7月3日に日本の種子を守る会が設立された数日後に、「ホピの予言」の上映会があることを知って、自転車に乗って晴れた夏の日に映画を観に行った。「ホピの予言」については、311後にFRYING DUTCHMANの”HUMAN ERROR”という唄を世に出したり、京都でノンベクレル食堂を始めたり、脱原発や食の安全を掲げて2015年に統一地方選挙に立候補したりと、奮闘してきた広海ロクローさんにインタビューさせてもらったときに、たっぷりネイティブアメリカンの話を聞いたことがあったので、私にとってその映画は、ロクローさんの話してくれたことの復習みたいになった。昔ネイティブアメリカンの人達の住む土地を訪れ、スピリチュアルに、シンプルに大地と共に生きる彼らから学び感じたことが、帰国後もロクローさんのパンクな活動の根拠になっていた。
ロクローさんがアメリカを訪れたとき、彼らの母なる大地はウランの露天掘りによって既に汚染されていた。もちろん健康被害も出ていた。ネイティブアメリカンの聖地をえぐって掘り出したウランでつくった原爆が、1945年8月6日に広島に落とされ、第二次大戦が終わり、核を「平和利用」していたら、2011年に福島で原発事故が起こった。気づけば日本には54基も原発が建っていた。そして世界は今も核によって汚染され続けているし、核は相変わらず国際政治のピリピリのもとになっている。フクイチでは、ついこの間ようやくロウソクみたいに溶けてしまったウラン燃料を放射能耐性のあるロボットがなんとか発見したところ。廃炉には最低あと30年〜40年と、莫大な金がかかる、うんぬん、と新聞に書いてあった。
映画にはホピの予言の岩絵が度々登場した。創造主の教えは、質素で精神的な生き方で、物質主義的な生き方は調和とバランスを欠いているとのことだった。岩絵には、世界を揺るがした2回の浄化(第1次大戦と第2次大戦)や、今後回避しなければならない第3次世界大戦、大地とトウモロコシの実りと共にある質素な道と、母なる大地を離れて宇宙へと向かう物質的な道の分かれ目に佇んで頭が2つに分かれている人間の姿、それから杖とトウモロコシの種を持った老人などが描かれていた。シンプルな絵の描かれた岩は、静かに激しく語っていた。
やっぱり種子が登場した。トウモロコシの種子。
上映会の会場では、「ホピの予言」の監督、宮田雪さんの小冊子などが売られていて、それらと並んで、この間設立された、日本の種子を守る会がつくった「種子法廃止 タネがあぶない!」というカラーのパンフレットも一部20円で売られていた。人々は情報を伝えている。
そして7月30日がやってきた。その日は雨で、「たねのわ」の種子の交換会の日だった。年に2回ある「たねのわ」の種子の交換会には、日本の種子を守る会が設立された日に参議院議員会館で出会った、三木さんという人に取材したいとお願いして招待してもらった。
種子の交換会には、仲良くなったフランス人の女の子と一緒に行くことにした。彼女の名前は宇宙という意味だった。七夕の夜の音楽イベントでたまたま隣りで踊っていた彼女は、20歳のわりに大人びていて、話していると物書きだとわかった。朝目覚ましの代わりにホワイト・ストライプスのファーストアルバムの”girl! you have no faith in medicine!”ってやつをできるだけ大きい音でかけると、彼女はクスクス笑い出した。もうね、恋に落ちそうになったよ〜!と後で言っていた。前夜に沖縄料理屋に連れてって、きっと見たことがないだろうと思って海ぶどうを頼むと、イヤリングみたい!と言って笑っていた。一緒にいると、彼女は色んなことを吸収しようとしているのがわかった。何かに誘うと、why not?という返事がいつも返ってきた。その朝、パン屋でパンを、コンビニで珈琲を買って、普段乗らない路線の電車に乗って、彼女と埼玉の日高市に向かった。灰色の空を背景に、電車は私たちを運んだ。
西武線の高麗駅で降りて改札を出ると、熊除けの鈴のキーホルダーみたいなものが売っていた。しばらくすると、「たねのわ」の三木さん夫婦が灰色の空の下を車で迎えに来てくれた。森の中に行くと、「たねの森」が主催している清流マーケットという月に1度のマーケットが開かれていて、着いたときには、ちょうどささやかなライブをやっていて、長靴をはいた女の子達がスピッツの唄を唄っていた。雨が降ったりやんだりしていて泥がぬかるんでいるところもあったので、長靴をはいている人が多かった。地元の人達のブースが出ていて、泥の中を子ども達が気ままに走り回っていた。ブースを見て回ると、見た目もかわいくて美味しかったので、私はおじさんから食用のほおずきを買った。ここの人達は、自然農とか、オルタナティブな農業をやってて、種子を守っていくために民間で種子の交換とかの活動をやってるんだよ、とフランス娘に言うと、だけどプラスチックの袋に入れて野菜を売ってるんだね、と言っていた。
三木さんはとても親切にしてくれて、次々と色んな人を紹介してくれた。
