2017/12/28 地域
【震災・原発事故被災者の語り】乳牛の慟哭を忘れるな~浪江ちち牛物語~@2017.12.18全労済ホール/スペース・ゼロ

福島県の浪江町。東日本大震災、原発事故で何があったのか。住民みずから、紙芝居を用いて語り始めています。「絵おと芝居」はその発展形。規模の大きなコンサートホールで、音楽家の演奏を交えて語られます。

 

そしてその語りを担うのは、「浪江まち物語つたえ隊」の皆さん。被災した経験を、被災者みずからが語るのです。皆さんプロの役者ではありません。しかし経験に基づく語りの重みは、どんな役者もかないません。

 

この動画は、2017年12月18日に、東京都内の全労済ホール/スペース・ゼロにて上演された、「ふくしま浪江まち物語コンサート」での「浪江ちち牛物語」のハイライトを中心に、浪江町で暮らしたからこそ語ることのできる現状のインタビューを交えたものです。

 

浪江町では、原発事故後、半径20km圏内の警戒区域(当時)に、約3,500頭の牛が取り残されました。その約2ヶ月後の2011年5月12日、国は福島県知事に、警戒区域内の家畜について、所有者の同意を得て、安楽殺処分をするよう指示したのです。

 

2016年時点、福島県酪農協同組合浜支所には、安楽殺処分が311頭、処分に同意しなかった所有者の飼養継続が550頭、安楽殺処分と餓死などによる牛舎内死亡を合わせた埋却処分が842頭という記録が残っています。※上演中口述による。

 

「浪江ちち牛物語」は、本当にあった話。牛の視線から被災を語ります。そして、その牛たちの「父ちゃん(酪農家)」の家族・石井絹江さんが語り手の一人として参加しています。後世に語り継いでいきたいという強い意志のもと、被災してから6年9ヶ月、乳牛達の声を忘れたことはないと石井さんは話します。

 

原発事故により全町民に避難警告が出された浪江町。「帰りたい」と思った当時。そして、帰られることになった今、「帰る」「帰らない」で町民の思いは揺れています。避難先での暮らしも数年続き、その暮らしを断ち切り、新しい暮らしを始めるのかどうか。帰っても大丈夫と言われるけれど、7年近くも遺棄された町で生活ができるのか、放射線の影響はないのか。

 

丁寧な記録と伝承が必要です。今、当事者が語っていかなければ、何があったのか、その事実は伝わっていきません。「町にあった物語」を伝える人々。そしてその人々をまた支える人々。二度と同じような災害を、日本でも世界でも起こさせないことを願い、発信は続いています。

プロデュース :西村晴子
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