2020/08/26 地域
於茂登 命をめぐる水と生きて

喜友名朝徳(きゆな・ちょうとく)さんが、計画移民先遣隊として石垣島に到着したのは1957年5月18日。
翌19日には真栄里山(現在の於茂登/おもと)にやって来ました。
石ころだらけの痩せた土地を耕し、自然流下の力を活かした水の供給システムをつくり、苦しい時期を仲間たちと乗り越えたからこそ、今の於茂登の人々の、自然と共存する豊かな生活があります。

朝徳さんたち沖縄本島北谷村(ちゃたんそん)出身の人々は、戦後自分たちの土地を米軍に軍用地として奪われ、わずかな土地を戦地から引き揚げてきた多くの方と分け合い暮らさねばなりませんでした。
そんな中で、生きていくために土地を求めて石垣島へ渡ることを決めたのです。

それから58年後の2015年11月、石垣島に陸上自衛隊のミサイル防衛に特化した部隊の配備が要請されます。候補地は、平得大俣(ひらえおおまた)。島の中心部於茂登岳の麓で、朝徳さんたちの生活する於茂登集落のすぐ近くでした。

於茂登の自然の力を生かした水の供給システムは、今では石垣島全体の農業用水に利用されているそうです。

また基地配備予定地の辺りは豊かな地下水に恵まれており、「天然のダム」とも表現されて、石垣市の飲用水の2〜3割に使われています。
その上に基地ができることにより、米軍嘉手納基地や普天間飛行場で起こったような有害物質が流出し水を汚染する事故が起こる可能性が、懸念されています。

プロデュース :蔵原実花子
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