を除き、このような構造物は(非常に極端な事象時の「最終防衛」としての埋設「バックストップ」壁の使用を除いて)、露出した海岸で使用されるべきではない。 」

 

砂浜が優れた天然の防波堤であるという力学的事実はじめ、ここで書かれていることは、護岸に反対する人々の間でもよく話題になっていた。「分水工事」というのは、今回の護岸工事の利害関係者の方が、2013年に形を変える嘉徳川を無理矢理真っ直ぐにしようと、重機を使って行っていた作業のことを指している。この工事によって、本来川が浜の北側に運ぶ砂の動きが阻害されて砂浜が痩せ、そこにやってきた台風が侵食を招く結果になった。つまり2014年の台風による侵食も、人が浜の堆積物の移行プロセスを乱したことによって起きた人災ではないかと人々は話していた。そして台風の後、砂丘や砂浜の堆積物の量や浜の幅は自然に回復し、生態系を生かした防災、ECO-DRRを実践する人々がアダンの植樹を行なっていた。そして海岸構造物の失敗例は既に奄美大島にも多くあり、アトキン氏は「不適切に設計された構造物と極めて質の低い海岸管理が実践されている奄美大島地元の例」として、「嘉徳から北東におよそ20kmに位置する小湊」をあげていた。1945年頃には健全な砂浜が存在していた小湊の浜では海岸工学的大失敗による侵食が起き、浜の一部からは侵食によって完全に砂がなくなり、荒廃している。人々は同じような環境アセスメントすら行わない質の低い公共事業が嘉徳浜で繰り返されることを恐れていた。

「健全なビーチとは、住民や観光客が頻繁に訪れたいと感じるビーチであり、海岸に十分な量の堆積物があり、満潮時にアクセス可能なビーチのことである。…多くの人々にとって、海岸の魅力は自然環境である。入手可能なこの地域の写真からも、極めて高い自然環境があることが明らかで、この理由1つだけによっても、このような環境での護岸建設や土木工事は、ほとんどの先進国では許可されないであろうと判断できる」とアトキン氏は書いている。エド・アトキン護岸アセスメント全文☞https://amamiworldheritage.org/report/ed-atkin/en

 

20年ほど前に出版された『犬と鬼~知られざる日本の肖像』の中で、著者のアレックス・カーはこう嘆いていた。「川や谷ばかりではない。最も痛ましいのは海岸だ。九三年には、全海岸の五五パーセントが完全にコンクリートブロックやテトラポッドで覆われた。…重さ五〇トンにもなるテトラポッドはビッグビジネスだ。官僚にとってはおいしい仕事で、国土交通省、農林水産省の二省が、毎年それぞれ数百億円を投じてテトラポッドを造り、海岸にばらまいている。まるで二人の巨人が、海岸を的にして画鋲を投げているようだ。無駄なだけならまだましだが、残念ながらもっと深刻なダメージを与えている。テトラポッドに対する波の作用で砂の流失が早まり、海岸の浸食がかえって激化することはわかっている。これがじゅうぶんに理解されるまで数十年かかったが、八〇年代アメリカでは、メーン州を皮切りとして堅固な護岸工事を禁じる州が増えてきた。サウスカロライナ州は八八年、新たな設置を中止するだけでなく、すでにある護岸設備も四〇年以内にすべて撤去するよう命じている。しかし日本では、護岸設備は減るどころか増えるいっぽうだ。おいおい見ていくが、これはさまざまな分野で見られる現象である。破壊的政策は五〇年代に動き始め、六〇年代には止められない戦車となり、費用も損害もかまわず、ほんとうに必要かどうかも気にせず、ただひたすら前進を続けている。コンクリートで覆わた五五パーセントの海岸線は、二一世紀に入って六〇パーセント以上に増えた。距離にして数千キロである。日本の海岸はある日急に浸食が激しくなり、海岸線の六〇パーセント以上をコンクリートで固めねばならない理由があったのだろうか。明らかに、どこかで何かが狂っている。」

 

