仲良くなった不眠症のフランス娘は学業の続きをやる為にカナダへ戻ってしまった。東京では、さよならばかり言っているような気がした。私の友達を違う土地に運ぶたくさんの道路や線路や空路がばっちり整っている。フランス娘と日高市の森の中に出かけた7月30日以来、私は「たねのわ」の種子の交換会でもらった種子の入った小さな紙袋を持ち歩いて、欲しい人がいればお裾分けした。小さくて黄色いからし菜の種子なんかはそのまま食べることもできた。
秋になって種子を蒔くべき時期も近づいていたので、どこに蒔くのかもぼちぼち決めなければいけなかった。知り合いで畑をやっている人はいなかったかな…と考えたとき、前に国立のゼロ円ショップの取材をさせてもらった鶴見済さんのことを思い出した。鶴見さんはフリーライターで、完全自殺マニュアル、檻のなかのダンス、脱資本主義宣言、など、本を書いて世に出している。最近も、0円で生きる 小さくても豊かな経済の作り方、という新刊を出したばかり。久しぶりに連絡してみると、今の畑は夏野菜でぎゅうぎゅうなんだけど、秋冬ものなら蒔けるとのこと。放棄されている国有地を耕しているグループに合流してやってる畑があるので、良かったら今度来てみますか?と返事をくれた。以前私がゼロ円ショップについて書いた記事には英訳もつけていたので、ゼロ円ショップは脱資本主義的な活動なんだと外国の人達に紹介するときにけっこう役に立っていたらしく嬉しかった。(※ゼロ円ショップの記事⇒http://8bitnews.org/?p=6313)
放棄されていた国有地で野菜を育てているなんて、いかにも鶴見さんらしくて素敵だった。畑への行き方を教えてもらって、9月19日、秋の午後に電車とバスを乗り継いで畑に行った。畑の入り口を入って、ちょっと曲がるとちょっと先に鶴見さんの姿が見えた。いろんな人達が耕しているらしく、畑は区分けされていた。普通の畑だ。普段緑がほとんどないところで暮らしているからか、畑に入るだけでとても気分が良かった。
畑には鶴見さんの畑と隣りの人の畑に跨がってミントが勝手に群生していた。ミントは雑草なんで、とらなきゃいけないんだけど、もったいなくてね〜、と鶴見さんは言った。もらってってもいいですか?と聞くと、売ってよ、ミントを買う人がいたら、大金持ちになれるよ、ミントのことを全然知らない町なんかがあったら、なんだこれ〜いい匂いだな〜とか言ってね、とミントを抜きながら笑った。この夏はミント茶を飲んで、ミント風呂に入って、ミントのクッキーつくったり、ミント漬けですよほんとに、とのことだった。
赤唐辛子のあたりをいじりながら、こういうのが駄目なんですよ、とカメムシについて鶴見さんは話しだした。カメムシって葉っぱを食わないから、何の害もないのかなと一見思うんだけど、こいつが実に穴を開けて、中身をちゅーちゅー吸い出す、だからとらないとダメなんだよね、カメムシ。例えばこういうところにいるでしょ。「潰さねばならない」と言って、おもむろに指でくしゃっとカメムシを潰した。指に押しつぶされて、中から爽やかな緑色の中身が飛び出した。虫は悲鳴をあげなかった。俺もね、色んな虫を手で潰せるようになって、一人前になったと思った、本物だなと思うもん自分で、俺は偽物じゃないぞ、と言って鶴見さんは笑った。赤いてんとう虫はアブラムシを食って生きていて、黄色いてんとう虫はうどん粉病菌を食って生きているとか、畑の生態系について少し話してくれた。
そもそも、この土地は一体なんなんですか?と聞くと、ここは単なる貸し農園ではなくて、放棄されていた土地を共同で地域の人達が自主耕作をしているところです、とのこと。70年代あたりのアメリカで、デトロイトやニューヨークのような都市の中にぽっかりと空き地ができてしまって、治安が悪化したりした時に、地域の人達がそこを自主管理して畑にしたりしたことによって、空き地が公園のようになったり、都市の中の畑やコミュニティーガーデンが始まり、今では全米に類似したものが広まっているんだけど、ここもコミュニティーガーデンと言えるんじゃないかな、と鶴見さんは言った。東京の郊外で、けっこう広い。
鶴見さんに自主耕作をやっている理由を聞くと、やっぱり色々とあった。
