2018年1月2日、3日に開催される、第94回箱根駅伝にシード校として東洋大学が出場する。前回の箱根駅伝は惜しくも2位となったが、今回は10年連続3位以内を目指し、箱根駅伝に挑む。
監督の酒井俊幸さんは福島県出身の41歳。東北復興に向けての強い想いも抱き続けてチームを率いる。直前に迫った大会への意気込みを駅伝の現場を見つめ続けてきた淑徳大学3年の飯岡美由が聞いた。
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(飯岡)
強い選手を育てるためにしていることはなんですか。
(酒井)
当たり前のことを当たり前にする。じゃあその当たり前のスタンダードをどこにあてるのかっていうのがすごく大事。いわゆる普通の大学生の時間の過ごし方と、競技をしている学生の過ごし方には違いが出てきます。
選手になってくると、自己管理が非常に大事になってくるので、生活もしっかりしないとダメになってきます。あと箱根駅伝を目標におくか、オリンピックを目標におくかで違いが出てきます。
(飯岡)
どういった違いが?
(酒井)
やはりオリンピックを目指す、オリンピック出場だけではなくて勝負するってなってくると、もうそこのレベルは社会人選手と一緒なんですね。ですから、生活のレベルも一流じゃないと勝負にならないです。競技者としてやるべきことをたんたんとしっかりやっていくことがまずは強くなってくために、目標達成のために一番必要なこと、近道だと思ってます。
(飯岡)
生活指導のほうもけっこう厳しくしてるんですか?
(酒井)
やみくもにいつも怒ってるわけじゃなくて、そこが習慣化できるかどうかですね。
(飯岡)
ひとつ気になってたんですけど、東洋大学の選手ってツイッターやってないじゃないですか。それも指導のひとつにあるんですか。
(酒井)
情報発信は別に制限する気はないんですけども、箱根駅伝の前っていろんな情報がほしいじゃないですか。でも、今はまだチームで動いてる状況なので、箱根駅伝の前まではやめようと、学生たちが決めました。あとは取材を受ける機会も多いし、外に向けるメッセージはツイッターだけがツールじゃないので、取材を通して、言いましょうと。
(飯岡)
チームスローガン「その1秒をけずりだせ」、その精神を実践するためにどんな苦労があったとかありますか。
(酒井)
まず、この「その1秒をけずりだせ」がなんでできて、どういう目的、内容なのかっていうことを理解しないと、それを体現する走りってできないと僕は思います。第87回大会の箱根駅伝を21秒差、約100mで東洋大学は負けてしまいました。216km走ってきて、あと100m。そのときには、走った選手が1人でも21秒差ってなんとかなる、走った選手たちは『自分がもうちょっとこうしとけばよかったのに』ってみんな思うんですよ。でも、走った10人だけが背負うんじゃなくてチーム全員が背負っていかなきゃいけないなというのが1点目。じゃあそれを背負う認識をどんなふうに言葉にあらわして、どんなふうに次年度のチームをつくっていこうというなかで、選手たちとコミュニティでとったことなんですけど、その1秒をしっかり自分たちで大事にしていこうと、それがチームのためや、支えてくれる人のため、もちろん自分自身のためでもあります。「けずる」っていう表現を使うことによって、自分でなにかそれに向かいあうために努力ができるだろうと。けずるってなると、やんなきゃなって思うんですよ。「その」ってつけたのも意味合いがあって、自分のために、の意味の「その」もあるんだけど、そのなかの込められた思いがどんなものがあるのか。負けた悔しさとか、例えば地元で災害があったこととかもそうですし、震災があったこともそうだし、よかったこともそうだし、それに向かっていくときにいろんな人の顔が浮かぶわけですよ。家族や友人やチームスタッフやそして一緒のチームメイトとか、その顔が浮かんできたときに頑張れるんですよね。
(飯岡)
選手同士で手に書きあったりしてますよね。
(酒井)
そうですね。あれも、書きなさいじゃない。自分たちで、心にも刻んでるはずなんですけど、選手たちが自分で書くんです。個人でできる走りと誰かのためにというところが、最後背中を押す力って僕は絶対、駅伝にはあると思うんです。そこが人を魅了するところじゃないかなあと思うんですよ。学生スポーツなので結果だけがすべてじゃないと思うので、そこに向かってく過程と自分がすべき努力の集大成を箱根駅伝や、そういう駅伝で出してほしいので、そのフレーズに魂をこめてみんなでつくりました。
(飯岡)
負けたときの経験をしてる人って「その1秒をけずりだせ」って思いが強いと思うんですけど、あとから入ってきた選手たちにはどうやってその精神を伝えていっているんですか。
(酒井)
勝つためには勝つチーム特有の勝つ文化ってあるんですよ。その勝つ文化ってなんだってなったときに、東洋大学、鉄紺のユニフォームですけども、鉄紺が求める走り、鉄紺がしなくてはいけない駅伝、そしてその1秒をけずりだす走りが体現できるチームスピリッツ、それをまず理解しないと東洋大学の選手としては走れないよと最初に言います。いろんなカラーで大学に入ってきます。でも最終的にはやっぱ鉄紺のカラーとなって、それは個人のカラーをつぶすんじゃなくて、個人はありながらも、やはり鉄紺のカラーをしっかり理解して、個人の走りじゃなくて東洋大学の走りをしなくちゃいけない。画面にも伝わってくる闘争心とか、最後まで絶対あきらめないんだっていうガッツとか、スピリッツとかそういう走りをみんなでやろうなって、涼しい顔をして離れるとか、あきらめる走りとか、それは絶対やっちゃいけないんだよとそういうことを、選手たちにまず言います。
