当時、なぜこのような不条理な事故が起きてしまったのかを検証するため独自でも取材を進めていました。事故原因について不透明な部分が多く、あまりにも未解明な事象が連なっていることから、東京電力福島第一原発の事故は「天災ではない、これは人災だ」と思うようになりましたが、自身の番組では「津波による電源喪失でメルトダウンに至った」という軸から離れることは許されず、歯ぎしりをしながら発信していたのを今でもよく覚えています。
2012年から退職までの1年間は米国に渡り、スリーマイル原発の取材や半世紀前にメルトダウン事故を起こした実験用原子炉の取材などを通じ知り合った国際機関の職員や専門家たちの話なども聞くについて、日本の原発事故についてより多角的な検証が必要であるという認識はさらに強くなっていきました。
帰国して関わるようになった「生業訴訟」は大変価値の高い取材現場でした。過去の資料の洗い出しと検証、読み解き、多くの専門家たちによる分析、弁護団による論点の整理、住民の皆さんによる生々しい事故当時、事故以前の証言。 傍聴を続け、取材を続け、聞けば聞くほど、「防ぐことができた事故」であることを確信するようになりました。
しかし、判決でそれが認められない限りは世間はなかなかそれを受け入れてはくれません。 あれだけの事故を起こしておきながら、政府も、国も、電力会社も誰も明確な責任を取らないばかりか、その所在さえ明らかにならないなんておかしいにも程がある、そんな想いを抱いていました。
被災した住民の皆さんからも同じ思いを聞きました。
今回の裁判では、裁判官が原告側の求めに応じ、裁判官自ら福島県各地の被災地を訪ね歩き、直接、事故によって苦しい思いをしている人々の話に耳を傾けました。異例とも言える対応です。 裁判官は国に対してしっかりと住民の皆さんの思いを突きつけたと思います。満額とは言えない部分はありますが、判決文の中に明確に「生業」という文言を用いながら、平穏な生活が事故によって侵害され、故郷を失うことに対する悲しみに理解を示す内容となっていました。
人災、という観点に立たなくては同じような過ちを繰り返すのは間違いありません。天災だから仕方がなかったのだという曖昧さを放置し、次の被災地をまたうむわけにはいかないのです。 欧米では人的リスクを正面から検証し対処する機関などを設けている例もあります。私たちの国が原子力発電所を運営するのにふさわしい機構を持ち合わせているのか。
今回の判決を機にあらためて検証し、人々の安全を守る国家であって欲しいと強く願っています。