今月6日未明、最大震度7を記録した北海道胆振東部地震の発生から2週間余りが経過しました。
北海道庁が発表した今月21日午前10時現在の被害状況は、死者41名、重軽傷者693名で、住居の全壊が130棟、半壊や一部損壊が3247棟となっています。避難生活を続けている方は、被害の大きかった厚真町や安平町を中心に5つの市や町で892人となっています。
電気は厚真町の33戸を残して復旧しましたが、水道は厚真町で300戸、安平町で313戸、札幌市で54戸など、合わせて3市町667戸で断水が続いています。
今回取材した日高町では、19日午後3時、全ての避難所が解消されました。17日の朝刊で地元の北海道新聞が『避難所支援に格差 日高町、炊き出しほとんどなし 寒さ耐え「こちらにも目を向けて」』との見出しで、「町は自衛隊の炊き出しを受けておらず、厚真町内のように、民間の炊き出しでうどんや豚丼など毎日違う食事が提供されることもない。寒さをしのぐ段ボールベッドもない」と報じていました。
8bitNewsには、報道などを見た北海道内在住の方々からぜひ日高の現状を全国に発信して支援の目を向けてもらえるよう報道して欲しいと依頼を受け、19日、震度6弱の揺れに襲われた日高町を訪ねました。
町内の道路にはカラーコーンが立てられマンホール周辺などが隆起している箇所が目立ちました。地元の方の話によると地震発生直後に液状化が起きたといいます。幸い亡くなった方はいません。きょう21日午前10時現在、日高町内での住居への被害は、全壊は0、半壊や一部損壊が142棟となっています。
報道での印象が強かったためか、現場を歩き住民の皆さんの話を聞いて回ると日高町の今は穏やかな日常を取り戻しつつあるというのが正直な実感でした。
インフラ復旧で物資も過不足なく平穏。中心部のスーパーマーケットには、むかわや厚真町など、被害が深刻な地域から食料や日用品を買いに来る人たちの姿が目立ちました。
日高町内でも断水が1週間以上続くなど被害が大きかったという、富川南を尋ねました。先週16日まで避難指示が出されていた地域です。
19日の午後、町内を歩くと住居の庭のブロック塀が倒れたり、家の中の家具が倒れ壊れたりしたなどとして、修繕に務める住民の皆さんに出会い、お話を伺いました。
「見よう見まねでやっています。余震がきてまた倒れて周りの人に迷惑をかけてはいけないので」と語り、ブロック塀を低くする作業を自ら行っていた、武田寿さん(83歳)、キミエさんご夫妻。
「今必要な支援は何ですか?」と尋ねると、「今はもう大丈夫。水が出ない時には、自衛隊の皆さんによる給水やお風呂に本当に助けてもらいました」とこの2週間を振り返っていました。
1週間ぶりの風呂に入り、離れて暮らしていた娘さんが訪ねてきてくれた時には「ポロポロ涙が出た」と妻のキミエさんは語ります。
自衛隊は地震発生直後の今月6日より、日高振興局からの要請で日高町に第7師団を派遣し、避難所が全て解消された19日午後5時まで住民への支援を続けました。
報道では自衛隊や民間による炊き出しはほとんどなかったと報じられた日高町ですが、町役場の職員によると、農協の職員や町営温泉、町内会の婦人部の皆さんによって、うどんなど汁物の炊き出しをほぼ毎日のように行っていたといいます。
避難した場所や情報が届かなかった人たちとでは違いがあったのでしょうか。町役場の職員は「町民の皆さんによる炊き出しなど助け合いもあっただけに、報道は遺憾です」と語りながら、被災状況など細かな情報収集に努めたいと話していました。
町の高台にある町営の富川球場ではグラウンドをぐるりと囲むように地割れが発生し、今もブルーシートがかけられている状況です。取材で訪ねた際には、札幌市内から修繕を請け負う業者の人たちが現場で測量を行っていました。復旧にはしばらく時間がかかりそうだと話しています。今後の余震や気象の変化には依然として注意が必要です。
一方で、『「日高町は元気です」そんなメッセージも発信してください』と、声をかけてくれる地元の方もいました。確かに取材では、大らかで穏やかな日高町の方々の笑顔に沢山出会いました。
地震の被災地では、日高町のように毎日状況が変化しています。
復旧、復興に向け奮闘している方々がその状況を前向きに前進させています。速度の変化に対応できる細やかな報道も求めらています。
動画:堀潤
写真:幡野広志 @hatanohiroshi
自衛隊給水・農協炊き出し写真の提供:日高町役場