(飯岡)
全日本駅伝初優勝したときみんながほんとに「その1秒をけずりだせ」っていう走りをしててすごい感動しました。そのときの思いを聞かせてください。
(酒井)
あのときも選手たちが、最後までほんとにあきらめない走りをしてくれて、自分も見ていて、ああ選手たちほんとに最後までその1秒をけずりだす走りをしてくれたなと。メディアの人も、そういう走りをすると「体現をする」っていう表現を使ってくれるんですよ。それは嬉しかったですね。
(飯岡)
本当におめでとうございます。次に監督自身の話を聞きたいんですけど、監督自身、陸上競技に対してどういう思いをお持ちですか。
監督 私自身は、大学時代も箱根駅伝は3度走ったんですけど、自分自身は3流の選手だなって自分で思ってます。学生にも言います。区間順位も、11、12、13位とぜんぜん走れてないんですよ。それも必然で。やはりコンディショニング、しっかりいいパフォーマンスが発揮できる準備ができていないんですよね。そのときのチームになかったからじゃなくて、自分でそれをつくれなかったっていうことが大きな走れなかった原因。それを学生たちとしっかり話をして、勝利もすべて必然だと。故障もパフォーマンスも全部それなりに走れる勝因と原因っていうのは絶対あるんで、自己管理をしっかりしていればしっかり走れるパーセンテージっていうのは高くなってくるので、そういう話を選手たちにします。
(飯岡)
自分の経験から選手たちに。今いる選手たちにどういう思いを持ってやっていますか。
(酒井)
後悔のある4年間は送ってほしくないなと思ってます。今大学4年間っていうのは、成人式も間にあったり、精神的にもフィジカル的にもすごく成長を遂げるときなので、大事な人生の基礎基盤をここで作ってってほしいなっていう思いがすごくあります。
(堀潤)
東日本大震災、今年で6年です。風化してったりとか、世代が変わってくると、ほんとに記憶も薄れていって。いい面もありますけど、いろんな心配もあるなと。監督まさに福島県出身で、その競技を続けるなかで震災っていうのは大きな影響っていうのはご自身のなかで生まれたりするものがあったんですか。
(酒井)
震災がおきたってことは、ただの地震の被害も大きかったんですけど、見えないものってこうも変わるんだなっていうのはすごく思いました。ただ、我々は幸い陸上競技をさせてもらっていて、しかも福島県出身の監督さんたち多いんですよ。みなさん集まって福島出身の監督っていう認識がすごく強いんですね。やはり、競技で福島をぜひアピールしたいなって思いがすごくあります。陸上競技もそうですけど、スポーツいい面だけじゃなくて、怪我もあるし体調不良もあるし、チーム面もそうです。なかなか思い通りにならないこともうまくいかないこともあるんですけど、そういうときにあきらめずにコツコツとやっていかなくてはいけないなって思ってるんですね。福島県でぜひ、駅伝を自慢できるような、そんな風に我々が言っていただけるように、もちろん謙虚さを忘れないで、やっていかなきゃいけないなっていうのはあるんです。なので、チーム福島で箱根駅伝をしっかり盛り上げていこうなと。福島県の監督の出身者が出場チームの4分の1ですよ。
(堀潤)
たとえばほかにどのチームが。
(酒井)
駒澤大学の大八木監督。早稲田大学の相楽監督。国士館の添田監督。日本大学の武者監督。あとコーチに、駒澤大学の藤田コーチ。國學院の石川コーチ。あと出場はしていないんですが、日本薬科大学にも安田監督。武蔵野学院大学にも監督さんがいらっしゃって、多いんですね。指導者が非常に多い県なんですよ。「その1秒をけずりだせ」の「その」に関しては、地元への思いっていうのは、非常にありますね。円谷幸吉さんがオリンピックでメダルを獲って、それから福島県出身として、陸上を円谷さんの次に頑張んなきゃいけないんだというので福島県にいるときに指導してもらって、自分の地域の、自分の出身の高校の子だけじゃなくていろんな地区からいろんな学校の先生からみんな一緒になって合宿して指導してもらって、そういう郷土愛が、ずっといるときから、選手のときから指導してもらってるんで、思い入れは非常にあります。なのでふるさとになんとか力になりたいなという思いはあります。
(飯岡)
監督が考える東洋大らしさってなんですか。
(酒井)
今いる選手たちは東洋大学が箱根駅伝をテレビで優勝を見て、それから入ってきてる子たちなんです。東洋大学は出場回数でいうと、トップ5に入る伝統校でもあります。東洋大学らしさとしては、世界で挑戦するという心がけと、スピリッツ。そして長距離に関しては、各駅伝の優勝を目指していこうと。そのために、カラーは鉄紺色で地味な大学なんですけど、ひたむきにコツコツと実直な努力をしていこうと、それを大事にしていこうと。実業団に進路選択をする選手が非常に多いのも東洋大学の特徴です。
(飯岡)
今後の目標とか意気込みを聞かせてください。
(酒井)
箱根駅伝に関しては、9年連続3位以内という成績ではあるんですけども、今年のアンカーのゴールテープを切った小早川選手に、僕は運営管理車の中から、「笑顔でゴールしような」って言って最後別れたんですけど、小早川がゴールラインの後ろ側にいる4年生の悔しそうな顔見ると、思わずごめんなさいっていうポーズでゴールしたんですね。やはり、準優勝では喜べないって思いが選手たち持ってるので、やるからには優勝をかかげてやっていきたいなと思います。選手は卒業してしまうのでなかなか安定的な成績をだすっていうのはほんとは大変なんですけども、選手が変わってもチームスピリッツをしっかり継承しながら、また、世界大会も見据えて、東京オリンピックもそうですし、そういう世界も目標にかかげながらやっていきたいです。