2020年3月14日 東日本大震災そして東京電力福島第一原発事故から9年の時が過ぎようやくJR常磐線が全線再開通しました。 これにより岩手、宮城、福島の東北3県の不通だった鉄道区間は全て解消されました。
常磐線は震災発生後、福島県内の全区間(132.4km)が津波被害や原発事故により被災し、運行不能になりましたが、
段階を経て復旧や除染作業を進め2020年3月に全線再開通を目指してきました。
福島県双葉郡富岡町では2017年4月に帰還困難区域を除き避難指示が解除されました。町の有名な観光名所でもある
夜ノ森の桜並木は全長2.2kmありますが多くは帰還困難区域にあたっており、300m区間しか開放されていませんでしたが
昨年の4月の桜まつりの時には、町が企画して帰還困難区域を走る花見バスが運行され一時的に一部が開放されました。
そして今年の3月10日早朝に帰還困難区域の一部である夜ノ森駅周辺と駅に至る県道や町道約1.1kmが先行解除され
桜並木は500m追加して見られるようになりました。
(因みに今年の町で開催する富岡桜まつりは新型コロナウイルスにより中止が発表されています)
また4日には唯一全町避難が続いていた双葉町で帰還困難区域の一部地域の避難指示が解除され、立ち入り規制も緩和されました。 これらのエリアは帰還困難区域の中でも人が住めるように除染作業やインフラ復旧を進める「特定復興再生拠点区域」とされており 双葉町、大熊町は2022年、富岡町では2023年の春に向けて住民が戻れるように進めています。 しかしながら双葉町で解除されたのは町全体の4%程でしかなく、多くは帰還困難区域のままで街全体としての見通しは まだ立たない状態です。大熊町も同様に3月5日に大野駅周辺の避難指示が解除され、その他一部のエリアで立入り規制が緩和され 通行証がなくても立入りができるようになりました。 一方で町の多くはまだ規制がされておりバリケードが置かれ許可なく立入りが出来なくなっています。 また震災の時から時が止まったままの場所もあり、本当の意味での復興はこれからなんだと改めて実感しました。
今回の常磐線開通にあたり賛否両論ありますが、どこかで進んでいかないとこのまま復興していかないと思います。
課題はまだ多くとも復興へ向けての本当に大きな一歩が今回の常磐線全線再開通なのではないかとも思いました。
福島第一原発の廃炉作業は当初40年が見込まれていましたが10年目になる今、一部作業は進んでいますが、作業全体としては
は当初より遅れており原子炉や格納容器の中の状況もまだよくわかっていない現状です。
それでも原発やその周辺の現場では多くの方が日々作業を進め少しずつでも一歩一歩復旧と復興を目指しています。
想像以上の自然災害と人災と偶発的ないくつもの出来事により起きてしまった原発事故は、東京電力の責任だけではなく、
原発に依存してきた国の問題、そしてそれを任せてきた国民私たちみんなの課題でもあります。
(もちろん必要な責任や原因の追及は今後もしていくべきだと思いますが)
しかしながら現状はどうしても一部地域だけの課題になってしまっています。
実際に目に見えるバリケードで引かれた境界線。そして目に見えない壁で引かれた境界線。
9年が過ぎてもまだまだ復旧、復興の途中です。それを着実に前に進めているのは現場で作業をされている人たちだけでなく
故郷を取り戻したい地元の人、そしてそれを少しでも応援したい人が県内外から集まって今の浜通りがあるのだと思います。
本当に言葉に出来ないほど大変なことを経験し、いろんな想いを抱えながらも、それでも楽しむ事も忘れずに現地を支えている人たちがいます。
今回は常磐線で最後まで不通だった富岡駅から浪江駅までの間を中心に地元の有志の皆さんによる「桜色プロジェクト」が行われ、 横断幕や桜色のものを持って沿線を桜色に染め、電車に乗って来てくれた人たちをお出迎えしていました。 前日までの春の陽気とはうって変わり、2011.3.11の雪の日を思い出させるような真冬のような寒い雨の中でしたが ホームは明るい桜色で染まりその場には笑顔と涙が溢れていました。 そこにはただ単に喜びだけではなく悲しみも入っていますが、それでも再開通という一つの事実は前向きな一歩なんだと。 私たちは忘れていくのではなく、せめて忘れないように、そしてこれからも見届けていくことが必要なんだと思いました。 例えそれくらいしか出来なくとも、少なくともそれが次世代へ繋いでいく大人の責任なのではないでしょうか。 そう現地に行き感じました。
双葉町・大熊町・富岡町における避難指示区域の解除について詳細はこちら↓
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/kinkyu/hinanshiji/2020/20200310.html