2022/08/30 公式動画
家族を失った今も激戦地ヘルソンでボランティアを続けるウクライナ人が証言「誘拐、拷問、殺害、人道危機」

きょう、8月24日はウクライナの独立記念。そして、今年2月に始まったロシアによる侵攻から半年になる。首都キーウでは祝賀行事や集会が禁止されたものの、市民生活は日常を取り戻しつつあり、残されたロシア軍の戦車に跨ってウクライナ国旗を掲げる子どもたちなど、街のあちらこちらでそれぞれの記念日を祝う姿が見られた。

独立記念日を前に、首都キーウでは市民が残されたロシア軍の戦車に登り国旗を掲げる姿も 撮影:Alex Chan Tsz Yuk(8bitNews)
独立記念日を前に、首都キーウでは市民が残されたロシア軍の戦車に登り国旗を掲げる姿も 撮影:Alex Chan Tsz Yuk(8bitNews)
首都キーウ 21日撮影:Alex Chan Tsz Yuk(8bitNews)
首都キーウ 21日撮影:Alex Chan Tsz Yuk(8bitNews)
首都キーウ 21日撮影:Alex Chan Tsz Yuk(8bitNews)
首都キーウ 21日撮影:Alex Chan Tsz Yuk(8bitNews)

一方、ロシア軍が支配し、ウクライナ軍が奪還を試みるウクライナ南部ヘルソン州。今も激しい戦闘が続く激戦地の一つだ。ウクライナ軍は先月から今月にかけ、ロシア軍の補給路を断つためドニプロ川に架かる唯一の橋アントノフスキー橋を攻撃。通行不能にするなど戦果をあげた。米軍から提供された高機動ロケット砲システム「ハイマース」が使用された。

しかし、攻撃を受けロシア軍はヘルソン州で兵力を3千人規模で増強。ドニエプル川西岸に駐留するロシア兵は少なくとも1万5千人に上るとワシントン・ポストが報道、厳しい攻防が続いている。

先日、そのヘルソン州で、家族をロシア兵によって殺害された今もなお、現地で食糧支援や緊急物資の配布などのボランティア活動を続ける男性、デニス・フェデコさんにインタビューした。

デニスさんの両親と兄の妻、姪と甥にあたる2人の子供はウクライナ南部ヘルソンの郊外から車で脱出を試みた際、ロシア兵に殺害された。

ロシア軍による非人道行為をデニスさんが証言してくれた。

デニスさんへのインタビューは、通訳としてサーシャさん、ジャーナリストkure kaoruさんと共に行った。
デニスさんへのインタビューは、通訳としてサーシャさん、ジャーナリストkure kaoruさんと共に行った。

サーシャ:ロシア軍が侵攻したあの日の夕方、17時30分だったと思いますが、デニスさんや家族に何が起きたのか詳しく教えてくれるようお願いしても良いですか?話すことが大変でなければ、教えてもらいたいのです。こんな質問で本当にごめんなさい。

デニス:私の家族はドニプル川流域、カホフカ水力発電所を車で通っていました。両親が住んでいる所から行先までは普段だと8分しかかりません。その日の朝からロシア軍はヘルソン市周辺を侵略して、ノヴァ・カホフカの方向へ前進、朝10時にもうロシア軍に侵略されました。展開は非常に迅速でした。私が住んでいる集落はノヴァ・カホフカから4キロ離れている所で、電気も水道も止まって、子供も大人も怖がっていて、町の方へ避難していました。

ロシア軍によって殺害されたデニスさんの家族 デニスさん提供。
ロシア軍によって殺害されたデニスさんの家族 デニスさん提供。

サーシャ:何という集落ですか?

デニス:ヴェセレという街です。家族が殺害された時の状況、説明した方が良いですよね。橋を渡る時に家族が乗っていた車がロシア軍によって射撃されました。実は、その瞬間、私は母と電話で話していたのです。

「あそこに行かないで、ヘルソンかオデッサに行った方がいい」と、私は言いました。オデサに泊まれる場所があったので。

射撃があった瞬間、母の叫び声が聞こえました。「神様!子供になんてこと!」叫び声と泣き声が聞こえました。私が母の声を聞いたのはそれが最後です。

家族の車が射撃され、6歳半の姪のソフィカが撃たれました。電話口でその後も射撃の音が聞こえました。車が止まったのがわかりました。その時、私の両親が殺された三つの銃の音を聞いたのです。

◆妻と子どもたち、そして両親を一瞬で失った兄の慟哭

サーシャ:遠くから射撃されましたか?それとも近い距離から?

