差別を受け生活の場を奪われてゆくハンセン病を患った人たちにとって療養所の存在は安心して暮らせる必要なものでした。しかし一方でそれは社会との分断を意味していました。
引き取る人がいない、戦後の混乱の中身元がわからなくなったなどの理由から、多くの入所者の遺骨は園内の納骨堂に納められ、亡くなってもなお外の社会へと戻っていくことが出来ていません。
そして長い間、彼ら彼女らは新たな命を生み、命をつないでゆくことさえも奪われていました。ここで起こったことは過去の痛ましい事件として受け取っていいのでしょうか。お話を通して、近くて見えていなかった「今」が見えてきたように感じました。
ハンセン病の国立療養所のひとつである「沖縄愛楽園」。名護市、屋我地島の済井出(すむいで)という場所にあり、今も高齢の方を中心に入所者(回復者)がいます。園内の交流会館を訪ね、学芸員の辻央(つじ あきら)さんにお話を伺い、前後編に分けて収録させていただきました。今回ご紹介するのはその後編です。園の自治会、交流会館にご協力いただき、映像資料などもご提供いただいています。