2018/05/08 公式動画
ゲイ・アクティヴィズムの先駆者・南定四郎さん(86)「LGBT運動の過去と未来そして老後の生活」レポート

5月4日午後4時50分、東京都江東区の東京メトロ住吉駅から徒歩2分の場所にある就活カフェ「ブルーオーシャンカフェ」で、南定四郎氏を招いての講演会「LGBT運動の過去と未来そして老後の生活」が始まった。定員30名の座席は満席であった。

 

南氏は、ゲイ・アクティヴィズムの先駆者の一人であり、80年代中期から90年代中期のゲイの社会運動にとって重要な位置を占めてきた人物である。今回の講演会では、その80年代中期から90年代中期までのゲイの社会運動に何がおこり、また南氏がどのような理由から90年代後半以降にゲイ・アクティヴィズムから「引退」したのかということが語られた。

 

1970年代前半、ゲイ雑誌といえば伊藤文學氏が編集長を務めていた『薔薇族』だった。しかし南氏によれば、当時の『薔薇族』のスタンスは、抑圧されているゲイを異性愛者である伊藤氏をはじめとする編集サイドが憐れむというようなものであった。そのため、当時のゲイバーの客の中には「自分たちは憐れみの対象ではない」という思いを抱く人々も多かったのだという。そのような声を受けて、南氏は1974年にゲイ雑誌『ADON』を立ち上げることとなった。

 

その後1984年に、ILGA(国際レズビアン・ゲイ協会)の情報局長だった人物が来日し、日本のILGA加盟を求められたことから、南氏はIGA日本を設立することとなった。『ADON』を通じてIGA日本の活動を紹介し、新宿二丁目のゲイバーにあまり行かないような人々が集まったのだという。しかし、1987年にIGA日本の規約制定をめぐって内紛が発生し、これにより多くのメンバーがIGA日本から離脱することとなった。

 

1994年には『ADON』誌面へのゲイ・ポルノに関連した広告の掲載をめぐって、ゲイ・ポルノを販売する企業との間にトラブルが発生し、その企業が経営する店舗から『ADON』が排除されるという事態が発生。これを受けて南氏は新宿一丁目に「ハンズ・オン・ハンズ」という店を開き、ここで『ADON』の販売やトーク・イベントなどを開催することとなった。

 

南氏によれば、この「ハンズ・オン・ハンズ」で開催した伏見憲明氏と掛札悠子氏のトークイベント「ナベカマトーク」をきっかけに実行委員を募り、1994年の第1回東京レズビアン・ゲイ・パレードが開催されたのだという。しかしながら、第2回東京レズビアン・ゲイ・パレードの公式パンフレットに掲載される広告をめぐってトラブルが発生。このトラブルを発端として騒動が拡大し、第3回東京レズビアン・ゲイ・パレードの閉会時に、南氏の方針に異議を申し立てる人々が、閉会式の会場であった代々木公園の屋外ステージを占拠し、実行委員側の人々に詰め寄るできごとがあった。このできごとののち、実行委員側の人物が自死する事態となり、南氏はゲイ・アクティヴィズムから手を引くことにしたのだという。

 

現在、南氏はパートナーの地元である沖縄に在住しているが、自らの死後は、遺体を献体するつもりなのだという。そして、遺骨は病院の納骨堂に収めることにしているという。

「LGBT運動の過去と未来そして老後の生活」感想

南定四郎さんのことは文献や人から聞いた話などを通して知っていたが、実際にお話しを伺うのは始めてだった。

 

とりわけ、日本で最初のプライドパレードであった「東京レズビアン・ゲイ・パレード」に関して、実行委員側からの見解を直接聞くことができたのは、当時の状況についての理解を深めるうえで、大変参考になった。「東京レズビアン・ゲイ・パレード」に対する評価は現在も一定していないように見えるが、当時の状況を実行委員側と批判側の両サイドから捉えなおすことは、今後のパレードの有り様を考えるうえでも重要なことだろう。

 

というのも、パレードを実施するうえでの資金調達の問題や、パレードの運営のあり方の問題、パレードの掲げる理念の問題などの様々な課題が、「東京レズビアン・ゲイ・パレード」において既に示されていたのだから。

 

今回のイベントの質疑応答の時間で、南さんは当事者主体の経済活動が重要であるということを強く主張されていたが、これは経済活動における自律性を見失わないようにすることが大切であるということだろう。

 

プライドパレードの規模拡大を目指せば目指すほど資金が必要となり、スポンサーが必要となってくる。これは避けがたい事態ではあるが、そうしてスポンサーを増やせば増やすほど、スポンサーサイドのプライドパレードへの発言権も強まることになり、プライドパレードから自律性が損なわれる事態となってしまいかねない。プライドパレードにとって、資金は大事ではあるが自律性や理念もまた重要なのであって、そのバランスをどのようにとったらよいのかという課題は、「東京レズビアン・ゲイ・パレード」以来、積み残されてきている。

 

南さんのお話しを伺って、この二十数年の間に行われたパレードを整理するための補助線を、ひとつ得ることができたように思う。

 

取材&文:可寝た(ゲイ、会社員)

プロデュース :及川健二
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