デニス:至近距離からです。車から引きずり降ろされて撃たれました。車が止まったこと、家族が車から引出されたこと、その全てを私は聞いていました。その瞬間さえ、母と電話が繋がっていたからです。あの時に何が起きたか事細かに述べられる。そして、ロシア軍人がトランシーバーで何を話していたのかも。

車両は攻撃を受け破壊、炎上。残骸が残された。デニスさん提供。
車両は攻撃を受け破壊、炎上。残骸が残された。デニスさん提供。

私は母の姉妹にすぐさま連絡をしました。叔母はその電話から15分後には、現場に着き、その惨状を自分の目で見ました。ロシア軍の兵士が子供たちの遺体を叔母に渡しました。もう少し早かったら助けられたかもしれない。そう思います。

兄家族の写真がInstagramに残っています。生き残った兄は、奥さんと子供たちと沢山の幸せな時間を過ごしていたのが分かります。下の息子は一か月半でした。その息子が生まれるのを兄夫婦はとても待っていたんです。私達のお爺ちゃんの名前はイヴァンで、イーラ(兄の妻)のお爺ちゃんの名前もイヴァン。生まれた息子にもヴァニカ(イヴァン)という名前にしたかったと言っていました。

デニス:兄は「あなた達と(妻や子供、父や母)別れることさえ許されなかった!本当にごめんなさい」と書いています。それを見て、私はとてもとても辛かったです。ショックでした。両親と兄の妻の死体は、結局、2日間返還されなかったのです。襲撃された現場に行けるチャンスもありませんでした。私と兄はロシア軍に追われる立場でもあったので。

サーシャ:今、お兄さんはどちらにいらっしゃるのですか?

デニス:兄はムィコラーイウにいます。彼はパトロール警官なので。今はムィコラーイウを守っています。

カオル:殺されたご家族の遺体が親戚に返還されたときに、ロシア軍人たちは何を言ったのか、聞いていいですか?

デニス:結果的に遺体を引き取ることになったのは、母の姉妹と兄の妻、イーラのお父さんです。彼は自分の娘と孫たちの死体を引き取りました。叔母に電話をしたら、「私は今血だらけだから後で連絡するね」と言われました。ロシア軍は何を言っていたのか分かりません。私は、叔母たちの心の傷を乱さないように詳しい話を聞かないようにしていました。

殺害されたデニスさんの義理の姉と姪 デニスさんの提供
殺害されたデニスさんの義理の姉と姪 デニスさんの提供

その日の夜に、私のもとに兄から電話が来ました。子供たちは病院に運ばれたので、当初助けられるのではないかと私は祈っていたのですが、兄は「ごめん、家族を守れなかった。国を守って任務を遂行していた。私にはもう誰もいない」と言って、兄は電話を切ったのです。

◆ヘルソンで起きている「人道危機」の過酷な実態

堀:とても悲しい話です。言葉がありません。ヘルソンで今何が起きているのですか?

デニス:ヘルソンで起きていることは、最初のころに公開されていませんでした。パニックにならないようにだと分かっていますが本当にショックなことが起きています。感情を置いて事実を述べます。

まず、ヘルソンの市民たちは誘拐されています。人道的危機に直面しているのです。公式の人道回廊はありません。ヘルソン州に届けられている物資は私たちのようなボランティア活動によって支えられています。そうした、ボランティアの人達も攻撃の対象になっています。人の命が犠牲になっているのです。捕虜にされることもあります。一方で、ロシア軍は人々に食糧を届ける支援を積極的に行い、住民たちを自国への支持者に仕立てるため「洗脳している」とも言えます。

リモートでインタビューに応じるデニスさん 撮影:堀潤
リモートでインタビューに応じるデニスさん 撮影:堀潤

カオル:ヘルソン州はロシアが編入しようと「不正」の国民投票を行う予定があると聞いています。現在は、その計画は中止になったいいますが。

デニス:そうした洗脳行為に対抗するため、(私が)現地にいなくても印刷が出来る人を探して、チラシを印刷して、現地で自分の命にリスクをかけてもそれを配布できる人を探して活動を続けています。「ヘルソンはウクライナだ」と現地の市民たちに伝えるために必要な行動です。

