一昨日(10月11日)、沖縄県東村の高江で米軍の大型ヘリコプターCH53が炎上、大破した。またも、繰り返された事故。2004年8月にあの普天間飛行場近くの沖縄国際大学に墜落した米軍ヘリも、(型番は違えど)CH53だった。
実はあの沖国大の事故のとき、「大学のキャンパス内に墜落したのに、当の大学生たちの動きが現地から報道されてこない。これは自分たちの目で確かめに行くしかない!」と、東京から自腹を切って現地に出かけた学生メディアがあった。その中心的存在が、一橋大学4年生(当時)の“みわっち”————先週、4年前の過労死がようやく公表されたNHK記者の、佐戸未和さんだった。
この7分半のリポートの間じゅう、ナレーションやインタビューの声でずっと登場している佐戸さん。同じ学生同士という《近さ》から、彼女の問いかけに応える沖縄の学生たちも、実に率直に思いを語る。
墜落を目撃した学生は、「ヘリコプターや飛行機が飛んでいると言う、自分の中で《自然》だった光景が、実は《不自然》なものなんだと気がつい」て、学内の仲間たちに事件についてもっと知ってもらうために、プラカードやビラを作り始めた。事故現場をそのまま保存することを求めて、署名活動を始めたゼミもある。
しかしその一方で、「(基地反対運動は)雲の上の話。遠くに感じちゃう」と言う学生。夜間は「ヘリコプターのライトで部屋の窓が光って、まぶしくて起きちゃう」という話を、小話のように笑いながら交わす学生。家族が普天間基地の一角の地主で、その地代収入で「自分の学費はたぶん全てまかなえている」と言う学生は、「矛盾は感じる。何とも言いがたい…」と言葉を濁す。若い米兵と交際する女子大生は、「今は幸せ。(基地がある事は)私にとってはプラスになった」と嬉しそうに微笑む。「バーに飲みに行くと、米兵たちと出会う。一緒に踊って楽しい」と言う男子学生…。
声高な賛否の激突の狭間で揺れ動く、若者たちの多様な本音。ここを捨象し構図を単純化することは、問題解決へのアプローチにはならない。現地でたくさんの話を聴いて、みわっちはそう感じたのだろう。悩んで悩んで、舌足らずな表現かもしれないが、彼女はリポートをこう締めくくった。
「確かに今回の事件で、学生たちは不安を感じました。しかし彼らにとっては、基地のある沖縄が故郷です。基地があることによって得られるものを手放したくない、と言う思いも抱えていました。彼らがそれを手放す覚悟をしたときに、沖縄基地問題は動くのかもしれません。」
—————今回の過労死公開後、大手テレビ局のニュースでは、パソコンに向かって真剣に映像の編集作業をする学生時代の佐戸さんの姿が紹介されていたが、あの時に作っていたのが、まさにこの沖縄リポートだ。
YouTubeもまだ普及していない時期に、動画でこうしたリポートを作っては自分たちのグループのウェブサイトに搭載していた佐戸さんたち。メンバー全員の大学卒業で、そのサイトは閉鎖され、以後この動画もお蔵入りしていたのだが、コーチ役だった私と当時の仲間たちの判断で、今ここに再公開することにした。
今回の再びの米軍ヘリ墜落事故を受け、“みわっち”はきっと、「あの時のリポートをもう一度、皆に伝えたい!」と思っているに違いないから。