生きるのに普通、衣食住とかしなくちゃいけないと思うんですけど、何にもできないじゃないですか、自分の服つくることもできないし、自分の住むところもつくることができないし、食べ物も自分たちで1からつくってることはないですから。それで何してるかって言ったら、お金でね、全部お金で人にやってもらってるわけですよ。で、そのお金を稼ぐために仕事すると、働くということが我々の生きることほとんどすべてなんですけど、それって労働と消費。働いてお金を稼いで、そのお金を使って生きるということしかしてない、そういう人生しかないという感じになってる。食べ物つくることとかやってみるとすごいおもしろいわけで。ジャガイモを掘ってその場でみんなで食べたりするんですけど、生きることの裏技を見つけたというかですね、ほんとは裏じゃなくてそれが表なんですけど、ちゃんと食べ物をパックされたものを買わないで自分でつくって食べるというのがこんなにおもしろいのかというですね。単純なことじゃないですか。ここで植えて、それが育ったときになったものを食べれば、人って生きていくわけで。海外から輸入したりして、あれもらわなきゃこれ食べなきゃってなってくと、輸入を管理する人とかいっぱい出てきて、じゃあその売ったお金でそれを給料にしてとか複雑なことが起きてきて、我々の人生って自分じゃ把握しきれないような感じになっちゃうけど、こういうとこで芋掘って食ってると、生きることの単純さに触れてですね、劇的に感動するんですよ。大事でしょ?そういうことって、数値換算、良さとかお金に換算とかできないけど、やっぱりお金に換算できないこととか考えていかないと。安いから買うっていうのも、ある意味お金に偏重した考え方。やっぱりいろんな価値があって世の中には、だからお金に換算できない価値をもっと強くしていかないとね。単にお金だけで色んなことを判断するような世の中になってしまうんで、と鶴見さんは言った。
種子法の廃止についても、単なる1つの戦後にできた法律の廃止ではなくて、グローバリゼーションの大きな流れの中で起こったこととして鶴見さんは捉えていた。グローバリゼーションは企業が自国だけではなくて、国外でも利益追求活動、つまり金もうけをすることを可能にするという特徴をもっている。グローバリゼーションの流れを妨げずに促進するために、関税が下げられたり、今まであった規制が取り払われたりする。そしてその規制はその国の国民生活のあり方や、文化や産業や環境や生命を守っているものだったりすることもある。グローバリゼーションの波の中で、企業が、元々誰のものでもなくてみんなのものだったもの、例えば遺伝子を組み替えた種子の特許をとったりして、私有化した特殊な種子を広めることで利益を伸ばしてゆくやり方が流行っていたりするけれど、そういう流れを鶴見さんは懸念している。
お金を稼いでなんぼとか、そういう風になっちゃうと、企業に入ってバリバリ稼げない人とか、そういう人達にとっちゃ肩身の狭い世の中でしかないというか、居心地が悪い。そういうとこに入って、無理にこう、自分が得意でもない就職とかをやって生きていくのも辛いですから。お金稼いでなんぼってなっちゃうと、そういう世の中にしかならないですよね。今1番、というかずっと考えているのは、もっとこうオルタナティブなね、そうじゃない世の中の部分もいっぱいつくれないかなということなんですけど。例えば今食べ物つくって稼いで食ってくってのはほとんど無理ですけど、これに関連したことで人を集めたりすることもできるかもしれないし、なんかこうオルタナティブな世界が開けてるとは思うんですよ。こういう自主耕作とかね。そういうとこをもっと広げていきたいなと思ってます、と鶴見さんは言った。
渋谷区で野宿をしている人達の話とかをしながら私たちは種子を土に埋めた。鶴見さんからおみやげにモロヘイヤとミントをもらったので、帰りに寄った店の料理人にお裾分けした。モロヘイヤはネバネバして美味しい。
12月になって、年末が近づくと、鶴見さんから、明日の昼に今年最後畑に行って、あとは春まで行かないんですがもしよかったら来ますか?と連絡がきた。予定もなかったので行くことにした。当日の朝はあまり気分が良くなくて、寝転がったまま何度もSPOONのアルバムを聴いていた。だけど重い腰を上げて電車とバスに乗って畑に行くと、またしてもとても気分が良くなった。街路樹の枝のシルエットが、水色の空に張った根のように見える冬の晴れた日だった。畑を見ると、私が「たねのわ」の人達からもらって蒔いたもので育っているものもあった。からし菜の葉は指でなでるとちょっとイガイガしていて、食べるとすっきりした良い辛みがした。春菊もちょぼちょぼとだけど生えていた。ビーツは失敗。おみやげに唐辛子とカブとにんじんとミントをもらった。モロヘイヤの種子ももらったけど、モロヘイヤはF1の種子だったのであまり期待しないでくださいね、とのことだった。それから新刊の「0円で生きる」を買った。
帰って読んでいると、旅行に行きたくなった。オルタナティブな旅行に出かけて、オルタナティブな人達に出会って、色んな話がしてみたいと思った。そしてちょっと安心した。