私は、戦争が始まった最初の日からヘルソン州のほぼ全ての町村にいる現地の人との連絡を取っています。逆に、救いを求めるため私に毎日何人もの人が連絡をしてくれています。とても沢山です。毎日20人~30人くらいです。ヘルソン州でこの困難な状態が始まってからもう千人ぐらいは様々な困ったことが合ったら私に連絡してきたでしょうか。

支援活動の大部分は公開していません。自己宣伝のためじゃなくて本当に人を助けるために動いているからです。また、私たちの活動を手伝っている、というだけで殺される恐れがあるから公開を控えてきました。

デニスさんたちの支援によって暮らしを支えられている市民がいる デニスさん提供
デニスさんたちの支援によって暮らしを支えられている市民がいる デニスさん提供

そうした中、「敵に協力している人かどうか確認を取ってほしい」という連絡が、つい最近ありました。

サーシャ:ロシア軍に協力している人は多いのですか?

デニス:多くはないですが、自分の利益のために動いている人はいます。多くはありません。起業家の多くはヘルソン州に残って、市民を支えるための方法を模索し、実行しています。こういう風にちゃんと物事を考える人の方が多いのですが。

カオル:ヘルソンはロシア語話者の方が多い地域ですか?デニスさんは今ウクライナ語で話していますが、ずっとウクライナ語でしたか?それとも戦争が始まってからウクライナ語に切り替えたのですか?

デニス:ヘルソン市とヘルソン州の人口が多い何箇所では主にロシア語の方が使われています。町ではロシア語で話すことは歴史的な傾向です。田舎の方はウクライナ語と、ウクライナ語とロシア語から出来た「スルジク」(ウクライナ語とロシア語が混ざった話し方)を使っていました。ヘルソン市ではロシア語が使われています。

堀:戦争犯罪について聞きたいですが。ロシア軍による市民の殺害は戦争犯罪ですね。ヘルソンやその周辺にロシア軍によって行われた戦争犯罪の証拠は他にありますか?

デニス:市民の殺害は戦争犯罪ではないですか?民間インフラの破壊は戦争犯罪だではありませんか?自分の意見を言うウクライナ人の市民に対する拷問は戦争犯罪ではありませんか?この長年の戦争の間にドンバス州で祖国を守ろうとしていたウクライナ人の男性たちへの殺害は、戦争犯罪ではありませんか?

私はずっと言い続けます。私は多くの事実を知っています。助けを求めている市民たちが私に連絡をよこします。現在、市民の誘拐と拷問事件に関する相談は少ない時でも1日に5件は来ています。

現場でのデニスさんの様子 デニスさん提供
現場でのデニスさんの様子 デニスさん提供

カオル:どういう人たちが誘拐されるのでしょうか?どういう理由ですか?例えば、スヴァスティカ(卍―ナチスのシンボル)の入れ墨があるからとかですか?

デニス:ちょっとした理由でもあったら誘拐されます。ウクライナ語を話すこと、ウクライナの国章を付けていること、攻撃性がなく、ただウクライナを応援する写真などをSNSでアップしているだけでも、誘拐される場合があります。

デニス:こういう情報も聞きました。これは本当に酷いです。拷問をしながら「バンデーラはどこだ?武器はどこだ?」とロシア軍兵が恫喝をするといいます。バンデーラにはもちろん誰も会っていません。随分昔に亡くなったからです。市民が武器を持っているところも見たことがありません。ヘルソン州の市民にあった武器は全部取られたからです。武器を持って戦えません。ロシア軍は何千人もいますし、薬局にもパンを買いにも出かけるぐらいでも市民たちは怖がっています。家に帰れるかどうか不安だからです。市民たちは地域に取り残されています。

[バンデーラとは、ステーパン・バンデーラ(1909~1959)ウクライナ民族解放運動の指導者]

デニス:今日私たちへの相談としてもらったメッセージを紹介します。

「父を見つけることを手伝ってください 5月13日にヤシェンコ・アレクサンダル・アナトリェヴィチ1973年生まれ、シュメンスキ区(ヘルソン市の郊外)のレス基地にいた。15時ぐらいにロシア軍の制服を着ている男性が来て、父を何処かに連れ去った。父は電気線を修理する仕事をしていた。父を見つけるのを手伝ってください。連絡先。」

