ハンセン病の国立療養所のひとつである「沖縄愛楽園」。名護市、屋我地島の済井出(すむいで)という場所にあり、今も高齢の方を中心に入所者(回復者)がいます。園内の交流会館を訪ね、学芸員の辻央(つじ あきら)さんにお話を伺い、前後編に分けて収録させていただきました。園の自治会、交流会館にご協力いただき、映像資料などもご提供いただいています。
前編では主に、沖縄がたどることになった重い歴史の中ハンセン病を患う方たちがどのような立場であったのか、戦時下、戦後の米軍統治下、本土復帰後の政策と照らし合わせて伺ったお話をまとめています。特殊な状況が生んだ社会が偏見や差別を助長していく。けれどお話を聞くうちに浮かび上がって来たのは、何度も共生への道を選ぶ選択の時がありながら選ばなかった、あるいは選択そのものから目を背けてきた「私たち」の在りようでした。