そして”Advanced Series of Ocean Engineering: Volume 31”「海洋エンジニアリング上級:ボリューム31」の”Japan’s Beach Erosion”『日本の海岸侵食』という本の要旨の内容も類似していた。「日本のビーチでは1970年代から人為的な陸地改変による侵食が続いている。およそ3000の漁港と1000の商業港が全国的に建設されており、それに加えて2532の大規模なダムが大規模な河川の上流の流域に建設されている。港とダムの発展により河川の砂の供給が著しく減少し、河口周辺の海岸線の減退という結果を招いている。海岸線への継続的な砂の供給は港の防波堤によっても妨害されている。ウェーブシェルターゾーンを港の防波堤付近に形成すると、沿岸の砂の移送を誘発するため、ウェーブシェルターゾーンとその付近の侵食の加速に繋がる。ほとんど全ての日本の海岸侵食の原因は人為的な要因によるものである。海岸侵食の精密な状況は、日本語でも英語でも文献で明らかにされてこなかった。海岸エンジニアはこれらの結果から学ぶことができ、学ぶべきである。そうしなければ、保護手段と近隣の海岸への留意なしに行われる過剰な沿岸開発によって誘発される同じ状況と問題が、世界中で再発してしまうことになる。」

 

鹿児島県はまさに「同じ状況と問題」を、世界自然遺産の敷地で再発させようとしていた。私は嘉徳を散歩しながら憂鬱な気分になり、護岸工事のことも、戦争のこともぜひみんな忘れてしまってほしいと思った。やらなくて良いことを、やらなくてはいけないかのように吹聴して、マジメにやろうとしないでほしい。問題のある公共事業を強行するために時代遅れの一面的な情報だけを住民に与えて怖がらせ、今では明らかになっている護岸の害を考慮せず知らせもしない行政はとても卑劣だと思った。健康な人を騙して無理矢理高額な手術をして、不健康にしてしまうヤブ医者みたいなものだと思った。腹が立った。IUCNは県に護岸工事を中止し防災手法を再検討するように勧告をしてくれるだろうか?

 

夜にはまた散歩に行った。夜行性の動物が多く、夜の方がたくさんの生き物達に会うことができた。アマミノクロウサギ、カエル、イモリ、ヤマシギ、オカヤドカリ。ハブは山を守る神さまと言われていると聞いたから、密かにハブに会いたいと思いながら歩いた。境界が曖昧な夜の空と海を見ていると、とても神聖な気持ちになった。海の音が空気を満たしていた。

帰り道、手に持つ懐中電灯以外の光は集落の光と、嘉徳川の上流の山の上につくられた自衛隊の瀬戸内分屯地の光だけだった。南西諸島軍事化の流れの中で新しくできたミサイル基地で、太平洋の島々の軍事要塞化を懸念するハワイの友人は、奄美の基地では核ミサイルも格納するのではないか、劣化ウラン弾を使った訓練が行われるのではないかと心配していた。森林伐採や基地をつくる工事が始まってから、それまで雨が降っても濁ることのなかった嘉徳川でも水が濁ったり、赤土の被害が出るようになったと嘉徳の友人は言っていた。基地で使う有毒な化学物質による水の汚染も起こるかもしれないし、光や騒音も森に住む生き物たちに悪影響を与えるはずだ。有事には攻撃を受ける可能性もあるし、戦争という大量殺人に加担する可能性もある。楽園にも危機がある。

 

3月15日に一度嘉徳を去った後、私が再び奄美大島を訪れたのは同年の5月で、ウミガメが産卵のために砂浜に上陸する季節だった。今度は沖縄本島からフェリーで奄美まで旅した。梅雨に入り雨量が増えたことで、嘉徳川はより真っ直ぐに海に抜ける形に変化していた。嘉徳浜では2002年に絶滅危惧種のオサガメの産卵が日本で唯一確認されている。20年経った今年、その時のオサガメの子どもがもしかしたら産卵にやってくるかもしれないと期待している人もいた。ウミガメの減少の要因の1つでもある護岸工事は進んではいないものの、8月現在まだ中止にはなっていない。再び嘉徳浜の優しい砂の上に座って、「嘉徳浜に戻ってきたぞ!」と思うと涙が流れてきた。嘉徳は地球そのものを象徴するような場所だった。地球に帰ってきた!

 

工事が止まっていた夏が過ぎ、護岸工事ありきの決まったことを押し付けるだけの差別的で非民主的な行政運営により、嘉徳浜に再び危機が訪れている。嘉徳浜の太古の原風景を未来に継承していけるかどうかは、今の時代を生きている人々の行動にかかっている。

 

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プロデュース :蜂谷翔子
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