ののの農園の加藤さんは、トマトやオクラやナスを売っていた。埼玉県日高市で農業を始めて1年目。彼自身が過渡期を過ごしていた時に、食べ物が大事だ!ということで、農業をやることに決めて、無農薬・無肥料で、固定種と在来種を使った農業をしている。彼は50軒以上の農家さんたちのところを訪ね、農薬と肥料を使わずに、そして種も自分で採るというやり方が1番楽しそうだなと感じたので、そのやり方をしている農家さんのとこで2016年に1年間研修をさせてもらって、2017年からもう独立してやっている。一般的な農家の場合は、毎年種を買って、それを育てて売って、また次の年に種を買うというサイクルで農業をしている。だけどそれはつまらないな〜、と感じたので、彼は楽しそうな方向を選んだ。昔ながらの固定種や在来種が今失われつつあるという話を彼は聞いたので、種採りをして、種を次の世代に繋ごうと思った。だけどそれに一体どんな価値があるのかも知ってもらわないと意味がないと考え、彼はブログやSNSやニュースレターやパンフレットの発行も始めた。肥料をなんで使わないのか聞いてみると、肥料を使わない野菜は、ぱっと見がすごく美しいのだと彼は言った。無駄がなくて、野菜が自力で育ったという雰囲気がする。肥料をあげてるやつは、無駄に大きくなってる感じに見える、と彼は言った。それから味。肥料をあげないと、野菜は自分で根っこを伸ばして力強く育つから、味がすっきりして、食べやすい。喉通りがいいというか、すっと体に入っていくような美味しさがある。自然というのはそのままで美しい。野菜というのは既に人間の手が加わっているので、そんなに「自然」ではないんだけど、その不自然さの中でも自然な美しさを求めると、無肥料なんじゃないかな、と彼は思い、今の方法を選んだのだと言った。
「たねのわ」は種子の交換会の運営をする会。元々は「たねの森」がやっていた取り組みで、それを「たねのわ」が引き継いだ。交換会をする理由を聞くと、種子の命が循環して何百年も続いていくように種子を守っていきたいからだ、と運営に関わっている眼鏡の女性は話した。種子は自分を守るために環境に合わせて育ってきているから、そういう種子は強くて、農家にとっても育てやすいしありがたい。そういうものを守っていこうとしている。例えば遺伝子を組み換えるモンサントの活動とか、流通の時に便利なようにF1種をつくるとか、人間が種子に手を加えることが種子にとっての危機なんじゃないかと感じていると彼女は言った。種子法廃止のことも彼女は知っていた。今の政治の環境では決まってしまうだろうと思っていたけど、それでも自分たちが守り続ければ、いいのかな、というところはあります、と彼女は言った。教育からなんとかしていかないといけないのかな。普通の人達は野菜とかも何も考えずに買うと思うんだけど、特に今の政治の状態だとそれを変えるのはすごく難しそうだし、農家がなんとかしないといけないんだけど、農家も食べていくためにそうしないといけなかったりしないと、まあ難しい。だから今の取り組みを地道に続けていくことが大事なのかな、と彼女は言った。彼女は米、麦、大豆、それから野菜全般つくっていて、会員制のお客さんに売ったり、レストランや卸し売りのところで買ってもらったりしている。なんせたくさんできるので、つくった野菜を食べるのにも一苦労するそう。
清流マーケットが終わると、森の中にあるドームの中で種子の交換会が始まった。人々は輪になって座り、それぞれが持ち寄った種を自分の膝の前あたりに置いて、種子の話と自己紹介を1分程度でした。
小島農園の小島さんは、赤いネットに入ったインゲン豆の種子を手に持って、田んぼの横にあるカエルのたくさんいる畑でつくった今年のインゲン豆は、カメムシに吸われてしまう被害がなかったのでよくとれている、と話した。横田農場の横田さんは、つるありインゲン、中華春菊、小玉スイカや、一口メロンの種子を小さな紙の袋に小分けに入れて持ってきていた。誰かからもらった種を育てて採れた種をまた誰かにあげることを、たねのわの人達は「種がえし」と言っているみたいだった。日高でほんのちょっと野菜をつくっているという松田さんは、そら豆と麦。他にも、スナップエンドウ、つるありエンドウ、源助大根、タマネギ、ライ麦、六条麦、ツタンカーメンえんどう、大和ふとねぎ、水前寺菜、赤カボチャ、きゅうり、島にんじん、そら豆、子かぶ、小松菜、カリフラワー、綿、コリアンダー、強力粉の種、からし菜、大豆など、様々な野菜や穀物の種子が持ち寄られていた。仲間からもらった種子を育てて繋いでいる人もいれば、固定種や在来種の種子を買って育てて種子を採っている人もいれば、自分の田舎から何か持ってきてその種子を繋いでいる人もいた。
種子の交換会は喜びに満ちているように見えた。みんな話は尽きないようで、長い間話をしていた。手ぶらだった私も種子をもらった。麦、みどり豆、ビーツ、滝の川にんじん、からし菜、中華春菊。話を聞くと、やはりモンサントなんかに負けたくない、という人や、野菜の育て方などによって生じてくる人体への影響を懸念して、特に体の弱い子どものことを思いやって畑をやっている人もいた。
いつの間にかフランス娘はスイカをもらっていた。みんな彼女のことを好いているようだった。種子の交換会が終わった後、親切な三木さん夫婦と一緒にカフェで一休みして、それから私はフランス娘と駅前の広場のテーブルでワインを一緒に飲んだ。私たちは何につてでも自由に話をすることができた。年齢も国籍も関係なかった。あたりが暗くなると、私たちは電車に乗って東京へと帰った。