私に頼むときには、どういう形式で問い合せを送ればいいのかをもう皆が分かっています。

◆国際社会からの支援限られ、市民ボランティアが命を支える

デニス:ヘルソン州の人たちはなんとか頑張っています。市民たちの行動は本当に感動します。彼らは私から見れば英雄たちです。侵略の状況に置かれて抑圧があるにもかかわらず、市民たちは本当に頑張り、助け合っています。外からの支援がなければどのぐらい耐えれるのか分かりません。私は力になれる方法を考えていますが、資源や支援が足りません。

薬や食糧を届けるボランティア活動を続ける現地市民 デニスさん提供
薬や食糧を届けるボランティア活動を続ける現地市民 デニスさん提供

デニス:こちらは私と協力して救援活動をしている人たちです。ヘルソンに薬を送っています。薬を配達するために車が要ります。燃料のためにお金が要ります。最初、私は一人でした。ある仲間が、ヨーロッパでの仕事をやめて私の所に来てくれました。ここに集まっている他の仲間は、ロシア軍に侵略された地域から逃げてきた人たち。子供の頃から知っている人たちですが。

サーシャ:デニスのチームに今何人がいるの?

デニス:近くにいるのは15人ぐらいでしょうか。他にも手伝ってくれている人が沢山います。

◆私の家族が殺された日から、生きている人達を守るために戦い始めた

殺害されたデニスさんの両親 デニスさん提供
殺害されたデニスさんの両親 デニスさん提供

カオル:日本人に伝えたいことはありますか?

デニス:日本は技術的に非常に先進している国で、これまでに技術に関係がある専門家と話せる機会があれば、我々の活動領域においても、何かの助けを得られたかもしれないと思っています。

日本にとって隣国のロシアは落ち着きがない国です。日本の領土の一部をあげれば、日本の全領土が奪われてしまう。ウクライナの領土の一部をあげてしまったら、ロシアはヨーロッパの方に進むのだと確信しています。

私は戦争にも暴力にも反対しています。

私の家族が殺された日から生きている人達を守るために戦い始めました。人の命は最高の価値です。人は死ぬためではなく、生きるために生まれてきます。私は戦争にも暴力にも反対していますが、完全に止めさせないといけない。一部をあげたら終わらせるというのはいけない。それはあり得ない。今置かれている状況では人が生き残らないと思っています。

全世界の応援と支援が必要です。21世紀に、こんなことが許されるのは全世界にとっては恥です。私達全員にとっての恥です。

サーシャ:日本からの軍事的応援は必要だと思いますか?

デニス:日本政府は軍事技術をウクライナに提供できると思います。例えば、偵察のために使われるドローンなどです。軍隊員と私の仕事はそれぞれ別のものですが、もし私にドローンがあって、その使用方法が分かれば、それを使って薬を届けることが出来るかもしれません。

もう一回伝えてもいいですか?

私は暴力に反対しています。私は日本人のように平和主義者です。この胸には「侍」の入れ墨が掘ってあります。

侍の刺青について語り始めるデニスさん 撮影:堀潤
侍の刺青について語り始めるデニスさん 撮影:堀潤
Tシャツを捲るとそこには侍の顔が 撮影:堀潤
Tシャツを捲るとそこには侍の顔が 撮影:堀潤

カオル:デニスは平和主義者である、と言いましたが、ロシア人に伝えたいことがありますか?ロシア人が出来ることがあればとも思います。

デニス:彼らのことは可哀そうだと思っています。長年に渡って彼らは馬鹿にされてきたのだと思っています。彼らは自分自身で物事を考え図、プーチンの強権ぶりに気付かないで来たから、彼らにも責任があると思っています。

しかし、彼らに対して私は怒りや攻撃性を持っていません。可哀そうだと思っているのです。彼らはこんな状況に置かれたこと、抵抗が出来ないこと、勇気が足りないことは、とても可哀そう。本当に。

ロシア人が武器を下ろしたら、ウクライナ人は彼らに私達の理解能力、私達の勇気を貸してあげます。応援してあげます。彼らから順に「ウクライナ人」を作ってあげたい。そうすれば、きっと、全てがうまく行くでしょう。

プロデュース :HORI JUN
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